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「湛慶とその弟子」

作者: 大山哲生

  「湛慶とその弟子」  作 大山哲生

建長元年(1249年)のある日のことであった。

仏師・湛慶は自宅の庭を眺めていた。そこに早馬のかける音がし、朝廷の使者が飛び込んできた。

「湛慶殿、大変でござる」

「なにか、あったのか」

「三十三間堂が炎上いたしました」

「なに、それで仏像は、仏像はどうなった」

「なんとか、百二十五躯は救い出したのですが、あとは・・・」そう言うと使者は涙ぐみ始めた。

「それで」

「それで、後嵯峨上皇より焼けた八百七十六躯を新たに作り直せという勅命が出てございます。湛慶殿には、京都と奈良の仏師に総動員をかけていただき仏像の再建をお願いしとうござる」

湛慶はそれを聞くと、「お引き受け申す。これが生涯の最後の仕事になるやもしれぬが魂込めて務めまする」

「そう言っていただけるとありがたい。上皇様もさぞお喜びになるに違いない」

 そう言うと使者は帰っていった。

 湛慶は京都に行き、慶派、院派、円派の仏師を集めて言った。

「我々は、今まで京都と奈良で別々に仏師として仕事をしていた。しかしながら今回八百をこえる千手観音を再建することとなった。ここに至っては、京都の仏師も奈良の仏師もともに手を携えてまいりたい」

 誰も異議のあろうはずもなかった。

 湛慶は、最も若い弟子である尚右を自分の部屋に呼んだ。

「今日、ここに呼んだのは他でもない。こたびの三十三間堂の千手観音の一躯をそなたにまかせたいと思う」

尚右は驚いたが「謹んでお受けします。ただわたしは弟子となってまだ日が浅い身。どれほどのことができるかわかりませぬ」と言った。

「今のおまえなら、木の中から観音様を削り出すことができよう。心を研ぎ澄ませてのみをふるうがよい」

「は、ありがとうございます」

 尚右は、自分の庵にもどると、あらためて大変なことを引き受けたと思った。わざわざ湛慶師に直々に声をかけられたことが、さらに心の重荷になっていた。

次の日から、切り出された太い丸太を前にして正座をする日々が続いた。

「おれには、見えぬ。木の中におわす観音様が見えぬ。どうすればよいのか」

 悶々とする日が続いたが「そうか、おれは信心が足りないのだ。信心が足りないから観音様が見えぬのだ。ここは深く観音様に帰依することが肝要だ」そう考えた尚右は、次の日から丸太の前で観音経を唱え始めた。少しでも観音様のお姿が見えるようにとの思いであった。

 毎日の観音経の読経は三年の間続いた。

 風のうわさでは、兄弟子たちはすでに千手観音を一躯ないし二躯を仕上げたらしい。尚右は内心焦った。

 それでも、のみは持たずひたすら観音経を唱える日々がつづいた。

 湛慶は、尚右のことが心配になってきた。

「あやつは、腕はいいのだが少し考え込みすぎるところがある。のみをふるっているうちに観音様の姿が見えるというのに」

 四年目の夏を迎えようとしていた。

 ある日のこと、湛慶は弟子の三州に尚右のようすをさぐりに行かせた。

「三州よ。尚右が東山の庵にこもってなんの音沙汰もない。ひとつ様子を見に行ってはくれぬか」

「わかりました。尚右には、師が気にかけておられた旨を伝えます」と三州は言った。

 三州は、尚右の庵につくと「おーい、尚右よ、いるのか」と声をかけたが、なんの応答もない。「さては、尚右め、怖じ気づいて逃げ出したか」と庵の裏から入ってみると、見事な千手観音が一躯彫り上げられていた。

「なあんだ。ちゃんとできているじゃないか。なあ、尚右よ」しかし、尚右の返事はない。あたりをさがしまわったが、尚右の姿はなかった。

 三州は、このことを湛慶に報告した。すぐさま、尚右の千手観音は三十三間堂に運び入れられた。

 尚右の千手観音を見た湛慶はうなった。「すばらしい出来だ」

 後嵯峨上皇が再建を発願されて十六年が経った。

 八百七十六躯の千手観音が並べられ、救い出したものと併せて千一躯の像が元通り並んだ。

湛慶はすでに亡くなっていたが、公家や仏師の見守る中、華々しく開眼法要が営まれた。千手観音はすべて金箔がほどこされ、その輝きはまばゆいばかりであった。

 結局、あれから尚右の行方は知れなかった。三州は、法要の読経を聞きながら尚右のことを考えていた。そのたびに、切ない気持ちになるのであった。「いまごろ、どうしておるのか。これほど出来のよい観音様を彫り上げたのだから、誰に遠慮もいらぬのに」

 前から二列目に尚右の千手観音は並べられていた。それを見ながら三州は、はっとした。尚右の作った観音様の横顔やほほのふくらみ加減が尚右に生き写しであることに気がついたのである。

「さてはあやつ」

 あの日尚右は夢の中で観音様と会い「どうか私に千手観音像を彫らせたまえ。そのためにこの命差し上げるともいささかも悔いはない」と願をかけ、命と引き替えに千手観音像をいただいたのだった。

三州は「尚右よ、わしはおまえのことを生涯忘れぬ」そうつぶやいた。そのとき、尚右の作った千手観音像が少しほほえんだように見えたということである。


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