103. 足し算ではなく掛け算に
ロウハリア、最初の町ティモン。
それは地名であり、この地に住むドワーフ達の部族名でもある。
ただ、ティモンの住人はドワーフだけではない。
現在この町には100名余りの外国人が定住しており、その大部分は旅行者向けのサービスに従事している。
頑固なドワーフ達は商売が苦手なのが理由である。そもそも、ティモンに宿屋などはなかった。時折やって来る酔狂な訪問者には族長ら有力者が自宅に招いて宿泊させていたのだ。
それが変化をもたらしたのは、ここでも魔王禍だ。
魔境の発生によりオルティウス山地の街道が通行不能となると、ロウハリアを歩きたがる旅行者が急増した。荷駄での移動も厳しい山道であっても貴重な交易路となったからだ。
それにより、ロウハリアでは訪問者を持て余すようになった。特にタイタニア本国とエルスタル地方(エルライン公国を中心としたルキアノス山脈の北部の国々。ツェルブルクを含む)への街道にある町々では有力者の家族だけでは捌ききれないほどの人々が行き交うようになったのである。
それとほぼ同時に、この地で商売をしたいと申し出る人々が現れた。
目聡い商人達はすぐにビジネスチャンスに気が付いたのだ。
ナガマサ達が紹介された宿屋もそんな商人の一人である。
☆
「お父さん! あのね! あのね、ゴブリンがいたよ!」
「ゴブリンがいた! でも、僕怖くなかったよ!!」
宿屋グロース・レオンの厨房で幼い声が響く。宿屋の主人アムルスは微笑みながら9歳の次女と7歳の長男を見た。目を輝かせている子供達を見るとつい笑ってしまうのだ。
家の仕事もよくしてくれる良い子達だが、まだまだ子供なので珍しい物をみるとつい興奮してしまうのだ。
「ハハハ。そりゃそうだよ。ゴブリンだって無闇に乱暴しないからね」
「もう! ダメ! ダメ! お客さんにダメ!!」
子供に甘い夫に代わって妻のナアラが声を荒げる。
ゴブリンだって立派なお客様だ。子供達の態度は注意しないといけないからだ。
彼女はタイタニア語が苦手なので、ついつい言葉が出てこない。だから、口調は強くなってしまうが、彼女の意見は正しい。いくら厨房の奥で父親にだけ話しているとしてもだ。
ただ、彼女の心配は杞憂だった。
グロース・レオンの食堂では大きなお友達が声を張り上げて叫んでいたので厨房の奥の声など聞こえないのだ。
☆
「見たい! 見たい! 見たいのじゃ!! 今から見に行きたい!!」
まだ、夕食の途中だというのに、レダが巨神像を見たいを駄々をこねていた。
途中で昼寝をしていた彼女は像を見逃していたし、寝ていた故にエネルギーが有り余っている。
「姫様。もう夜ですから」
疲労の浮いた顔でやんわりとマリーが宥める。護衛の彼女はずっと徒歩で険しい山道を歩いて来たので疲れていた。いや、普段から鍛えている彼女なので山歩きだけなら、たいして負担ではない。今疲れているのはレダのわんぱくぶりの為だ。
彼女は母親のラルンダに長年憑依されていたので、子供の部分がかなり残っている。その童心の為、レダは天真爛漫に振る舞うので、面倒を見ているマリーは負担が凄いのである。
「まだ夕方じゃ! 今から行けば間に会うから!!」
「落ち着いて下さい。明日にしませんか?」
マリーは小声でレダを落ち着かせようとする。小食のレダは既に食事を終えているが、他の皆はまだ食事中だ。それに確かに今は夕方だ。だが常識的に判断すれば、レダが歩いて入り口まで歩く間に、完全に日が落ちているだろう。
「明日はすぐに地下道を使って出発じゃ。入り口の巨神像には戻らん! それに、見物を待ってもらったら迷惑じゃ!!」
「・・・・・・」
お前が迷惑とか言うなよ、、、
その言葉、思いがマリーだけでなく、食事を共にしているナガマサ一行の脳裏をよぎった。
ちなみに、普通は貴族と庶民は同じ食卓につかない。まして、ゴブリンと一緒にご飯など食べない。だがナガマサの意向もあって、この旅の仲間は全員同じテーブルで食事が普通だ。
ただ、今は人数が多すぎる事もあり、幾つかのテーブルに分かれている。
ナガマサは王族のレダと同席するのを遠慮するクランツやマーセラ達を安心させる為に同じ卓についており、レダは4人の護衛とテーブルを囲んでいた。
そして、当然ながらナガマサもレダの訴えを聞いている。
「わかった。巨神像を見に行こう。俺が案内するよ」
話を聞いていたナガマサが立ち上がる。だが、彼は今日のメインディッシュであるシデシカの燻製を半分も食べていない。
「ホント? ありがとうナガマサ!!」
言い終わらないうちにレダがナガマサに飛びつく。
「ナガマサ様大丈夫っすか?」
「お食事も残されてますわよ」
ヤンスとイザベラが、それとなく制止する。
ナガマサは先ほどまで魔力酔いを起こしていたのだ。食事が進まないのもそれと無関係ではないだろう。
「ん。戻ってきたら喰うよ」
「「・・・・・・」」
ナガマサが食べるわけ無いのは分かっているが、ヤンスもイザベラも反論しなかった。既にレダがナガマサの首に手を回して背中に取り付いている。彼らもさすがにレダのご機嫌を損ねるのは怖い。
「心配するな、10分もかからないよ。クリスは付いて来るか?」
「へ? 何言ってるんすか?」
ヤンスはナガマサの意図が本当に分からなかった。
クリスがナガマサの傍を離れる事等ないのは分かってるのでそれはいい。
今ナガマサは10分で戻ると言ったのだ。巨神像の足元からティモンの門前までの坂道を降りてくるだけで10分以上かかっていたのに?。
だが、彼の疑問は即座に解決した。
ナガマサはクリスを冥府に収納して、レダと共に自身を上空に打ち出した。
魔法により斥力を発生させたのだ。
斥力の利用は魔法の基礎で念動力などと解されることもある。
ナガマサが何度か使っているファイヤーボールも魔力で火の玉を創り出し、それを斥力を使って目標に発射しているのだ。
この基礎ができていないと、一章の6話でナガマサがやったように火の玉だけが発生して、そのまま消えることになる。
自分の至近に魔法を編むのが苦手なナガマサだが、今の彼にはレダから教えてもらった糸の魔法技術がある。
これと訓練してきた基礎魔法を組み合わせて使用しているのだ。
また、自身に斥力を使い上空に移動するという事は、魔法で発生させた力で空中に自分自身を投げると同義である。つまり、空に打ち上げる時はよいが、空を飛んでいる訳ではないので必ず落下する。
斥力で空を飛ぶのはかなり難しいのだが、今のナガマサには蜘蛛糸の魔法とロウハリアの地下空間に居るという条件がある。
スパイダーマンのように、というのは言いすぎだがこのティモンの空間だと落下して怪我する心配はほとんど無い。
ナガマサはレダを連れて入り口付近のスロープに立った。
宿屋グロース・レオンの店先から、ほんの数秒である。
「あっという間っすね、、、」
瞬く間にナガマサとレダはヤンス達の視界から消えた。
「左様。自分自身を打ち出せる魔力が凄い」
「然り。魔力が凄いのは知ってたいるが、それを使いながら何か別の魔法まで使ってましたな」
ヤンスの独り言に、アルドとコージモが思わず答えてしまう。
彼らもナガマサの魔法技術に舌を巻いているのだ。
ナガマサは莫大な魔力を持つだけでなく、複数の魔法を同時に器用に扱えるだけの技術さえ身につけていたからだ。
「全くだ。莫大な魔力が同時使用出来る魔法複数持たせる。それにより生まれる効果は相乗的に絶大な結果となる。 という事だね」
アルドとコージモ共に見物に出てきていたナザリオ先生も驚くしかない。
彼らが死霊術を講義していた頃のナガマサとは完全に別人である。
普段からナガマサもレダも魔法をひけらかす事はしないので、周囲の人間もナガマサの性能を把握しきれていない。
ティモンの天上部の高さは50メートルはあるので、魔法の糸を下から伸ばしても届くとは常識では考えられないので仕方ないところではある。
☆
「お客様、あのお口に合いませんでしたか?」
店内ではヨマヨイタケとチーズのサラダを運んできた給仕が戸惑った顔をして待っていた。この宿屋の長女ナディアである。
「いえ、凄く美味しいですわ。少し二人抜けるだけですぐ帰ってきます」
イザベラがナガマサ達の不在を取り繕う。少女の不安そうな顔を見てすぐさま反応する辺りが貴族風の衣装を身につけても、彼女は貴族ではない証拠だ。
「そうですか。よかったです」
少女は健康的な白い歯を覗かせて微笑む。彼女の黒い肌に白い歯は映える。
「どうぞ、ケテル風のサラダです」
彼女は笑顔でチーズをふんだんにまぶしたサラダをテーブルに置いていく。
ケテルはエルライン公国の首都。
ナガマサ達が進んでいるこの道。このロウハリアを通る街道は20年前までエルライン公国の傘下であったアレスタット国の交易都市ゼーフェンとタイタニア本国を結ぶ山道だった。
その為、現在もエルライン公国の人間がかなりいるのである。
ナガマサ達が宿泊している宿屋グロース・レオンもフッカー家というエルライン公国にある商会の傘下である。




