52. 人を醸すお酒の力
クルツ城でナガマサの下手糞な念話が騒動を起こしていた頃。
イエソドの丘にゼーフェンから使い魔によるメッセージが届いていた。使い魔は古風な通信手段であるが、使い手と受けての二人のみで完結し秘密の通信にはとても便利なのだ。
ツェルブルクの首府イエソド、その王城は富強の国の物とは思えないほど無骨で飾り気の無いものだ。それはイエソドの丘とも呼ばれる大小三つの小高い丘陵をそのまま城へ改装しているのだ。
ただ、この丘の大半が自然の物ではなく土属性に優れたイエソド人達の先祖が魔法で岩石や土砂を出現させ営々と築き上げたものだ。つまり、この地に住むイエソドの人々は古くから魔法を使いこなしており、その集団がツェルブルクという国家の中心にいる。その中で特に優れた一族が王家と呼ばれている。
時代が進み移民が増え始めた時に、新住民である移民と原住民であるイエソドの民との差異が必要となった。一級市民とは基本的にイエソドの民ために生まれた階級なのである。
富強の国家となった現在のツェルブルクでは他国からの賓客の為に豪華な迎賓館が建てられているが、王城そのものは巨大な蟻塚のような姿をしている。
ちなみに、イエソドの名物である遠大な3重の城壁も土属性の魔法を得意とするイエソド人達にとってはさほどの難事ではない。土砂や岩石を魔法で形成して防壁を作るのは長壁王ベルトルドだけでなくイエソドの民の得意魔法なのだ。
そのツェルブルクでは現在春の祭祀が行われている。
マキナ山でミフラ神を招き、ミフラ神を饗応してツェルブルクの平穏を祈る。その後、イエソドで先祖を祭る大切な祭祀で、3日にに亘って行われる大切な年中行事だ。ただ、参加するのは祭祀を司るミフラ神殿の神官と王族、一級市民の有力者が中心でお祭りというより神事だ。
当然、その主役は現在のツェルブルクの繁栄をもたらしている王家であり、それを支える一級市民達だ。魔法の使えるこの異世界では、力あるイエソドの民はツェルブルクの力の源泉であり、同時に強い政治力も持っている。
国家の神事を司る者はその国の政治を司る人々と等しいのだ。
この国は昔から圧倒的な力を持つ王(時折飛びぬけた力を持つ王も存在する)が統べる国ではない。高度な魔法力を持つイエソドの民という同族が国の中枢を支え、王家は常に彼らの意向を傾聴している。その為、この国の支配体制は民主主義という人類の最も旧い政治形態に似た物となっている。
それは現代日本のそれとは異質のものだが、共通点もある。
長壁王ベルトルド以来の潤沢な地下資源を生かした鉱業とその資金を生かした魔法工業化はツェルブルクを豊かにした。そうなれば現王家への民の支持は磐石な物となる。現在の王家とその体制は民から絶大な信頼を得ていた。
少々問題があっても、生活が豊かになれば支持率は上がるものなのだ。
そして、人間3人集まれば派閥ができるように、不満を持つ人々というのは必ず存在する。ただし、支持率が高いうちはその人々は少数派であり、その存在は目立たない。
先ほどの使い魔は、三つある丘の最も旧い南丘の頂にある大きな建築物に届いている。それは魔法で生み出した土砂をさらに岩石に物質変換させた強固な館である。その名をエルデスト館。勇猛にして篤実な王族が住んでいる由緒ある丘だ。
ただ、王族といっても直系、傍系合わせればかなりの人数になる。エルデスト館に住む人々は血統では現王家よりも正統とも言える一族であるが、現在の支配体制の中では主流とは言えない。どの国でもある話である。
故に彼らは大切な大祭でも目立たず脇役に甘んじていた。
その丘に作られた頑健な部屋の中で、やはり逞しい男が使い魔のメッセージを読んでいる。
その男は上背は無いが、がっしりした厚い身体は身体付きをしている。例えるなら、岩石のような男である。
小柄ながら頑強な肉体。イエソドの民の特長である。メッセージを読んでいる男は、それを体現していた。
「ふむ、どうやらマキナ公が異界人を雇ったのは間違いないようだな」
「昨日の魔力騒ぎとは何か関係あるのでしょうか?」
その騒ぎはベルム・ホムで起こったのだから当然の疑惑である。
質問しているのはメッセージを届けた男である。岩石の様な顔立ちは似ているがかなり若く体付きもかなりスマートな若い男だ。
「確証は無いな。だが、ゼーフェンが知らせて来た異界人はドラゴンを従えているそうだ。関係ある、と思っていいだろう」
「ドラゴン? 異界人ですか? この国には異界人は一人もいないはずですが」
「そうだな、またもマキナ公の独断だろうな」
保有している異界人を公開するという旧い協定があるのだ。
ただし、現在はタイタニア帝国の力が衰えて各国が争う状態となっている。その状況下で馬鹿正直にそんな約束事を守られているだろうか? それは誰も知る術が無い。
「ゴブリン共を私兵にするだけでなく、異界人まで配下にしているとは! 父上、奴は何を考えているのでしょうか?」
「言葉遣いに気をつけろフランツ。庶子とは言え我が王家の一員だ。アルケニーの庶子とはいえな」
「はい。申し訳ありません」
「焦るなよ。既にセフィロスであった先代はいない。それに、なによりな時代が変わったのだ。まだ若いマキナ公は色々ご心労があるのだろう」
そういって、父親と思われる男は薄く笑った。
正体不明の異界人を議会に無断で所有する行為は重大な失点だ。とにかく正確な情報が必要である。それは現王家に対する切り札になるかもしれない。
平和に見えるツェルブルクでも確かに時代は進んでいた。その結果状況はゆっくり確実に変化していく。豊かになったこの国には魔王禍の影響もあって移民が増え続けている。それらの移民は二級市民となり、増大する数とその政治力は格段に上がっていた。
彼らは、課税の義務と引き換えに限定的な市民権と内壁の外側に住む権利をもらえるだけだ。この国に移り住んで既に二世代から三世代の時が経っている者も多いというのにだ。彼らは自分たちも選挙に参加できる権利を欲していた。自分達が活躍できる場所を探し回っていた。
ど田舎の山国であったツェルブルクは人口は増加していた。巨大な3重の城壁など、大きすぎて防衛線としては機能していない。なのに建設しているのは、人口が増え続けており、2重の城壁の内側に住民が収まらない事を見越しているからなのだ。イエソドの在所がルキウス川沿いの狭い土地なので平野部が少ないという事情もあった。
長壁王ベルトルドが鉱山事業を始めた頃、ツェルブルクは人口密度が少なかった。広い領土は耕作地には不向きな山岳部ばかりであり、元々住んでいる人たちが少なかったのだ。
ベルトルド王はゴブリン達を配下とする事でその対策とした。その為に巨大なゴブリン保護区が建設され、ゴブリン達は鉱夫や雑役、兵士としてツェルブルクの一員として活躍していた。
但し、ゴブリンを保護しているのはタイタニア文化圏でもツェルブルクだけだ。ゴブリンが多い地域に住んでいる人たちは彼らと古くから共存している。アクィナス家のようにゴブリン保護区に住んでいたり、マキナ公の許可を得て林業や鉱業を行っている。ゴブリンと取引している商人たちもかなり居る。
それはこの世界では珍しい光景なのだ。
だが、その状況は変わろうとしている。今や巨大なゴブリン保護区を望まない者がイエソドには多数いるのである。
正確に言うと、ゴブリンの保護を認めず害獣として駆除しその土地を所有したい人々が増えているのだ。彼らをモンスターとしか考えない者も多数いる。それは大抵他国からの移民者で余所の地域ではそれは当然なのだ。
そして、彼らはほぼ二級市民の現状を変更したいと願う者たちでもある。
もし、現状が変更されるとすれば現王家を含め、指導者の変更も余儀なくされる。脇役の王族も主役を張れるチャンスが周ってくるのである。
☆
クルツ城の夕刻。ナガマサの送別会が開催されていた。
だが、本来黒衣を纏っている研究員達は全て清潔な私服に着替えている。不潔を嫌うソニアの意見が通ったわけではない。男達が泥だらけになってしまったのだ。
ナガマサの念話は地下工房にも響いており、それが一波乱起こしていたのだ。ナザリオが娘をやるのは実験が成功してからだとゴネだしたのだ。
下手するとナガマサとの縁が切れるかもしれない事態を打開する為に、何故か父親の意地を見せる戦いがクルツ城相撲大会になってしまった。
最初はナザリオとナガマサの戦いだけのはずが、何時の間に男達は全員巻き込まれる流れになってしまった。夕方の河原で殴りあう漫画の展開のように、クルツ城の男達とナガマサは何となく仲良くなってしまっていた。
「さすがトニーさんっすね。見事な機転だったっすよ」
「そうだろ? あのままじゃ喧嘩になりかねないからな。あえて拳闘の要素を外したんだよ。殴りあうと結構遺恨が残るんだ!」
風呂上りでお酒が入っているトニーおじさんはすっかり上機嫌だ。それに何故かヤンスが相手をしている。
「おかげで、またお邪魔しやすいっすよ。ナガマサ様も気が楽になったっす」
「だろう?」
結構、研究員の後輩達にも軽く見られがちなトニーである。彼としては持ち上げまくってくれるヤンスとの会話は楽しい。すっかりご機嫌である。
「それはだね。魂の劣化ではなく肉体とのリンクが切れかかっていたせいだね」
「はあ、それで記憶の障害が?」
ナガマサはベロベロに酔っているナザリオに尋ねる。
「うむ、そうでないと、、、なんだったかな?」
「先生、それは、再生した際の記憶の回復です」
「左様、魂が劣化すれば再生しても記憶は回復しません」
「そうだた、そうだ、だから、魂の不滅には、シャルロットが、、なんだ」
「ナザリオ、飲みすぎってか、酒弱くないか?」
オッサンになれば酒だって弱くなる。というより、娘の件がショックだったのかもしれない。
だが、酩酊してもナザリオはナガマサを解放しようとはしない。
ナガマサは、死霊オタクのオッサンと若者二人に取り囲まれ身動きできない。というか、異世界に行ってもナガマサ自身のモテナイオーラは同類を引き寄せるのかもしれない。
そして、ナガマサ自身、ついつい興味に釣られてマニアックな会話を好む節があるのである。
「じゃあ、ネクロマンサーって犯罪捜査にはあんまり役に立たないのか?」
「それは案件によるでしょう。そして、魂の状態によります」
「然り、時間の経過が少ないほど、死ぬ前の周囲の状況などを覚えておるでしょう。ただ、死んだ瞬間は記憶から抜ける場合が多いそうですよ」
「ネクロマンサーはね、そういうんじゃない、、、心のため、残された者へのね、、、」
酩酊していてもナザリオの知識は凄く、若いアルドとコージモの二人もナガマサの質問への答えに詰まる事がなかった。
また、酩酊しているナザリオはともかく、ナガマサの質問に答える事は彼らのプライドを心地よく刺激していた。圧倒的な魔力を持ち、瞬く間に死霊術の技術を身に付けていくナガマサに彼ら複雑な思いを持っていたのだ。
自分達が何年もかけて覚えた技術を、直接ナザリオ先生から指導を受けて瞬く間に習得していくナガマサを見て、なんとも思わない人はいない。
どれだけ才能の差があると理解していたとしても、口中に苦い物は残る。
いや、魔力という天稟の差が明らかだからこそ、その苦さは強くなるかもしれない。特に長年真面目に努力したものは強く感じるはずだ
だが、魔力無しでの肉弾戦で皆汗だくになって取っ組み合い汗を流す事でそのわだかまりは小さな物になっていた。
さらに偉大な酒の力を借りていたのである。
どちらかと言えば人見知りなナガマサにとって、それなりに人間関係を作る事ができていた。




