カシスの街と、冒険者仮登録
「凄い、人間だらけだ!!」
ハルは初めて訪れた人間の街に興奮し、思わず周りの人に聞かれたら変な目で見られそうなことを口走っていた。しかし、それも仕方ないことかもしれない。生まれてすぐに獣人族の義父に拾われ自分以外人間のいない亜人の国で暮らしていたのだから。
幸いにも周囲の人たちは誰も聞いてなかったらしい。黒髪黒目というのはこの辺りでは珍しい容姿ではあるが、まったくいないわけでもない。田舎から初めて街に出てきたお上りさんのような少年にいちいち注意を向けている人はいなかった。実際にはハルが暮らしていた所の方が遥かに都会だったのだが。
ハルは歩きながら街の様子を観察する。見た限りの範囲では人間族しかいないようだ。街を歩いているのは買い物中の主婦と思われる人たちが3割、武装した人が2割(この内の大部分である兵士とは違う装備をしている連中が冒険者だろう)、商人や仕事中と思われる人が2割、遊んでいる子供が1割、寛いでいる老人が1割、その他1割といったところか。思いのほか冒険者と思われる人の割合が多い。冒険者ギルドに登録している証であるギルドカードが身分証明に使えることから見ても冒険者ギルドというのはかなり大きく、影響力のある組織なのだろう。
ハルはそのまま街を歩き回り、商店が多いところ・民家が多いところ、人が多いところ・少ないところ、治安のいいエリア・悪いエリア、警備兵の詰所やこの街の領主の館の位置、外に通じる門の位置、咄嗟に身を隠せそうなところや、いざという時に使えそうな空家などの地理情報を素早く頭の中に入れていく。基本的に自由に過ごしていいと言われているが、ハルは一応調査団の長期任務という扱いで人間の世界に潜入している。気になることがあったら情報収集に乗り出したり、奴隷として扱われている亜人族を発見したら国へ報告、あるいは保護のために動く可能性もある。ひょっとしたら他の調査団員から手伝いの要請が来ることもあるかも知れない。潜入者という立場である以上不測の事態に備えておく必要があった。
「とりあえず、こんなものでいいか。そろそろ宿でも探そうっと」
数時間かけて街の中を一通り把握したハルは、先ほど歩き回りながら目星をつけておいた良さそうな宿屋に向かった。『清風亭』という宿屋兼料理屋で、見た目はやや古そうで質素ながらも隅々まで手入れがしっかりと行き届いておりハルの目に留まったのだ。中に入ってみるとやはり古いながらも清潔感がある。ハルはさらにこの宿に好印象をもった。
「いらっしゃい。宿泊のお客様?それともお食事のお客様かい?」
受付の奥から40歳くらいの威勢のいい女性が出てきた。この宿の従業員らしい。
「泊りの方で。部屋、空いてますか?」
「ああ。今、一人部屋なら空いているよ。そこでよかったかい?」
「うん、それで大丈夫です。とりあえず1泊分お願いしまーす」
「1泊朝食付きで5000Jだ。先払いになるけど構わないかい?」
「大丈夫です」
ハルは、アイテムボックスからあらかじめ出してあった人間世界のお金の入った皮袋から大銀貨を1枚取り出して女性に渡す。大銀貨1枚が5000Jである。
「確かに。それじゃあこれが部屋の鍵だね。朝食は宿泊費に含まれているから食事の際お金は要らないよ。昼食、夕食は別料金になるけどここに泊まっているお客様は1割引きで食べられるからね。食事は一階の食堂で食べられるけど、希望があるなら部屋の方までお持ちするよ。お湯は一日に大型の桶に1杯までは無料。2杯目からは1杯あたり500Jいただくからね。私はこの宿の女将をしているアンナだよ。分からないことなどがあったら気軽に声を掛けとくれ」
「わかりました。よろしくお願いします」
ハルは鍵を受け取って2階に上がり自分の部屋に入る。一人部屋なだけあってそれほど広くはないが、落ち着いた雰囲気の部屋だ。ここでならゆっくりと休めるだろう。
満足げに頷いたハルは宿を出ると、今度はいよいよ冒険者ギルドに向かって歩き出した。
「ここかぁ。結構大きな建物だな。早速入ってみるか」
ドアを開けて入ってみるとなかなかに騒がしいところだった。建物一階の右側に冒険者ギルドの受付があり、その奥でギルドの役員と思われる人たちが働いているのが見える。受付はかなり広く今は5,6か所で受付の女性が冒険者への対応に当たっていた。
一階の左側は酒場になっているようで受付と対になっている場所がカウンターになっており、その奥は調理場になっているようだ。左右の空いているスペースにはいくつものテーブルや椅子が置かれており昼間からあちこちで酒を飲んで騒いでいる人がいる。
また、受付と酒場のカウンターのスペースの間には階段がありここから2階に上がれるようだ。1階の様子はこんな感じだ。
ハルは、手前の冒険者の列に並んだ。自分の番が来るのを待ちながらさりげなく周りの人の様子を見る。年齢層はばらばらだが、7割は男だ。みんなハルより体格がいい。ハルは背は低くはないが高くもない。体つきは細い方だ。中性的な顔立ちでしかも童顔なため何度か女子と間違われたこともある。猟兵団の打ち上げで悪乗りした上司がハルに女装させ、その場にいた者の一部が何か新しい扉を開きかけたことは秘密だ。
ふと隣の列を見るとライトブラウンの髪をショートカットにした、ハルと同じくらいの歳の美少女が並んでいた。要所を強化した何かの魔獣のレザーアーマーにショートソードという軽装だ。派手さはないがハルの目からみてもまずまずの装備だ。今、ギルドにいる冒険者の中では一番いいものではないだろうか。少女自身もなかなかの手練れのようだ。立ち振る舞いに隙がない。彼女の前に並んでいるスキンヘッドの大男よりも実際は遥かに強いだろう。
(あの子はここのギルドのエースってとこかな?いや、それにしては注目を浴びていないよなぁ。冒険者ギルドは世界中にあるらしいし他の街のギルドからこの街に来たばっかりってところか?まあ、同じくらいの年齢の子が冒険者としてやっているとわかっただけでもよしとしよう)
そんなことを考えていたらようやく前のグループがいなくなり、ハルの順番がやってきた。
「すみません。冒険者として登録をしたいのですが。」
「登録ですね。登録料として5000Jかかりますが・・・はい、確かに受け取りました。少々お待ちください。」
受付の女性は近くの棚から手のひらサイズのカードを持ってくる。
「こちらのカードに素手で触れていただけますか。」
と言うのでカードに触ってみると、文字が浮かび上がってくる。
『ハル・アルダートン』 冒険者ランクF 0ポイント
「これで、冒険者ギルドへの登録は完了です。ギルドカードは再発行の際50000Jいただきますから紛失されないようにご注意ください。それでは、ギルドの設備を紹介しますね。1階には、受付と、クエストボードと酒場があります。受付では、依頼の受注と報告ができます。また依頼を出すことも可能です。素材や薬草などの買い取りも行ってます。クエストボードに関しましてはまた後でご説明しますね。酒場ではお酒はもちろん食事も可能です。次に、2階の説明をさせていただきます。2階で冒険者の方がよく利用されるのは資料室ですね。魔獣や植物の図鑑など冒険者の活動に必要とされるようなものを集めています。傷めたり紛失したりされない限り無料ですので積極的にご利用してみてください。その他にはギルド職員の部屋やこのカシスの冒険者ギルドのギルドマスターの執務室があります。他に、重要な依頼等の相談などに使われる個室などもあります。また、ギルドの裏側に冒険者なら自由に使っていただける訓練場もあります。以上がギルドの施設の説明になりますがここまでの説明で何か分からないことはありましたか?」
「いや、大丈夫です。」
「それでは、次に冒険者になるにあたっての注意事項を言っておきますね。まず、冒険者ギルドは冒険者が依頼の際に命を落とした場合一切の責任を負いませんのでご了承ください。また、ギルドは、余計な犠牲を出さないために冒険者ランクと言うものを設定しています。これは、上からS、A、B、C、D、Eとあり、ランクが低いほど受けられる依頼に制限が付きます。現在この大陸の中でも3名しかいませんがSランク冒険者なら全ての依頼を受けられますし、Cランク冒険者ならC~Eランクの依頼、Eランク冒険者ならEランクの依頼のみとなっております。ただし、優秀な新人の冒険者などに対しギルドから1つ上位のランクの依頼を受けることができるようになる認可状が与えられることもあります。これは優れた冒険者をなるべく早くランクアップさせるための措置です。ランクについてですが、依頼をこなすごとにポイントが入るようになっており、これが一定の数値を超えることで次のランクへ進めるようになります。ただし、求められる技能の関係から、ランクアップの際に、講習を受けたり試験を受けて合格することが条件になっているランクもあります。このポイントは依頼の難易度で決まります。また、依頼の内容しだいではボーナスでポイントを追加する場合もあります。
なお、今あなたのギルドカードに表示されているFランクですが、これは見習い期間であって、あくまで仮登録ということになっています。Fランクの方には冒険者として生きていくために必要な知識を身に着けてもらうための講義と、戦う技術を身に着けてもらうための戦闘訓練を含めた冒険者講習を受けていただく必要があります。この講習はギルドへの泊まり込みとなっております。丁度、明日から次回の講習が始まりますね。期間は最短で1週間となっております。1週間たっても必要な知識と技術が身につかなければ講習を終えられません。ちなみに冒険者講習は素行に問題有とされた者や、何度も依頼を失敗している者に対してギルドの方から参加命令を出す場合があります。これは、『出戻り』と言われ、かなり不名誉なことなのでそんなことにならないようFランクの内にしっかりと冒険者に必要なことを学んでください。Fランクの間は一部を除いては依頼を受けることができません。そちらはこの後説明いたします。ギルドの設備につきましてはご自由にご利用ください。
依頼に関してですが、普通依頼と指名依頼、緊急依頼に分けられます。普通依頼は、ギルド1階のクエストボードにランクごとに依頼書が張られており、それを受付まで持ってきていただくことで受けられる依頼です。ただし、この中に常時依頼というものがありこれに関しては受付で依頼を受けるのではなく内容を達成した際に証拠となるものを持ってきていただく形になります。常時依頼に関しましてはFランクの方でも受けられます。指名依頼は依頼者、もしくはギルドが指名した者が受ける依頼です。基本的に難易度が高いものが多いですが、その分報酬も良いものが多いです。これは、指名されても断ることができます。緊急依頼は文字通り急を要する際に出される依頼です。これは、指名という形や、一定以上のランクを持つものなどその時により召集対象は変わりますが、ほとんどの場合断ることはできません。断ると様々なペナルティーが与えられるので、注意してください。
最後に冒険者ギルドは冒険者のプライベートには基本的に干渉しません。ただし、冒険者の品位を著しく貶める行為をしたものは粛清の対象になるのでご注意ください。何かご質問はありますか?」
「いえ、大丈夫です。明日からの冒険者講習に参加したいんですけど」
「承りました。それではこちらの方で手続きをしておきます。それでは明後日、7月6日の第二点鐘までに受付までお越しください」
「第二点鐘?」
「ああ、街に来られたのは初めてだったのですね。失礼いたしました。街では1日を8等分しその時ごとに鐘が鳴るようになっています。とはいえ夜間に鐘が鳴らされたら安眠の妨害になるので実際は1日に5度鐘が鳴ります。早朝の6時に鳴らされる1度目が第一点鐘、午前の9時に鳴らされる2度目が第二点鐘、正午の12時に第三点鐘といったものです」
「なるほど、便利ですね。ありがとうございました」
そう言って、ハルは受付を離れた。街を回っている時に鐘が鳴っているのを聞いたがそれが今日の第三点鐘だったようだ。便利な仕組みだと思う。まあ、ハルはユーヤ国製の時計を持っているのでなくても困らないのだが。ただ、時計が出回ってないため、街の人は鐘の音を基準にして生活しているようだから意識しておいた方がいいだろう。
「それにしてもまだ依頼受けられないのかー。ああ、いや常時依頼ってのはやっても良かったんだったかな。クエストボードってのを見てみるか」
ギルドの右側の壁に大きなボードが取り付けられていた。ボードにはランクごとに仕切りがあり、建物の奥から手前にかけてS、A、B、C、D、E、常時依頼となっていた。ハルは常時依頼のボードの前に立ち内容を見てみる。
・薬草の採取 10本につき100J
・フロワ草の採取 1本につき50J
・ゴブリンの討伐 1体につき100J
・マッドラットの討伐 1体につき50J
・スライムの討伐 1体につき100J
「うわー、報酬少な。なるほど、これじゃあFランクでは生活するのは厳しそうだ。面倒でもみんな講習を受けるようになるよな」
隣のEランクのボードを見る。
・フェザー草5〜10本の採取 一本につき500J 依頼達成で1P
・ウルフの5対の討伐 3000J 依頼達成で2P
・建物の解体の作業員(1日拘束、力に自信のある方歓迎) 日当5000J 依頼達成で2P
常時依頼とは報酬の額が違う。こちらなら十分その日の食い扶持を稼げる。これを見ればFランクの者はちゃんと講習を受けようとするだろう。よくできたシステムだとハルは感心した。
「うーん、常時依頼は基本的に他の依頼のついでにこなす物みたいだし、とりあえず今日は2階の資料室で図鑑でも見てみよっか。外界の生態系には興味があるしね」
そういうとハルはギルドの2階に上がっていった。
「うーん、興味深かったから集中しすぎた・・・」
2階の資料室で夢中になって資料を読み漁っていたハルが冒険者ギルドから出たときはもうすっかり日が落ちていた。
昼食を取るのを忘れていたためとてもお腹がすいていた。とりあえず目に付いた屋台に入りカーム鳥の串焼きを3本ほど購入した。
「へえ、結構美味しいな。もう少し買っといてもよかったかも」
食べてみるとジューシーな肉にスパイスの効いたタレがたっぷりと塗られており食べれば食べるほど食欲を刺激する。ハルはあっという間に3本とも平らげていた。
「ふう、美味しかった。さて、お腹も膨れたし、今度は夜の街の様子でも見ておこうか」
ハルは昼間にこの街を歩き回り地理情報を一通り頭に入れているがそれだけでは足りない。街は昼と夜で表情を変えるものだ。潜入先では昼と夜の両方の様子を把握しておくのがセオリーである。
ハルはさりげなく周囲の様子を観察しながら再び街を歩きまわり始めた。
誤字脱字等ありましたら連絡よろしくお願いします。