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魔王の指輪と壊れゆく世界  作者: 鶴見丈太郎
第4章 タイタニア
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99. タイタニアの常識とレダの事情


 タイタニア文化圏においてゴブリンは亜人ではない。野山に自生する野生動物であり魔物扱いだ。日本における鹿や猪と同じ。

 だから、畑を荒らす誰のものでもない鹿や猪を駆除するように、ゴブリンを虐殺しても基本的に問題ない。狩った鹿や猪を食肉にするようにゴブリンを捕らえ奴隷にするのも違法ではない。それが誰の所有物でもない無主の魔物なら合法なのがタイタニア文化圏の常識だ。

 ツェルブルクのゴブリン保護区とは、タイタニア帝国内での位置付けはマキノ公の領内のマキノ公所有のゴブリンに手を出してはいけない。という法律である。

 貴族の領地で鹿を密猟したら縛り首になるのと同じ事である。

 先述したが、これはルキアノス山脈北部の小国ツェルブルクだけのルールであり、この世界では人間はゴブリンを殺しても基本罪には問われない。

 

 ちなみに、獣とのハーフのような獣人の各民族や食性が人間と大きく異なるサッキュバスや下半身が蜘蛛の姿が本性のアルケニーは亜人の地位を獲得している。

 亜人となれば人間を準拠とした権利を得られ義務を負う事になる。人間社会で大手を振って歩けるという事だ。もちろん、差別はある。それは同じ人間同士でも当然のうように、まるで普遍の真理ように存在している。

 もし、差別が無い社会に生まれたかったら天国か極楽にでも行くしかない。




 


「本当に重ね重ね申し訳ない」

 レダの豪華な馬車の前で一級市民のマリーがゴブリンのヤンスに深々と頭を下げる。今、馬車内は臨時の救護室となっている。


「クロエさんも考えがあったんすよ、きっと。気にしないで欲しいっす」

 それに笑顔で答えるヤンス。

 また、クロエがやらかしたのだ。

 それは彼女なりのプライドや計算があったのかもしれない。

 だが、それは結果的にダダスベリした。


 狼人の少女マーセラの言葉の一撃でナガマサがあからさまに沈み込んだのを見たクロエは自らの能力をアピールしようとした。

 彼女を兄クランツの件で手厳しく糾弾していたマーセラへの意地もあったのかもしれない。

 クロエは突然ミリアに催淫効果、つまり理想の異性の夢を見せようとしたのだ。彼女なりにいやな目に会ったミリアに良い夢でも見せてやろうとしたのかもしれない。だが、それは紛れも無い精神攻撃だ。

 いきなりのご主人への攻撃と判断した犬騎士のスベンが躊躇なくクロエへ襲い掛かり騒動になってしまった。

 何故クロエがそんな事を急にしたのかは本人に聞くしかないが、本気のスベンの攻撃で左手首を噛み砕かれる重傷を負った為、現在治療中である。

 おかげで民会は中止。ミリアも表面上の要求は100%通っているので恐縮して帰るしかなかった。


「そう言ってもらえると助かる」

 ヤンスに頭を下げながらマリーは不快にざわつく胸中を必死に押さえる。

 目の前にいるこのゴブリンは名門の一級市民であるマリーに対して堂々と目を見て笑いかけているのである。彼女がよく知る召使らのゴブリンは決して貴人の目を見ない。視線を外すように躾けられているからだ。

 そして、笑っているのもマリーにへつらっているいるようには到底思えない。背の低いゴブリンが下から彼女を見下げているように思えて仕方ないマリーなのだ。


「それより、ミリアさんの件大丈夫っすよね? 」


「ああ、もちろん。任せてくれ」

 何故このゴブリンがハルトマンと祖父の関係性を知っているのか? マリーには全く理解できないが同じ一級市民でも序列は隠然とある。その上に、同じラルンダの王室派でハルトマン家はシャオ家の格下なのだ。なんとかなるだろう。

 ただ、笑みを向けてくるゴブリンがムカつくマリーである。

 ゴブリンの言うがまま、ヤンスのシナリオ通りに動かざるを得ない情況なのが彼女のプライドを刺激しているのだ。

 ヤンスがナガマサのゴブリンでないなら怒鳴りつけて、むかつかく笑顔を消してやる所なのだが、今ヤンスの協力は必須である。

「それにしても、ナガマサ様こそ大丈夫なのかな?」


「何がっすか?」


「いや、大魔法使いであるのは承知しているが端女の言葉で平静ではなくなられたようなのでな」

 言わなくてもよい事をマリーは口にした。

 ヤンスへのムカツキがナガマサへの心配という形で表に出したのは、ヤンスへのあてつけである。


「ウキャキャ! 何の心配も要らないっすよ。痛いところを突かれて凹んでるだけっすから。少し一人にしとけば元に戻るっすよ」

 ナガマサは凹むと一人になりたい方なので、まだ礼拝堂にいるだろう。ナガマサ一行はそれを知っているので彼は今放置されている。もちろん一人といってもクリスがついているが。

 今はクロエの治療に人手がいる事情もあった。現在、クロエの治療はイザベラとアンヌが中心になって行っている。


「そうか? 下女の言葉で?」

 ヤンスというゴブリンを理解していないマリーは彼の言葉をそのまま受け取ってしまう。無意識にゴブリンを下等な生き物だという常識を持っているのだ。

 そのうえ、取るに足らない召使の言葉に凹むナガマサの思考がマリーは理解できない。ナガマサの行動は賞賛されるものではないが、よくある話なのだ。


 だが、マリーの言葉にヤンスがため息をつく。

「マリーさん、そういうのナガマサ様が凄く嫌うっすよ。人に上とか下とかつけるのダメっす」


「――」

 マリーは絶句して顔面が紅潮してくるのを感じている。

 シャオ家は代々一族に厳しい訓練を課し能力主義を家訓としているが、貴人に生まれついた選民意識は拭い難く持っている。

 貴族の存在価値は人の上下があってこそなのだ。




 ゼーフェンの町は街道とナウル湖を活かした水路が交わる交通の要衝だ。

 その街道を西へ向かえばツェルブルク、ナウル湖を越えて東に向かえばアレスタットの首府サメフでさらに東に行けば、ツェルブルクと敵対しているエルライン公国。北に向かえば北海の強国フレスベルクへ到達する。

 その城の大広間では、その夜の夜会への準備が終わろうとしていた。

 マキノ公主催の夜会であり、フレスベルクの大使を招いた大規模なものである。ツェルブルクにとってフレスベルクとの友好は反タイタニア帝国の中心であるエルライン公国へ対抗する為の重要なものなのだ。


「ナガマサは何故来ないのじゃ? マリーは?」

 レダが女官に問いかける。彼女は人に命令する時は母親の口癖がつい出てしまうのだ。今彼女の周囲にいる2名は護衛役を兼ねているだけでなく、女官としてもレダのお気に入りだ。

 彼女達は18歳のエルザ・プラタネと19歳のサワ・シーグレン。精神年齢が低いレダにとって友達感覚で話せる2名だ。


 レダの言葉に即座に背の低い方エルザが応える。

「確かに遅いですねぇ。ちょっと、見てきますね」

 言葉はゆっくりだが動作は機敏なエルザはすぐさま走り去った。 

 彼女はレダの4人の女官で唯一のイエソド人で、がっしりした低身長と怪力というイエソド人の特長を備えた騎士だが、名家の生まれではなく本来姓名を持たない地元の一般人である。プラタネは彼女の出身村の名前で、それを正騎士になった時に姓名としたのだ。

 その彼女が正騎士になれたのは、ツェルブルクの学校制度のおかげだ。つまり、彼女はイザベラの後輩、ミリアの先輩にあたる武芸の特待生なのだ。

 庶民の彼女を引き立ててくれたツェルブルク王家への忠誠心はとても高く、レダの女官の中では飛びぬけた腕利きである。


「ああっ! 返事を待たずに行っちゃた。母上からパーティに出るなって言われたから暇なだけなのに」


 レダの言葉に一人残ったサワは細いタレ目を糸の様にして微笑む。

「姫様がお許しいただければ私がナガマサ様に連絡をお取しましょうか?」

 サワは背が高い訳ではない、容姿は中肉中背の凡庸なタイタニア人だ。

 ただ、能力は優秀で念話能力と霊能力、周辺把握魔法と多彩なスキルを使いこなす上、この世界では珍しい銃士だ。 

 異界人が昔からちらほらとやってくるこの世界では、かなり古くから銃も大砲もある。それは戦争だけでなく飛龍などの空からの脅威への有効な対抗策としてタイタニア文化圏では広く採用されている。

 なんせこの世界で空を飛ぶのはドラゴンだけではないのだ。上空への警戒は当然の備えなのである。


 ちなみにサワが腰に下げている銃は着火方式や火打ち方式ではなく、銃身の後端に魔道具を取り付けた魔道具式である。

 この世界はまだ工業化してないので銃は名のある職人の完全オーダメイドの為、かなり高価。その上火薬が恐ろしく高く入手しにくい。

 何故なら、この世界の硫黄は入手が難しい為である。ただでさ硫黄の採掘には二酸化硫黄など毒性の高い火山ガスなどの危険がある上に、この世界ではそういう環境を好む魔獣が跋扈している。それは、必然的に硫黄採取のコストを跳ね上げる事になり、火薬は高価で入手しにくい商品となるのだ。


「う~ん。いいよ。もう、エルザが行っちゃったしね」

 レダは別にナガマサにもマリーにも用があるわけではない。

 母親のラルンダから、部屋で待機するように命じられて暇なだけなのだ。


「今日だけ我慢なさってください。今夜だけです」


「うん、そだね。これでようやく本当に自由の身だよ」

 

 今夜、マキノ公の社交界デビューなのである。これまで、ラルンダに憑依されていたレダはその事態が露見する事を恐れてほとんど人前に出る事はなかった。

 唯一レダがこれまで人前に出るのは大祭の巫女の時だけだ。

 だが、その時もミフラ神の祭祀者として周囲をゴブリンハーフの神官で固め仮面を被っていたので他国の貴人がマキノ公をまともに見る事はなかった。

 

 でも、それも今夜まで。

 ナガマサによりレダそっくりの容姿で死霊のラルンダは蘇った。

 今夜から彼女はレダとして、2代目のマキノ公として生きていくことになる。

 レダはマキノ公そっくりの王家の庶子となる。王族としての権利も継承権も無いが、その代償としてレダが何より望んだ自由がある。

 母子合意の上でのことである。

 これによりラルンダは死霊学者ナザリオが確立させた死者を蘇らせる秘法・シャルロットの事例から彼女は除外される事になった。レダの希望である。

 レダには政治は無理だし、ツェルブルクにも執着もない。彼女は自由に生きたいのである。自分がマキノ公であった過去、ミフラ神の巫女であった事実は無かった事にして、これから自由に生きて行きたいのだ。

 そして、自由を謳歌する為の金はふんだんにある。彼女が本来継承すべきだった莫大な財産は全て母親のラルンダに譲り渡したが、この母親はレダに負い目があるだけに彼女にメッチャ甘い。

 突然現れて彼女を自由にしてくれたナガマサはレダにとって正に救世主。

 彼女は既に救われている。

 だから、彼女はミフラ神も世界の事情も関係なくナガマサに協力しようと思っている。彼女がナガマサを気に入っている間は、である。

 なにせ、レダは誰にも制約を受けない自由な身分なのだ。

 彼女には世界の危機もナガマサがミフラ神の使徒である事も特に関心はない。





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