外界へ
聖陽歴816年6月14日ハル・アンダートンは家族やセシリアたちに見送られながら東の大都市ボーデンを出発した。ハルはボーデンにある第一東門からアキト国を出て、東に向かって旅を始めた。とりあえず目指す先は東の秘境、無間砂漠を超えた先にあるウィステリア王国西端の街カシスだ。
「ふう、今日は砂嵐がひどいなぁ。歩きにくくってしょうがない」
ハルは砂塵を防ぐために着ているマントのフードを深く被り直しながら思わずぼやいた。どこまでも続いているように見える不毛の大地の砂を強い風が巻き上げ視界が悪くなっている。防塵ゴーグルを着けていなければ今頃目をやられていることだろう。強力な魔獣が闊歩するこの砂漠で目を潰されるのは絶対に避けなければならない。ハルは、猟兵団時代から愛用している砂漠用装備に身を包んでいた。日中は熱を逃がしやすく、夜間は逆に保温性が高くなる性質をもつデザートリザードマンナイトの鱗を素材とした軽装の防具の上にサンドラットの皮で織られた目元まで保護するフード付きマント、無間砂漠に多く生息する土の属性の魔獣に有効な風属性のエアライド鋼製のショートソードに、汎用性の高いフェルゼン鋼製のナイフといった格好だ。
無間砂漠に入って2時間ほど経ち砂嵐がおさまってきた頃、ここまで体力温存のために魔獣との戦闘をうまく避けていたハルは魔獣の群れが近くにいるのを感知し、また魔獣側もハルを捕捉したのを感じた。
「ちっ」
小さく舌打ちしながらショートソードを抜き右手に構え戦闘態勢を整える。ハルの視線の先では地面から飛び出したいくつもの鋭利な刃が砂の海を切り裂きながら接近してきている。
「デザートシャークの群れか、厄介なのに会っちゃったなぁ」
砂漠を海のように泳ぎ回る鮫型魔獣デザートシャーク。特徴は鋭利な刃のようになっている大きな背びれだ。砂の中を泳ぎながら地上に出した背びれで獲物を攻撃し、弱ったところに鋭い牙で喰らいつく。単体での強さは中級にあたるCランク程度で、無間砂漠の魔獣の中では底辺クラスだが、この魔獣は同族との連携に優れ基本的に30匹以上の群れで行動しているため、上級にあたるBランクとされている。もう一つやっかいなのはこの魔獣の貪欲さだ。この魔獣は一度獲物をロックオンしたらどこまでも執拗に追い回し、食い殺そうとする性質がある。
「こいつら相手なら下手に逃げようとするよりここで倒しておく方が楽だ、な!!」
真っ先に突っ込んできた1匹の刃を躱し、同時に背びれの下辺り目掛けてショートソードを砂に突き立てる。次の瞬間体を貫かれたショックでデザートシャークが地上に飛び出してきたが急所を貫かれていたためすぐに動かなくなる。仲間が殺られたことに気付いたデザートシャークの群れは警戒するようにハルの周りを泳ぎながら円状に取り囲んだ。一瞬の停滞。次の瞬間全方位から一斉にハルに向かって鋭い刃が襲いかかる。それを見たハルは身体強化をし、高く跳び上がる。
「【サンダーレイン】!」
デザートシャークの群れが、一瞬前までハルが立っていた場所付近に集まった瞬間に上空から風属性Aランク魔法【サンダーレイン】が詠唱を省略して放たれた。針状の雷が豪雨のごとくデザートシャークの群れに降り注ぐ。轟音と共に砂煙が濛々と立ち込めハルの視界を覆った。砂煙が晴れるとそこには大きなクレータと共に、全滅したデザートシャークの群れの死体が転がっていた。
「ふう、終わった」
【アイテムボックス】に入っていた布でショートソードに着いた血をふき取り、鞘にしまう。
(結構派手にやったし、ここで解体するのはやめたほうがいいな。間違いなくすぐに他の魔獣が集まってくる)
そう判断したハルはそのままの状態でデザートシャークの死体を【アイテムボックス】に入れさっさとその場を立ち去った。
聖陽歴816年7月4日、ハルが旅を始めて20日目の早朝。草原の中に設置したテントからハルが這い出てきた。このテントは魔道具で、Cランク以下の魔獣を追い払う力を持っている。ハルは既に無間砂漠を抜けていた。常闇の大樹海同様魔獣たちの気が立っており、ほとんど休息を取れず疲労が溜まっていたが、無間砂漠を抜けた後はこのテントのおかげでゆっくりと休めたため今はすっかり回復している。無間砂漠を抜けた後飛行魔法で高速移動し東南東に2日。義父の話ではそろそろウィステリア王国のカシスの街に着く筈だった。昨晩つくったスープを温め直し朝食を終えた後ハルは、街の方角に向かって歩き始めた。
「ふーん、今のがゴブリンってやつか。この辺りの草木も今まで見たことないものだし・・・。本当に秘境とは動植物の生態系が全然違うんだなぁ。昨日まで飛行魔法で移動してたから気付かなかったよ。ちょっともったいないことをしたかも」
ハルの足元には薄汚い布切れを身に纏った小柄な人型の魔獣の死体が転がっていた。そろそろカシスの街の近くまで来ている筈なので空の旅をやめて歩いていたところ、初めて見る魔獣が襲いかかって来たのでとりあえずスパッと殺った後調べてみれば、義父から聞いていたゴブリンという魔獣と特徴が一致していた。
「それにしても弱かったなぁ。本当に魔獣なのかこいつ?一応魔石もあるみたいだけどこんなに質が悪いものは初めて見たぞ」
秘境の魔物としか戦ったことのないハルは、一応魔獣に分類されているゴブリンのあまりの弱さに驚いていた。キーキー喚きながらのろのろと近付いてきたと思ったら我武者羅に刃毀れしたボロい短剣を振り回すだけだったのだ。基本的に魔獣と闘うことのない警備団員でも間違いなく瞬殺できる。
一応魔石を取り出し、【アイテムボックス】にしまっておく。再び歩き出した直後、ハルの足が止まった。ハルの視線の先には堀と塀に囲まれた街があった。
「やった、ついにカシスに着いたみたいだ!!」
思わず走り出しそうになって、ふと義父から言われていたことを思い出す。
「そういえば初めて人間の街に入るときは身分証になる物がないから人間の世界のお金がいるんだったな。後は、人間の世界の初心者用装備に着替えてっと。どっちも義父さんから貰ってたはず・・・。お、あったあった。あとは、ギルドカードってのが身分証になるから冒険者ギルドで登録をすればいいんだっけ」
ハルは義父から貰った人間の世界の初心者が使うレベルの防具に着替える。アキト国と比べるとこちらは貴重な素材が少なく、度重なる戦乱の影響で技術的にも遅れているらしい。非常に質の低い装備だった。
街道に出て街の入り口となる門に向かう。門には2人の武装した人間の男が立っていた。ハルが門の近くまで来ると声を掛けてきた。
「止まれ。身分証になるものを提示してくれ」
「(おお・・・、オレと同じ人間だ!!!)すみません、今は身分証になるものを持っていません。ここの冒険者ギルドで冒険者になろうと思って田舎の村から出てきたんです」
義父に言われていた通りの説明をする。
「なるほど、確かに新人用の装備をしているな。冒険者になるにはいささか線が細いように見えるが・・・。くれぐれも無茶はするんじゃないぞ。それと、身分証が無いなら街に入るのに税がかかる。2000J、銀貨2枚だ。払えるか?」
「はい、大丈夫です」
義父から貰っていたお金を渡す。門番の兵士は偽物ではないことを確認した後、端によって道を開けた。
「通ってよし。街に入ったらすぐに身分証の用意をするように。それではようこそ、カシスの街へ!」