60. 幻獣
オルティス山地の南、ラスナンティア平原の北部で開かれた戦いは既に6時間を経過していた。ロディ率いる本隊も現場に到着している。一部の特殊な傭兵や労役を担当する奴隷などを含めると3000名を越える大部隊である。
彼らは現地に到着すると群がってくる亡者達を排除しながら、魔導師達が土木作業を開始した。地面の土砂を掘り返し、それを積み上げて土壁とする。日本ならガテン系のおじさんたちが何日かかけて行う作業を戦いながら終わらせてしまった。
ロディの本隊はまずは防壁を構築した。拠点となる一夜城を作ったのだ。
魔法で一メートルほどの穴を掘るそれを積み上げるだけで、空堀と城壁ができるのだ。ごく単純な物理的な障壁だがその効果は絶大である。襲い掛かってくるゾンビの視点から見ると上下で2メートルの差になり、上空から容赦ない攻撃にさらされるのである。
この単純だが効果的な戦術がタイタニアのドクトリンとなったのは、タイタニア暦738年の東方征伐。タイタニア帝国凋落の始まりとなったこの戦役で、常に小勢を率いて活躍したツェルブルクの王子によりその有益性が証明された。
そして、その結果、異界人達の初陣は防壁と精兵の登場により戦闘というよりゾンビの解体処理となっていた。最初の緊張感はどこへやら。異界人部隊は傍観者になるか、頼りになるベテラン兵士の後ろで安全に魔法を行使していた。
その緩んだ空気からか、優れた感覚者であるアラニスは周囲の情況の異変に気が付くのが遅れた。
その為、レーダーの役割を持つアラニスが気が付く前に壁に張り付いてる兵士が叫んだ。
「幻獣だ!デカイぞお!」
現在、戦場には魔導師たちが打ち上げたトーチの魔法が周囲を照らしている。マリアの起こした火災はとうに消えている。その為、暗闇から奇襲を受けないように戦場の上空に明るい光をはなつ光玉を幾つも浮かせている。この魔法で作られた光の玉は熱を持たず酸素を消費しないのでダンジョンなどでも多用されている。
「うわ! あれ見て!」
異界人のメアリが大声を上げた。日本では2人の子供を育てながらパートで家計にも貢献していた芯の強い女性が珍しく絶叫しているのだ。
その為、暇になっている異界人達はメアリの指差す方角を見た。
トーチの魔法に照らされた先には奇妙な何かがいた。異界人達は確かに何か居るのは全員わかった。だが、それが何であるかは誰もわからない。
かれらに取り合えずできたのは、その奇妙な物をみた気持ちを言葉で吐き出す事だけだった。
「なんだ?!」
「キモっ!!」
「身体のバランスが変、、、」
「ひっ! コッチ見て笑った」
それは、異界人に笑顔のようなものを向けて消えた。
文字通り、消しゴムで消すように闇の中へと消え去った。
ガイツの近くにいたマリアとアラニスは救いを求めるように、頼りなる隊長へと口を開く。
「あれ! あれ! あれは何ですか? なんか人間みたいでしたけど!」
「そそそそ、そうですよ! なんか変に首が長いし、変な顔したし!」
「いや、だから幻獣だ、人間に化けたてたんだよ。ちょっとデカイけどな」
幻獣は通常は1メートル程度の生物だが、さっき見たのは魔風の影響なのか? ゆうに2メートルはあった。ガイツにとって驚く点はそこだけである。
そして、ガイツの声を聞きつけて、ほかの異界人も近寄ってくる。
「でも、でも、人間にしては、首長いし、後ろ足は太くて短いみたいだし、なにより四つん這いでしたよ!」
「そうでしたね、、、それに、突然消えましたけど、あれ亡霊とかですか?」
少し落ち付いたアラニスの言葉に集まった異界人は息を飲む。明らかに彼は怖がり士気も下がってきていた。
「だから、大きな幻獣だ! ビビってるのか? あ?!」
言葉の荒くなったガイツだが、今の異界人達にはむしろ頼もしい。
ガイツも彼らの変化に気が付いた。指揮官としては士気の低下は望ましくない。
「あれは普通の生き物だ。姿が消して隠れたり他の生き物に化けたりするんだよ。何処にでもいるぞ」
ガイツは、異界人達がいたクレスポの町には幻獣がいない事を思い出した。
「よく、農夫のおっさんが鍬で殴り殺したりしてるよ。人里の周りに住んでる獣だからな。あいつらが消えたり化けたりするのは弱い獣だからなんだよ。安心しろ」
幻獣の皮は高く売れるので害獣除けの罠にかかった個体は〆られる。基本的に死肉漁りである幻獣は私達の世界におけるカラスのような存在だ。肉が不味くて食用にならない点も同じ。
大男のガイツは元々頼りがいのあるリーダーだ。人間の集団というものは、信頼できるボスがいると脅威に対する恐怖心は軽減または解消する。
「騒いでごめんなさい。あいつ、私を見て笑ったような気がしたから気持ち悪くて、、、」
安心したメアリは、ガイツと皆に謝罪した。恐怖心が軽減されると急に羞恥心が頭をもたげ、気丈な彼女は内心赤面していた。
「ああ、気にすんな。幻獣は笑うからな」
「やだ、冗談ばっかり」
「いや、冗談じゃない。あいつらは人間の精気が好物なんだよ。おまえら異界人は魔力が強いからな。メアリが気に入ったんだろう」
精気とは魔力と生命力を合わせた、とても効率の良いエネルギーでこの世界では普遍的な存在だ。全ての生物が持っており、直接生命力を吸収できるのでこの世界の肉食獣の中には好む物が多い
特に魔力の強い生物が上質な精気を有しており、当然魔力の強い人間も高価値の精気を持っている。幻獣もメアリの中にある上質の精気を感じ取り笑顔が出たのだろう。
また、美容やアンチエイジングに効果があるので人間でも愛用する不埒者もいるが、基本的にこの世界では多くの生物が好む。代表的生物はサキュバスなど。
「ひぃ、、、」
顔を引きつらせるメアリ。
周囲の異界人もドン引きである。
「待て待て、なんで怯えるんだ? たかが幻獣だぞ? お前らなら100匹襲ってきても余裕で勝てるだろうが!」
ガイツの話は分かるけど、そういう事ではない。それがメアリ達、怯える異界人の気持ちである。
幻獣の姿が少し、トラウマだったのだ。体毛の無い皮膚、妙に鼻の長い奇妙な顔、細長い胴体も人間としては違和感が拭えない曲がり方をしていた。それは、幻獣の人間に対するイメージなので異界人が文句を言う筋合いでもない。弱い獣が警戒させずに対象に接近する為の方便、幻獣の魔法により人間に似た姿を取っているだけなのだ。
ただ、それを理解できても、ガイツに励まされても、気持ち悪い物は気持ち悪いのだ。ましてやそれが人間の精気を狙っていると聞かされたら、キモさ倍増である。
「幻獣の事はもういい忘れろ! あれはな、真打登場の前触れなんだよ。やつらは強い魔物を連れて来るんだ。周りを良く見てみろ」
ガイツは変に怯え出した部下達を一喝した。
彼の言葉通り、本隊の面々は防壁の上にさらに木の棒で柵を組み上げている。さらに防壁を強化しているのだ。
そして、既にゾンビの解体処理は終わっているのに、彼らの緊張感は強まっている。実戦経験のある彼らは強敵が登場を予測しているからだ。
ベテラン兵士が幻獣を見て大声を出したのは、それが真の敵の登場を予告しているからだ。だから、仲間達にそれを大声で伝えたのである。
「何故、幻獣が出たら強い魔物が出るんですか?」
「ここだと出るのは魔物じゃなくて、鬼だ。昨日話しただろ、マリア? 特にプレートアーマーに石が嵌ってる奴には注意しろ。魔法が効き難いからな」
もう幻獣の話をしたくないガイツはマリアの問いをシレっとずらした。弱い死肉漁りが純度の高い精気にありつくには、おこぼれ狙いしかない。特にゾンビは頻繁に生者を襲うが精気には全く手をつけない。故に幻獣がよく付きまとっているのだ。
それを教えたら、また異界人たちが怯えるかもしれないので、ガイツはもう言葉にしなかった。幻獣の事など考えてる時間が惜しいのだ。
「鬼って、確か兵隊さんのゾンビでしたっけ?」
「だよね、元タイタニアの第一軍の精鋭だって言ってた」
「そうだ、奴らは帝国の鎧を着てるから注意しろよ。しかも、生前は武芸の達人がゴロゴロいる精鋭部隊だ。手強いぞ!」
タイタニアの首都ジュノーを守る精鋭の第一軍。彼らが魔王ネビロスに敗れた時から魔王軍の進撃が始まっている。魔王は精鋭の兵士を殺害し、さらに生前より強化したゾンビとして生まれ変わらせた。彼らは魔王軍の中核として活動して猛威を奮っている。
彼らの装備にはアンチ・マジック・シールドの機能をつけた高性能な鎧を身に着けた将兵も多かった。通称帝国の鎧といわれた装備で、古くから魔法があるこの世界では、普遍的な装備の一つである。直接的な魔法攻撃から身を守ってくれるが、同時に本人も魔法が使えなくなるため、使用者を選ぶ装備でもある。
「大丈夫っすよ。魔法は効かないけど、物理攻撃は効くって昨日教えてくれたろ?この無敵のジーク様がやっつけてやるよ!」
「ん、その意気は良いが、相手は武芸の達人だぞ」
「任せてください!さっきの失敗を挽回します。ゾンビみたいに私の氷魔法が直接効かなくても、氷の塊をぶつけたら効果あるんでしょ?」
メアリが鼻息も荒く宣言する。さっきの醜態の恥ずかしさが残っているのだろう。
「お、おう。まあそうだな。怖くないのか?」
ガイツは少し理解できない。何故、異界人達は弱い獣などを怖がるのに強敵である魔王軍の生き残りには勇敢なのかがわからない。
「当たり前ですよ! もう怖くないです。あ、足元を凍らせてからの氷塊をぶつけてやろうかしら?」
まるで料理の仕方と考えるかのようにメアリは思考している。先ほどまで初陣のルーキーであったが、彼女ら異界人は既に戦闘に慣れ始めていた。
先ほどからゾンビを氷漬けにしたり、焼き炭にしたり、五体をバラバラに寸断したりしていた。マリアという例外を除けば、戦士への進化は少し進んだのだ。
「ガイツ! 俺達も本気だしていいの?」
ランスとジークが期待を込めた目を隊長に向ける。
「ああ、お前らの出番だ。鬼どもを殲滅してやれ。アラニス、どうだ? 」
「はい、います! 3キロほどの地点に強い魂が6体、ゆっくり接近してます」
「やった! やっと出番だ!」
ジークは魔法を纏いながら上空に舞い上がっていく。その身体に自らの魔力を纏わせながら無敵のジークとなっていくのだ。
「おいジーク。全部喰うなよ? 6体なんだから3体ずつな」
ランスが魔力を纏いながらジークに釘を刺す。
「早い者勝ちに決まってるだろ? 足の遅いランスが悪いんだよ」
出番に逸る少年にそんな釘など効果は無い。
だが、ほかの異界人からも文句は出た。
「まってよ。私達も戦いたいよ」
「そうだよ。いっつも二人が美味しい所もって行くんだもん」
「待て! 喧嘩するな。それとジーク降りて来い。まだ早い。」
ガイツは、士気が高まった事に内心喜んでいたが、ジークの手綱を引いた。
「鬼はまだ3キロ先だ。もっと引きつけろ。というか、ここに来てから対処すれば十分だよ」
「ええ?! 俺とランスはさっきから、戦ってないんだぞ? ずっとベンチだ!」
「だから、お前の出番だと言ったろ? 存分に活躍しろ。ただ、目の前で戦わないとロディの目には映らないだろ」
「「なるほど!」」
それを聞いたジークとランスは戦闘態勢を解いた。
彼らのロディへの忠誠は絶対である。そして、自分の活躍を直接アピールできる場なのだ。それを彼らは思い出した。
「さすが、隊長」
「ガイツの顔を立ててやるか!」
「うむ」
ガイツは相槌を打って話しを打ち切った。
そして、アラニスに速く目の前で敵を探知しろ と無茶な事を言うジークを見ながら異界人の不思議を思う。
何故、彼らは脅威であるゾンビや鬼は平気なのに、幻獣のような弱い獣に怯えるのだろうか?
ま、それは慣れていないからだろう。それは、理解できる。ガイツだって幻獣は気持ち悪いのは同じなのだ。だが、それなら何故ゾンビには異界人達は平気なのだろうか?
それが不思議なのだ、この魔境のゾンビが手強いのは本当なのだ。これほど長く戦い続けたら軍隊であっても少なからず損害が出てもおかしくないのだが、最初から戦闘をしている異界人部隊を含めても、こちらの損害は0なのだ。
それは、先遣隊であった異界人達がほぼ全てのゾンビ共を一撃で戦闘不能、行動不能にしているからである。それほど能力が高い魔導師が揃う軍隊などタイタニア広といえど、何処にもない。
『でも、ここのゾンビって怖くないね』
マリアが禁じられている日本語でメアリに話しかける。
『だよね。ゾンビ映画とかに比べたらね』
メアリも笑いながらマリアに応じる。彼ら異界人にとって、故郷の言葉で話せるのはとても楽しい事だ。禁止されているので、こっそりとしか話せないが。
『ゾンビなのに腐ってないもんね』
『うん。ほとんど普通の人だよ。映画とか漫画の方がずっとエグいよ』
この魔境のゾンビたちは腐らない事で有名だ。
ここで死んだ人。元からいたメリクリウスの領民、殺されたスカベンジャーや魔風に侵されて即死した冒険者など、多様な死者がゾンビ化している。そして、その人々は全て生前の姿を保っている。
ここではクリスのようなスケルトンすらいないのだ。
それは、現代日本人から見るとゾンビとは言い難い。数々のエンタメ作品でゾンビを見慣れた日本人には、魔境のゾンビは刺激が足らないのだった。




