100. 山路
第3章で出てきた行人草を覚えているだろうか?
『幾つかの種類があるが魔力を注入する事により簡単に生育するので一夜のテントや雨宿りなどに使う旅人が多い。元々は各地に生える雑草の種だが、いつしかこの世界では行人草と呼ばれ使用されている。目聡い商人により、扱い易い種子を集めて販売もされている』
というものだ。
つまり、この植物はこの世界に自生しているもので、動物だけでなく植物も魔力と呼ばれるエネルギーを使用しているという事だ。
その使い方は、その動植物により様々で、先述したナキカズラのように動く事に魔力を使う植物も存在する。ただ、やはり植物は人を襲う触手植物のように得物自ら捕らえる方向に進化するものは少ない。
今、ナガマサ達が旅をしているルキアノス山脈の植物によく見られる傾向は自らの適応できる限界を超える変化に魔力使う事だ。
ルキアノス山脈は主峰のテラ・タヌスの標高8000メートルを始めとして高山のが連なる長大な山塊だ。タイタニアとゼーフェンを結ぶ細い街道もその山々を縫うように開かれており2000メートルを越える地点も多い。
この世界でも森林限界は存在しており、高地では植物相は変わるのだが私達の住む世界とはかなり違う。
猛烈な風と寒さのある高山の頂であっても、植物は生えている。
そこは植物に生息できない過酷な環境ではあるが、同時にルキアノス山地はこのタイタニア文化圏で屈指の濃厚な魔力の存在する地域だからだ。
その魔力は様々な植物の形や性質を変化させテラ・タヌスの頂上でも適応している植物もある。
そして、その植物はその地にすむ全ての動物に恩恵を与える。ドラゴンから虫まで、いや目には見えない菌まで含める豊かな生態系に寄与している。
この山脈にはドラゴンを始め、魔物と称される危険な生物も多数生息している。それはそれらの肉食獣を数倍いる草食獣が山野に満ちているからに他ならない。
☆
ゼーフェンを出発したナガマサ一行は鬱蒼とした豊かな森の下を進んでいる。
タイタニアに向かう旅程の2日目。道は本格的な山道になっているが、80年の魔王禍は細々とした山道を整備させ、ある程度移動しやすい街道へと変化させていた。ただ、山道なので物理的に厳しい。昨日の渓谷沿いの小さな集落を抜けた今日からの道は険しい坂道が増える。また、狭い道も増えるので馬を降りて自分の足で登る必要も多くなる。
「あ、見て見て! なんか可愛いのがいる!」
「姫様、立たないで! それはただのリスです!」
マリーの叫びも空しくレダは馬の鞍からリスのいる木に飛び移る。
元々垂直の壁を苦も無く駆けるレダにとっては坂道などなんでもない。自由に浮かれてはしゃぎ回っている。彼女が魔法の糸を扱えば馬上から木に飛び移るなど朝飯前だ。
ちなみに隊列はナガマサの12人のゴロツキゾンビ達が6人ずつ前後を守っている。山賊はまず出ないが危険な生物は出てくる可能性がある為だ。
その後をナザリオ達、レダ達、ナガマサ達と隊列を組んでいる。足弱なイザベラやマーセラが中央部を歩いているのは言うまでもない。
レダも中央で女官達に護衛されるはずなのだが、彼女は一時もじっとしていない。今もエルザがレダを追いかけているようだが、捕まえられるはずもない。
まさにスパイダーマンのように樹上を駆け回っているのだから。
この高木が並ぶ深い森はレダの能力をフルに生かす事ができるのだ。
だが、レダがはしゃいぎ回っているのに反しナガマサのテンションは全く上がらない。
「って、坂道が厳しいってのは聞いてたし山越えだから覚悟もしてけどよ、これは何だよ?聞いてないぞ」
レダの楽しげな声響く中、ナガマサがゾンビ馬を操りながら愚痴をこぼす。ゾンビ馬は同行しているナザリオの用意してくれたものだ。彼ら老舗のゾンビ屋「エリクサーの瞑眩」が生産してくれた使役しやすく調教されたものである。
日本にいた時は馬など近くて見た事もなかったナガマサだが、一応乗馬はできるようには訓練されている。ただ、乗馬の練習に当てる時間は極僅かなので素人同然である。ナザリオがゾンビ馬を用意していなかったら、ナガマサはほとんどの山道を歩いていただろう。
「何がっすか?」
馬の口を取っているヤンスがナガマサに応える。
一応乗馬ができるようになっているナガマサだが、ヤンスがフォローしているのだ。一年も無い乗馬経験で狭い山道なので仕方ないところだろう。
ちなみにクリスはそのナガマサの後ろを徒歩で歩いてる。
「何って、これだよ! 虫だ、虫! 羽虫が凄すぎだろ!」
「羽虫っすか? まあ、春っすからね」
ルキアノス山脈に春と秋に羽虫が湧くのは常識なのだ。だから誰も特に話題にもしなかったのである。
「いや、多すぎじゃないか? さっきから目とか口とかに飛び込んでくるんだけど・・・」
ただ、ナガマサは半端なく羽虫に集られている。
テンション高いレダがナガマサの元にやってこない理由である。
「ラッキーすよね。おやつだと思えばいいすよ」
最近注目を浴びている昆虫食だが、ゴブリン達は昔から普通に虫を食べている。
いや、山国であるツェルブルクの人間達も好んで虫を食す。なのでヤンスは別に冗談は言っていない。
「・・・」
ナガマサは思わず無言になってしまったが、まだ食べ物が少ない春先に大発生する羽虫はこの地に住むほかの動物にはボーナスのような有り難いイベントなのだ。
ただ、そんな事はナガマサには関係ない。
例え、この異世界中で昆虫食が盛んでも嫌なものは嫌だ。そうと思うくらいの権利はナガマサだって持っている。ただ、彼は不満があっても黙って虫だって食べてきた。結構、ゴブリン達に気を使ってきたナガマサである。
実は一応虫除けの魔道具があり、ナガマサも装備しているのだ。だが、正に雲霞の如く湧いている羽虫の中には虫除けにめげない個体もいて彼に集る。ぶっちゃけるとナガマサの虫除け魔道具の効果で周囲にいるヤンスなんかはまったく羽虫に集られていない。
夜間にライトに集まる虫のように魔力を好む羽虫がナガマサの纏う莫大な魔力に惹かれて大群でやってきているのである。
「もう少しの我慢っすよ。羽虫が大量に湧くのは山の裾野っすから。昼には虫も少なくなるっす」
今もナガマサのゾンビ馬は坂道を登り続けている。ドンドン高度が高くなり、夕方までには今日の目的地であるロウハリアに到着するのだ。
高地にあるその町には羽虫は少ない。
「・・・わかったよ」
ナガマサは鐙に乗せた足を踏ん張りながら答える。彼が乗っている馬は意思を失くした従順なゾンビ馬ではあるが、それ故に乗り手が工夫しなければならない点も多い。山道を歩くよりはましだが、結構疲れるのだ。
☆
昼前にナガマサ一行は道の片側が高木が並ぶ森、もう一方が崖、高い断層になっている場所に到達した。その断層を抉り取って補強した人工的な岩屋が昼休憩の場所である。小さいながら泉も近くにあり雨風を凌げるので緊急時にも避難できる。近年できた設備なのだ。
その場所でナガマサはモロクを冥界から呼び出した。彼が引いている荷車に食料や炊事道具が積んでいるのだ。
ナガマサ一行の道のりが順調な要因の一つがこれである。ナガマサが必要とする大量の荷物を冥界に収納して手軽に移動できているからである。
「あああ・・・」
「うぅ、、、」
ヤンスの想定通り標高が上がったせいか羽虫の数はほとんどいなくなった。
ようやくリラックスできる昼休憩なはずのナガマサだが、彼の周囲はやはり騒がしかった。
「ふぅ・・・」
「・・・」
ナガマサの周囲を12人のゾンビが取り囲んでいるのだ。
別に彼らはナガマサの邪魔をするわけではない。ただただ無言で立っているだけなのだが、時折意味不明な声を出すのである。
ナガマサを守護しているようにも慕っているようにも見えるが、それは彼の指輪の魔法の影響である。彼が装備している指輪は契約の証だけでなく亡者を引き寄せる性質があるのだ。
そのため、久しぶりに冥界から出した12人のごろつき達は何が嬉しいのか、ナガマサの周囲で呻き声をあげているのだ。
正直うっとうしいナガマサだが、ずっと冥界に閉じ込めていた事を少し後ろめたく思っている事もあり、あえて放置していた。
「凄いなナガマサ君良い出来栄えだ。それに冥界法って確か制約も多いんだろ?」
ナザリオは死霊術を授けた教え子のナガマサが作ったゾンビの出来の良さに感心している。
喜んでいるのは12人のゾンビと久しぶりに再会したナザリオ達である。
ナザリオは部下のアルドとコージモを連れてのタイタニアへの帰郷である。
アルドとコージモもタイタニア出身でナザリオと同じタイタニア魔術学院の後輩なので、彼らも久しぶりの里帰りとなる。
故に隊列の先頭を彼らが引き受けているのだ。
「そうなのかな? これ指輪の魔法だから自動的に使ってるだけなんだよ」
ナガマサは彼の背景について全ての詳しいナザリオ達に説明をしていない。ただ、ナガマサは死霊術を学ぶ為にナザリオ達にはある程度彼の実力を晒している。
「自動的って、それ術者の魔法総量が多くないと発動もできない技術だぞ」
長身のナザリオは微笑みながらナガマサに教える。彼から見ればナガマサは一番新しく優秀な弟子だ。どれほど生意気で問題があろうと、教えを全て吸収するできる弟子は可愛い。
「左様。冥界法での魂の出し入れは術者の魔法総量にかかっております」
「然り。故に普通は冥界法で収納するのは小動物の使い魔が定番ですな。ナガマサはやはり規格外です」
アルドとコージモもタイタニア魔術学院で学んだ秀才なので冥界法にも詳しいのである。その魔法を使いこなしているナガマサが一番無知なのだ。
「つまり、冥界法から見てもナガマサ君の膨大な魔力総量が推し量れるという事だ。どのくらいか見当がつくかね?」
今、マーセラが中心となって昼飯を作っている。それにレダが手伝いだがって逆に効率が落ちているのだが、子供ような童心を持ち続けているレダは好奇心のまま動くのである。
その僅かな時間にナザリオ先生の授業が始まろうとしている。
彼は死霊学者であり教育者なのだ。
「そんなのわからない。 どうやって計算するんだ?」
ナガマサは考える方法もわからないのだ。
「左様。確か12名のゾンビを収納しているとか。人の魔法総量は平均して300ほど。そのゾンビの人数だけで総数にすると3600は下らない。まさに膨大な数値ですな」
小柄で丸い体型のコージモが呆れたように言う。
「然り。その上、雄牛に馬が6頭。さらにあの巨大なドラゴン。どう考えてもナガマサの魔法総量は6000以上です。常人の20倍以上とは驚くしかありません」
長身で痩せ型のアルドも肩をすくめる。
ナガマサから見ると、彼らはこの異世界において数少ない友人だ。ゾンビを毛嫌いしない同じ死霊術師なので彼らには結構色々話しているのだ。
特にオタクくさいアルドとコージモはナガマサから見ると歳も近くバイトで知り合った大学生の友人のような感覚なのだ。
まあ、日本での彼にそんな友人はいなかったが。
「それって、かなり多いのか?」
「そうだね。数値的に言うと現在まで計測されたことない数字だね。現行の魔力計測器では2000までしか数値が設定されていないがね」
それは、ナザリオには有意義な数値である。
「おかげでシャルロットに必要な魔法技師の人数も大まかにわかる。ナガマサ君、シャルロットでの魔力使用を比べてみるとどうかな?」
「ええ? そうだな、、、一郎たちを全部出した時の方がかなり消費が大きいかな? 正確には分からないけど」
シャルロットでは集団作業なので、ナガマサへの負担はそれほどでもないのだ。もっともその負担は常人には不可能なのだが。
だが、ナザリオは満足気に笑う。
ナガマサの言葉から導き出される答えと、彼が計算していた概算はほぼ同じだからだ。彼にはタイタニア魔術学院で人員を増やす仕事もあるのだ。
かれらが会話をしている間に昼食の準備ができた。
レダが料理を手伝いだがったので、少し混乱していたがようやく終わったようだ。なんとなくナガマサの周辺把握の魔法は自動的にマーセラからの不満の波動を感じている。ちょっと、そちらを見るのが怖いが、なんとかなったようだ。
「さあ、ナガマサ食べて! ナガマサのは私が作ったから!」
レダが自慢気に料理をナガマサの元に運んでくる。
本人はあまり固形物は食べないのだが、料理を作るのが楽しいのだろう。
レダは全く自然に12人のごろつきを壁を崩壊させ、水が上から下に流れる如くナガマサの隣に座る。その位置にいたアルドは素早く席を譲った。彼女の行く手を遮る者などここには居ないのだ。
昼食なのでメニューは麦粥だけだ。ただ具沢山で栄養バランスは良い。
イザベラの作る野菜中心の料理とは違い、栄養バランスが自然と調っているのがマーセラの料理の特長だ。素人のレダが手を加えても味は意外と美味いのが不思議だ。マーセラの苦労が忍ばれる。
昼食が終われば今夜の予定地まで一気に移動する。
今夜の宿であるロウハリアに向かうのだ。
「いよいよ外国じゃのう。ツェルブルクから出るのは初めてじゃ」
興奮でわくわくしているレダは時に母親の口調が出る。20になるまで憑依されていたのだから、完全に癖になってしまっているのだ。
「俺もだよ。デカイ町なのかな?」
当然ナガマサも、とういうかナガマサ一行は誰もロウハリアに訪れた事のある者はいない。全員初めてである。
「大きいといえば、途轍もなく大きいが少しイメージが異なるかもしれません」
ナザリオはレダが来た事で少し口調が丁寧になる。レダから敬語は無用と言われてもオジサンのナザリオに王族にタメ口は無理である。
「左様。見た目は巨大な岩の像が3つあるだけですからな」
「然り。ただ、地下はとてつもなく広いというか、長いです」
ナザリオ、アルド、コージモの三名だけが、ロウハリアを知っている。
ナザリオは20年ほど前、アルドとコージモは5年前にタイタニアから来る時に通っている。
「地下? 長い?」
「左様。ロウハリアはドワーフ小人の地下都市ですな。地上部分は極僅か。内部の長大な道がルキアノス山脈のを繋ぐ街道になっております」
「然り。ロウハリアとはドワーフの言葉で『地下宮殿』という意味です。我らには宮殿というよう地下迷宮というべきものです」




