表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

もう一人の自分

作者: 礼生

真っ暗だった部屋に明かりが灯る。

部屋の中は案外広い。滅多なことがない限りこの部屋は使わないようにしていたため、この光景を見られるのも随分久しぶりだった。

自分の中で決めた待ち合わせ時刻はもうすぐだ。

部屋が見渡せる席に私が座ると、遠いほうから小さな足音が聞こえてくる。

広々とした部屋を見渡しながら、彼女は私の方へ近づいてくる。

私の姿を認めると、彼女は小さくお辞儀をした。

真っ白な壁にかけられた時計を横目で見やると待ち合わせ時刻ぴったりである。

「よく来てくれたね。時間通りだ」

部屋には長い机と大量の掛椅子があり、私は一番奥の席に座ることになった。対して、彼女はその向かい側の席、入り口に近い席に座ることになる。

「だいぶ冷えました」

彼女は机の上に乗っているメニューを抜き取り、何か飲み物を頼みたいと言った。構わないよと言い、呼び鈴を鳴らす。やってきたウェイトレスと数秒のやり取りをする。

--ホットコーヒーで

--砂糖とシロップは

--...付けてください

--かしこまりました

ウェイトレスが部屋から出て行ったと同時に私は口を開いた。

「今日は君に話したいことがあってね」

「なんでしょう」

彼女は妙にそわそわしていた。確かにしばらく会っていなかったが、私の知ってる限りではここまで緊張する人ではなかったはずだった。

私はそのことを顔には出さないようにして話し出す。

「君を主人公にした小説を書きたいと思ってるんだ」

「...私をですか?」

彼女は顔には出さなかったがひどく迷惑そうな雰囲気を醸し出していた。

「どうしても書きたいんだ。だめかい」

「いったいどんな話を書くつもりなんです」

ウェイトレスが再びやってきて彼女にホットコーヒーを渡す。彼女は小さく会釈した。

「君が思ってること、考えてることを書くんだよ」

「どういうことですか?」

「君は自由人になるんだ」

彼女は怪訝な様子で先ほど来たコーヒーに砂糖を入れる。

「私が思ってることをそのまま書くということですか」

「そうだ」

「そんなの無理です」

コーヒーに口をつけ、ほうと息をつく。彼女はやけに寒い場所にいたらしい。もっとも私が彼女をそうさせていたのだから仕方ない。

カップを置くタイミングで私は彼女に尋ねた。

「どうして」

「私はあなたではないからです。自分の思ってることなんて他人の人が書ける訳ないじゃないですか」

「確かにそうだ。けれど私と君ではそうじゃない」

「どういうことですか」

「君は今までずっと私に縛られて来たのだ」

ここでようやく彼女は重くのしかかった何かが離れていくのを感じたらしい。徐々に顔に色が戻ってくるのを感じた。

そうだ、これが私の覚えてる彼女だ。

「私がこの小説を書く代わりに、君を自由にしようと思う」

「それは矛盾してます」

「どんなふうに」

「私が自由になっても、あなたが書く小説の中では結局のところ私を縛っていることになります。これでは私が自由になったとは言い切れません」

「いや、そうではない」

息とついて彼女に全てを打ち明ける。

「私は君であって、君は私自身なんだ」


「私は君なのだよ」

彼女はあっけに取られたように顔をぐにゃりと曲げていた。

「頭がおかしくなったのかと思いました」

私は笑った。彼女の困惑した顔を見ていると今こうして話している状況が滑稽な気がしたからだ。

「すまない。でも事実なんだよ」

「つまりこの空間も全てあなたが作り出した世界だと言いたいんですか?」

「その通り。この世界を作り出したのも私だ」

「そして、私がここにいるのも」

「私がそうさせたいと思ったからだ」

飲みかけだったコーヒーが瞬時に消える。広々とした部屋も突如として誰もいない教室に変化した。

彼女はもう驚いていなかった。既に彼女に中には確信した何かを持っているようだった。澄んだ目は私を一直線に捉えていた。

「なるほど、こうして私を縛ってたわけですね」

「君のことは確かに今までずっと縛って来た。けれどそれもやめにしようと思ったんだよ」

「どうしてです」

「勿体無いからさ。せっかく頭の中で色々考えてるのにそれを表に出さず心の中に仕舞っておくのはね」

広い部屋ではなく教室となったあたりを見渡しながら、彼女は小さく呟いた。

「私は一体何者なんでしょうね」

「だから言ってるだろう。君はもう一人の私だ」

「いや、あなたとは違うと思うんです」

あたりをうろうろしながら彼女はもう一度唱えた。

「あなたと私は違う」

私は不思議とこう言われると思っていたのだ。それは私が彼女であり、彼女の身になって考えてみたからだった。

けれどそんな心と裏腹に私はそれを許せないようだ。私は一人であり、二人はいらない。けれど心は二つある。私と彼女の間にはそんな厚い壁があったというのだろうか。

「私は君を作ったんだ。どう違う」

「その考え方です。私はあなたが一人だと思ってました。確かにあなたは私と同じところがあるのかもしれない。その証拠にあなたが考えていることに少しだけ理解できるところがあります。けれど全てが理解できるわけではない」

「どういうことだ」

「私たちは独立した存在なんです」

「そんなはずはない!」

私の中の何かが彼女に猛烈に抗議しだした。彼女はそれを言葉でかわす。

「人間の心の中は色々な考えであふれています。その中には対立した考えを持ったものが含まれているんでしょう。私たちはその二つなんじゃないでしょうか」

「人は一人なのだから、私たちも一人だろう」

「じゃあ今まで私を縛って来たのはなぜです」

「それはいろんな考えが起こるのを防ぐためだ」

「ほら、私たちは別人じゃないですか。いろんな考えを持ってしまうから私を縛って来たんでしょう」

「違う、違うんだ」

私は恐怖を覚えた。今なら分かる。彼女はもはや私の知っている彼女ではなくなってしまっていると。私が解き放ってしまったばかりに彼女は己の考えを示すようになったのだと。

そしてそうなってしまうのではないかと私も予想していたということも。

なぜ気づけなかったのか。

それは私が常に考え続けていたからだった。

「私とあなたは別人。けれど少しは通じる部分もあるということです」

なにせ考えてる頭は同じなんですから、と言った彼女は私が消したはずのコーヒーを再び召喚した。

「あー、せっかくのコーヒーが冷めちゃったじゃないですか」

私は私たちを管理する一人の人間に同情を覚えた。今までこの人は私の考えに従って行動してきた。しかし今私が彼女を解放したことで考えが増大したことだろう。一体どの考えを採用すればいいのだと頭を抱えるかもしれない。

そう、それもまた一つの方法なのだ。

少し落ち着こうと深呼吸する。少しだけ間ができた。彼女は何も言わず待ってくれる。

ようやく私は沈黙を破る重たい口を開いた。

「私は今まで君を縛ってきた」

「どうして」

「余計な考えが出てくるからだ。君が考えていることは直接私の中に入り込んでいく。それが私の考えと少しでも違えばどれが自分なのか見失ってしまうのだ」

「どれも私だと思えなかったんですか」

「考えてみなさい。例えばスーパーでトマトがいつもより安く売ってたする。できれば買いたいが、その日の夕飯はシチューを作る予定だった。そのため、トマトは諦めるべきだと考えた」

「はい」

「けれどそこで君が今日の夕飯は変更してサラダを作ろうと考えたとしよう。シチューに入れるはずだったジャガイモは家にあることだしポテトサラダにするのも悪くないと思ったわけだ。するとどうだ。私のトマトを諦めるという考えと対立するじゃないか」

「そうしたらどうなるんですか」

「結局私はトマトを買えばいいのかどうか分からなくなってしまう」

「なるほど」

なんでスーパーの例が上がったんだろう、とぶつぶつ考え込む彼女はやがて理解したのか大きく頷いた。

「そうすると私も迷いますね。私がこの道を進もうと思っていてもあなたに別の道を指摘されるということもあるということなんですね」

「そうだろう。だから私は君を縛ったのだ」

「けれどそれって逆に良かったりする所もあるんじゃないですか」

「また私とは違う考えを示すのかね」

「はい...でも私を解放してくださったおかげでこうした機会が生まれたんですし。私とあなたも分かり合えると思うんですよ。話し方次第では」

ぴくんと彼女の髪が跳ねた。コーヒーを温める事が出来ることに気づいたらしい。もはやこの場所も私だけの場所じゃなくなっている。私は少しだけ寂しい気がした。

「これからも私たちで議論をしていこう」

「いいですね。してどんなことを議論しましょう」

「考えをだ。私が考えたことについて君の意見も聞きたい。この空間も自由に生み出せるのだからここで色々話し合っていこう」

「小説についてはどうするんです」

「君が書いたらいい。それで私を分からせてくれたらそれで良し。その中で君は一体何者なのかを探していけばいいんじゃないか」

「合点」

今まで縛られた世界にいた分、彼女には精一杯自分探しをしてもらいたい。そういう意味で私は彼女に謝りたいと思っているし、彼女にも自由に考えられる権利をあげようと思ったのだった。

最初にあった時の虚ろな表情だった彼女の顔色もすっかり消え去り、今は一転して楽しげな表情を浮かべている。


かくして私と彼女の話し合いはひとまず決着を迎えたのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ