50. 衛気
その日の夕刻、クルツ城は騒然としていた。アーシアがミリアとジョルジュを伴って帰宅した際に、ゼーフェンの監督官からナガマサを早急にベルム・ホムに帰還させるように依頼されたからである。
ナガマサの存在を隠せないと踏んだアーシアはゼーフェンへと向かい、ジョルジュの伝で懇意にしている官吏の元に向かった。
二級市民であるアクィナス家は普段から有力者の一級市民や官吏に挨拶を欠かしていない。この異世界では一部の王族や有力者の考えで法律までガラリと変わってしまうので、情報収集は欠かせないのである。この世界の官吏は日本とは全く違うので、親切に庶民のために働いてくれる公務員は滅多に居ない。彼らから、情報や便宜を得るのは簡単な事ではないのだ。
そして、ナガマサの一件も同様である。アクィナス家に累が及ばないようにする為に根回しが必要である。アーシアもジョルジュもそういった事態の為に普段から活動しているのだ。
だが、今回彼女が頼るべき貴族の邸宅を訪ねると、すぐさま市城へと招かれたのだ。普通なら邸宅に向かっても貴族本人とは会う事はできない。その執事に用件を伝えて後日の連絡を待つのが通常である。
アーシアは市城の奥にある貴賓室に初めて足を踏み入れた。そして、そこで4時間ほど待たされながら彼女は悟っていた。
つまり、今、普通でない事が起こっているのだ。
通常では滅多に顔など出さない貴族が直にアーシアを迎えて、市城へ送った。
そして、富裕層とはいえ二級市民のアーシアが入れないはずの貴賓室で待たされている。
なにより、そこでゼーフェンの監督官に初めて対面して直接会話したのだ。
ゼーフェンのトップは元アレスタットの王族ですが、彼女はイエソドに住んでいます。その為、留守を預かる監督官という代理を置いています。彼が実質的なゼーフェンの街の支配者となります。
そこで、アーシアは監督官から命令ではなく依頼をされたのだ。彼女は鉄壁の微笑みの裏で冷静に思考を積み重ねていた。彼女には監督官の命令に逆らうという選択肢は無い。それは、全ての二級市民に共通のものだ。他国なら貴族の意向に庶民が逆らえないのと同義である。
にもかかわらず、命令ではなく依頼であり、破壊されたクルツ城のベルクフリートにまで便宜を図ってくれるという。その尖塔で使われている対空結界を発生させる装置やクルツ城の警備を統括する装置は軍用の魔法道具なので、許可が無いと購入や設置が出来ないのだ。
ナガマサという異界人とツェルブルク王家との契約に何か問題でもあるのか?
アーシアは思考を積み重ねずにはいられなかったのだ。
そして、ミリアとジョルジュを伴ってアーシアがクルツ城の到着した後は必然的に大騒ぎとなったのだ。
アーシアたちの想定では、ナガマサの事をゼーフェンの市城に届け出ても、数日の猶予はあるだろうと考えていた。市城の役人達が迅速に対応したとしてもである。その間に、ナザリオの実験を進める予定だったのだ。
だが、監督官には逆らえない。ナガマサの帰還は明日だ。
アーシアの弟でセレンの夫であるジョルジュは、ナガマサに挨拶し久しぶりに妻の顔を見ると、破壊された城の調査を開始した。その上で使えそうなゾンビを選んで城の応急手当を開始する。
ゼーフェンに戻って城の修繕を依頼するのは彼の役目なのだ。その結果、クルツ城の防御能力が激減している事をジョルジュは知った。彼は衛兵ゾンビを全て起動させ、要所の警備と巡回を命じる。山中に孤立してあるクルツ城なので、闇に紛れて魔物や夜盗が侵入してきても自力で排除する必要があるからだ。
その結果、普段静かなクルツ城は武装したゾンビが徘徊する騒がしい状態となったのだ。
さらに大騒ぎになったのが、クルツ城の地下工房である。
「おら!しっかり魔力を抑えろ!お前の大好きなドラゴンだろ?」
疲労して魔力のコントロールが甘くなったキッカにトニーの激が飛ぶ。
ナザリオはこういうのが苦手なのでトニーが代わって声を出している。
「普通に使役されているプレイニラプトルなんて見飽きてるよ」
人間に最も使役されているドラゴンが騎竜であり、ドラゴン好きだって見飽きたら喜ばない。
そう文句を言いながらも、キッカは集中力を高めようとする。この工房で最年少で経験の浅い彼女はそろそろ限界なのだ。
「あともう少しだ、皆頑張ろう」
ナザリオの指示で、また同じ作業を最初から再開する。
明日ナガマサが帰る事に決まったので、大急ぎで騎竜を仕上げる事になったのだ。ドラゴンのゾンビ化には多大な労力を要する。
現在、アクィナス家は騎竜を保有しているが、そのドラゴンゾンビの作成時にそれは経験済みなのだ。
なので、完成間近な騎竜のゾンビをナガマサがいる間に一気に細部まで作成する事になったのだ。
残念ながら時間の関係でナザリオが熱望していた実験は不可能となっている。
ナザリオは、なんとしてもナガマサの協力を継続して欲しいが、騎竜のゾンビが完成すれば、ナガマサには何の貸しも無くなる。
わざわざナガマサがクルツ城に再び来る理由など何も無いのだ。
「ナガマサ君、今回は残念だったが、また是非来てくれたまえ。君に伝えたい技術がまだまだあるんだよ」
僅かな休憩時間にもナガマサへのアピールを欠かさないナザリオ。
「この実験には素晴らしい意義があるんだよ。それは、食事の時にでも説明しよう。私の実験が成功すれば君の名は永遠に輝くだろう!」
「はあ、、、」
輝くのは、成功したら手に入る金貨じゃないのか?
ナザリオの技術が成功したら、お金持ちだけが永遠の命を持つ世界になるのだ。
それを思うと、今ひとつやる気が出ないナガマサである。
「むっ、気の無い返事だね。 魂と肉体の分離と再結合には他の意義もある。君も医師なら分かるだろう? 様々な病への克服にも繋がるんだよ?」
「それは理解できる。病気の治療の為の肉体の再生は容易だ。もっとも病気の治療を目的にするには魂の再結合が無理ゲーだ。その上、老化した肉体の再生はかなり厳しいだろ?」
今日ナガマサが受けた訓練は槍創により破壊された肉体の修復と、離れかけている魂を再び肉体に結びつけるという物だった。
その魂と肉体の再リンクの精度によりゾンビの出来が変わるというのはソニアから聞いてるナガマサである。
「ははは、なるほど。そこの所の説明はしていなかったからね。確かにクリアすべき問題は多いね。それにナガマサ君は良くない想像でもしたのかな?例えば、奴隷の肉体を無理やり使うとか?」
「――!」
そんな事まで考えて居なかったナガマサである。彼は単に作業の難易度を想像していただけだ。だが、今指摘された通り、老化した肉体を一から再生するより、新しい肉体を構成しなおした方が速くて確実なのは間違いない。再生のみに限ればの話だが。
「そんな実験などした事も無いが、他人の身体と魂のリンクは難しいよ。自然界でも死霊が他人の死体に取り付いたりもするけど、動きは酷く悪い。生きている人間に取り付く霊のケースもあるけど、極めて稀だ。そして本来の魂がある限り激しい抵抗を受けるためにまず成功しない」
「死霊が人間に取り付くケースなんてあるのか?」
それだと、イザベラもヤバイんじゃ、、、
「極めて稀にだが有る。霊媒師などの技術者を除けば、生者の側が精神的な障害などを患っている場合がほとんどだ。生きている人間には生まれ付き誰でも衛気が存在しているから、霊的防御はかなり高いからね。悪霊の恐ろしいのは取り憑かれる事より、精気を吸われる被害の方がかなり高いね」
☆
衛気とは、人間というより生物に備わっている機能。呼吸により生み出されるエネルギーで、霊的な脅威に対するバリアである。当然死者には存在しない生命のエネルギー。これは誰もが自然に持っているため、例えば人間の体内に直接炎を生み出して焼き殺したり、操作系魔法でいきなり相手の精神を支配する事はできない。その為、魔法契約という明確な術式なり、薬品などの触媒が必要になります。
☆
衛気の存在ならナガマサも学んでいた。医学と死霊学は共通点が多いのだ。
「じゃ、老化した肉体の再生はどうするんだ?どうやっても劣化は免れないし、最終的に魂だけ分離する事にならないか?」
ナガマサの問いに、ナザリオは嬉しそうに笑う。アラフォーのオッサンだが、自慢のおもちゃを披露する子供の様である。
「厳密にいえば魂も劣化する。だが、肉体はそれよりも速く確実に劣化する。人間の耐用年数はどれほど医療魔法を駆使しても百年も保てない!」
「だろうね」
現代日本の医学には無知だが、この世界の医術はある程度精通しているナガマサである。ナザリオの台詞は理解できる。
「だからこそのシャルロットだ!私が君の手を借りてでも作成したいもの。人の手による新たなるものだよ!」
「つまり、本人の若い肉体を新しく作れるってのか?それだと、本当に若返りじゃないか?」
「もちろんだよ。既に理論は出来ている。少し訂正させてもらうとシャルロットは本人の身体を必要としない技術だ。何年も死体や死霊と向き合って完成させたものだ。どうだね、興味が沸かないかね?」
「・・・・・・」
正直、興味が沸く。
ナザリオは明らかに全てを話してはいないが、これが実現したらイザベラに肉体を与える事もできるのだ。
しかも、考えてはいなかったが、貧民や奴隷の若者が被害に合う可能性が無くなる技術でもあるらしい。
金持ちだけが得する世界になるかもしれないが、おぞましい世界にはならないようだ。
「興味を持ってくれたようだね? 君が再びクルツ城に来るのを待っているよ」
「・・・・・・」
ナガマサもまた来たいと思った。だが後一つナガマサには気がかりがあった。
ミリアの事である。
さっき、アーシア達が帰宅した際に、ジョルジュさんという朗らかな人物から丁寧な挨拶を受けた。社交的で人の良さが伝わるジョルジュさんと会話しながら、ナガマサはミリアを目で探していた。
彼女のご機嫌が直ったか気になっていたのだ。
だが、ミリアはナガマサに全く目もくれず立ち去ってしまった。
また、この城に来たいがミリアに嫌われたままだと、とても気まずい。
残念な子、ナガマサはそれが何故かは深く考えていないが、自分のもやもやしている気持ちには気が付いている。
ミリアに嫌われているのが気になって仕方がないのだ。
ナガマサはなんとかミリアと仲直りしたいのだが、もう時間が無い。




