61. イエソドの診療所にて
ルキアノス山脈の南側で大規模な軍事行動が有った時、ナガマサはツェルブルクの首都イエソドにいた。今度こそ本格的な支援を受けた彼は、魔術の訓練に武芸の鍛錬に加えてシャルロットの実現に向けて忙しい日々をすごしていた。
そんなナガマサに遠くラスナンティア平原の片隅で同胞が戦っている事など知る由もなかった。今度の戦いで彼らが実戦経験を積み、この世界初の異界人部隊として活動を始めた事もツェルブルクにはまだ伝わっていない。
ナガマサはイエソドの中壁の内側にあるスノッリの町を歩いていた。北門の近くにある旧い街であり、農場や鉱山で働く労働者が多数住む町である。移民を受け入れる為にイエソド人が急遽作った街なので、土魔法で土砂を創りそれをそのまま壁や柱にする。それを硬化(砂>岩への魔法による物質変化)させた頑丈だが質素な家屋が並ぶ。
そして、当然ながら壁、柱、床、に屋根を取り付けた家屋には、窓や入り口は穴が開いているだけになる。山国であり冬は雪も積もる地域で窓なしは辛い。その為、このタイプの家屋が大量に作られたとき、最も必要な職人の一つが建具職人であった。
イザベラの祖父ダリオがツェルブルクに来たのはその頃の事である。彼はイエソドに住み着き国を挙げての特需に乗り財を築いたのである。そして、当然特需は終わる。祖父の跡を継いだイザベラの父エミリオの代に家業は傾き、彼女は苦難の少女時代を過ごす事になるのだった。
そんな旧い家屋の一つにナガマサは訪問していた。従者のヤンスとクリスを従えている。人間の街を歩くのでヤンスはフード付きローブを羽織っている。
この家屋は王家が支援している診療所であり、庶民の健康を支えている。医師は常に不足気味なので、ナガマサを働かせる事などラルンダ雑作無いことである。
ナガマサはラルンダの協力により、限定的に医師活動を行っている。この小さな病院では少数の入院施設もあるこの街では知られた存在だ。ここにナガマサの患者がいるのだ。
ナガマサが往診に来た患者は二人いる。一人は身体硬化症。イエソドの民の特性の一つだが加齢や精神的な衰弱により自身の魔力を制御できなくなる病気である。ナガマサの悪夢の原因の一人、アストリアである。先代のベロウの町長の息子で、イザベラの殺害容疑がある男である。
そして、もう一人はナガマサにより死霊から蘇ったイザベラである。
彼女は生者となったので、ナガマサとの距離縛りも時間縛りもなくなっている。
つまり、ナガマサとイザベラのリンクは切れている と言う事だ。
ナガマサはそれを確かめる為に、イザベラをここに入院させた。でも、イザベラの体調は良好だ。別に入院などという手間は取る必要は無かったが、それには一つ理由がある。イザベラに少し一人で行動できる時間を上げたかったのだ。
ナガマサが診る以前は、ほとんど石化状態であったアストリアだが、現在その硬化はほぼ取り除かれている。当然外界からの刺激に全く反応しない状態だったが、今は快方に向かっている。
少しでもイザベラに会話させてやりたかったのだ。
アストリアの診察と施術が終わったナガマサは、イザベラの病室に向かった。其処には既にクリスとヤンスが待っている。
「アストリアの具合はどうですの、ナガマサ先生?」
「先生言うなよ。お前が俺の先生だろ? 精神的なストレスの原因を取り除いたからな、もう悪化はしないよ。もう意識が回復すると思ってたんだけどなぁ、、、」
「あんな男、自業自得ですわ。それに、もうとっくにナガマサ先生は私の医者としての能力を追い越してしまいましたわ。私はナガマサ様みたいな治療は到底できませんもの」
突き放した言い方をしているイザベラであるが、彼女がほっとしているのをナガマサは感じていた。彼はイザベラの記憶を覗き知識を盗んだ際に同時に彼女の感情も共有していた。
イザベラの複雑な感情を理解するのはナガマサには難しかったが、彼女はアストリアの死を望んでいなかった。そうでなかったら、ナガマサはアストリアの治療など絶対しなかっただろう。そのせいで悪夢が止む事がなくてもだ。
「そりゃ、俺のは治療っていうか霊視能力を使ってるからだよ。アストリアのおかげで、アレが人間の治療にも使える事が分かったからな」
回復魔法を使う場合、術者は患者に接触して治療を行う。できれば、負傷部位に手を当てる事が望ましい。そうする事で生体が持つ衛気の働きを和らげ体内へ回復魔法を結ぶ事が出来るのだ。治療魔法を使う事は、まさに手当てである。
そして、ナガマサの場合左右の手により、その能力が大きく変わる。
左手でも豊かな魔力を生かして人並み以上の成果を見せるが、右手での治療効果は群を抜いている。あの指輪の嵌っている右手である。
そして、衛気を持たない亡者達には身体の何処かを接触する事で魂の奥深く、霊の記憶を見る事ができたナガマサだ。
だが、右手を接触させると生者の魂をも見る事ができる。
さらに、魂に直接触れる事により、魂に干渉する事ができるのだ。それは、アストリアのように精神にダメージを負った人間の治療にとても効果的なのだ。
アストリアはトラウマ(精神的外傷)により心を閉ざし、自らの魔法をコントロールできなくなっている。 というより、無意識的な魔法による自傷行為だったのかもしれない。
それに対して、医療魔法では出来る事は対症療法しかなく、アストリアはイエソドの医師から匙を投げられていたのだ。
「ナガマサ様のお役に立てたのなら良かったですわ。本当に愚かな男ですわね」
アストリアのトラウマは明らかに殺人に対する恐怖と後悔によるものだ。
真実かどうかは定かではないが、ナガマサが視た彼の記憶によるとイザベラの殺害を命じたのは彼ではなかったらしい。彼は黙認しただけだというのがアストリアの繰り返し行われていた自己弁護である。
アストリアの魂の奥底まで潜ることなど、ナガマサにとっては手馴れた行為だ。何度もイザベラやクリスに行っている。むしろ、強く過去に拘り、罪に怯え続けたアストリアの魂はやりやすかった。己の殻に逃げ込んだ亡者そのもだったからだ。
ナガマサは彼の魂に潜り、直接アストリアを肯定してやり、イザベラは実は生きている、死んではいなかった、との情報をアストリアに囁き続けたのだ。欺瞞だが方便となってアストリアの病状は回復した。
妻を失い、子供達に去られ、財産の全てを失ったアストリアだが、どうにか生きる事はできた。今年で45歳には到底見えないほど老けてしまったとしてもだ。
「確かにな。だけど、直接会ったせいか悪夢を見る事は無くなったよ」
ナガマサが何度も見ていたアストリアの悪夢、それはイザベラの記憶から知識を盗み取った代償だ。
イザベラに害を加えたアストリアを許す気などなかったナガマサだったが、彼と再会した時のイザベラの号泣に免じてアストリアを助ける事にしたのだ。
そして、イザベラの気持ちが晴れたからなのか、アストリアの治療に成功したからなのか、ナガマサの悪夢はいつしか消え去っていた。
「それでイザベラの具合はどうだ? 不調は無いか? 」
「ありません。自分の心臓の鼓動が愛おしいです」
「食事どうだ? その便通も、、、な?」
「ふふふ、私、医者ですよ。質問の意味くらいわかります。ご飯は美味しいですし、毎朝快調です」
言うまでも無く、これはイザベラの生体反応を示しており、彼女が死体を操るゾンビでは無い事を示している。
「運動能力は問題なかったけど、今も大丈夫か? なんならお父さんとか友達にでも会いに行ってみるか? お前は死んでから2年しか経ってなかったから、知り合いもかなり居るだろう?」
「もちろん、ちゃんと身体を動かしてますよ。運動能力には問題ありません。父には今は会いたくありませんわ。どうせお仕事で忙しいでしょうから。それに、少し顔が変わってますから」
「ええ? そうだったか? すまん、記憶の通りと思ったが顔作りなおすか?」
「いえいえ、御気になさらずに。このままで良いですわ」
イザベラの記憶の中の自分とは、いわゆる本当の自分である。つまり、本物より数段上のなりたい私であり、それはイザベラの理想の姿なのだ。
そして、彼女の生体年齢は死亡時の22歳のプロポーションでありながら、全て新品の新造人間である。イザベラは、もう少しこのままが良いのだ。
「それでな、冬が来る前にクリスが拠点にしていたフェーべに行こうと思っている。イザベラもラルンダも体調に不安が無いみたいだからな」
「フェーべといえばネルトウスの首都ですわね。娘さんが見つかったんですの?」
クリスは既婚者であり、妻と娘が居た。妻は既に亡くなっていたが、娘は所在が判明している。ただ、ナガマサが忙しくて動けなかっただけだ。
だが、イザベラの問題がほぼ片付いた今、ナガマサはクリスの心残りも解消しておきたい。
「うん、他のクリスの仲間も大体遺族の場所は分かったみたいだからな。といってもフェーべの街に行って遺品を渡すだけだ。何人かは冒険者ギルドに依頼する事になりそうだけどな」
それともう一つ、その街にはアスラ教という宗教の大寺院がある。そこには80年前この世界にやって来た4人の一人、アインソフに残ったナガモリさんの墓がある。ミフラ神マサイエが教えてくれた数少ない手がかりのある地でもあるのだ。今回は時間は無いが出来れば下見くらいはしておきたい。
「まあ、それだと確かに早く出発しないとダメですわね。雪が降ったら移動が大変ですもの。それともネルトウスで冬越しますの? 」
「いや、往復するつもりだ。動ける時に行動しておきたいんだ」
実はラルンダがメッチャ煩いのだ。アルケニーである彼女は人間とは少し魂が違うのか、下半身の違和感をよく訴えるのだ。人間として動く分には全く問題が無いのだが、アルケニーであったラルンダには物足りないらしい。
ナガマサは苦心の末、ラルンダの要求にできるだけ応えた。その改良を重ねた身体の出来にラルンダはようやく納得した。そして、その身体の試用期間に少し休みをもらえたのだ。
「それでな、今回大きな問題が無かったら、蘇生は成功と見ていいだろう。 ってナザリオも言っていたな。春にはタイタニアに戻って学会で報告したいらしいよ」
「あら、おめでとうございます」
「人事みたいっすね。 イザベラさんも大丈夫って事っすよ」
「だな。俺も今度こそ成功と思ってい良いと思う。お父さんに会いに行っても大丈夫だと思うぞ」
イザベラの父親エミリオは規模を縮小しながらも、小さな建具屋を守っている。
「そうですわね、、、」
少し、視線の会わなくなったイザベラだが直に視線をナガマサに戻した。
「そんな事よりナガマサ様。じゃあ、ミリアさんはどうするんですか? 実験成功って事は春になったら挙式ですの?」
「お前そんな難しい事聞くなよ。俺だって未来がどうなるかなんて分からん!」
「未来だなんて大げさですわ。二人で話し会うことですわ。お二人の気持ちでしょ?」
「俺だって、本当に分からないんだよ」
「それにレダ様だって。どうなったんですか?」
「それは、今はどうでもいいんだよ! イザベラお前はどうする? 一緒にネルトウスに行くか?」
「待って欲しいっす。おいらは、一緒に来て欲しいっすよ。他の国に行くんすよ。おいらはゴブリンだし、クリスさんはゾンビになっちゃったし、ナガマサ様は顔出しNGっすよ。イザベラさんが居ないと困るっすよ」
ヤンスもタイタニア語は喋れるが、ツェルブルクでも人間の街でゴブリンが歩くのは注意が必要だ。まして他国の街だとトラブルを招きかねない。
「もちろん、ご一緒しますわ。何時出発ですの?」
「今、宿舎にお前の部屋がない。部屋の用意が出来たらすぐ迎えを寄越す」
「まあ、すぐ出発ですのね」
現在、生者となったイザベラとクリスの間にはコミュニケーションが成り立つ。クリスもナガマサによりスケルトンから高度なゾンビへと変化していたからだ。
クリスはクルツ城でのゾンビように声帯で発声してイザベラと相互に会話できるようになっている
クリスが蘇生を望まなかったのは、彼は既に亡者となった自分を受け入れており、生者への復帰を望まなかったからだ。其処には彼の死後既に20年が経過している現実があり、さらに生者となれば実は運動能力も剣技などの技術もレベルダウンする。つまり、新品になってしまうので体得した感覚が失われるという事実もあった。
イザベラの意思を確認したナガマサは、帰路についた。ナガマサ一行はレダ所有の広大な屋敷の中になる家屋を宿舎として使用していた。其処はベルム・ホムの産物を保管する倉庫の役割もあるので、ゴブリンも安心して暮らす事ができる。
「イザベラさん、なんか変わったっすね? 前はもっと幼くて自由な感じがしたっすよ」
ヤンスは宿舎に帰るなりナガマサに尋ねた。彼からみてイザベラは死霊であった時と生者となった時の印象が違っているのだ。
「ああ、そうだな。そりゃ、前は色々自由だったからな」
「へ? どういう事っすか?」
「ああ、コージモが言ってたんだけどな、魂ってのは肉体から少なくない影響を受けているらしい」
死霊学の基本的な考え方に 肉体は魂の入れ物にすぎず、魂は永遠に不滅である というのがある。ナザリオなどは、そう考えている。
だが、死霊学も時代が進めば進化する。現在の考え方の主流は魂と肉体は相互に強い相関関係にあり互いに影響し合っていると考えているのだ。
アルドとコージモの考え方は此方に近い。
「じゃ、イザベラさんがあんなにフワフワした感じだったのは霊魂だけだったからですか?」
正確に言うと、亡者はナガマサに最初に出会ったクリスやイザベラのようになる。あれが本来の死霊の形だ。ヤンスの記憶にあるイザベラはナガマサと契約し、彼に依存し従属していた魂の姿である。
「そうかもな。俺もイザベラしか死霊は見てないし判らないけどな。 ただ、今のイザベラは22歳の女医さんだからな。それに相応しい話し方になるんだろうな」
イザベラは幼い時に母親を失くし、片親で育った。だが、家業に必死な父はイザベラを放置していた。
その為だろうか、彼女がアストリアという父親のような男を慕ったのは。
霊魂のみの存在になった時、彼女が幼い話し方になっていたのは、彼女の幼少期に関係があるのだろうか?
ナガマサだって少し疑問に思っている。だけど、彼には分からない事だ。
彼は、また可愛い服が着たいと言っていたイザベラの願いを叶えただけだ。そして、その結果、ナガマサとイザベラとのリンクが途切れた。
そうなってみると、ナガマサはイザベラを旅の仲間にしていいのか迷いが出てきていた。ナガマサの目的は当ても無ければ、何時終わるかもしれない無謀な試練を遂行する事なのだ。
せっかく彼女は非業の死から蘇ったのだ。寂しくもあるけど、無理しなくていいかとも思う。
ナガマサはイザベラには幸せに暮らして欲しかった。既に十分役に立ってくれたし、記憶の一部を共有しているイザベラとクリスは、ナガマサの感覚では仲間というより家族という意識が強いのだ。




