焼き菓子の店
ひっそりと菓子を焼いて暮らしていた。卵と小麦粉と牛乳と砂糖の地味な菓子だ。毎朝少しずつ焼いては、店に並べ、日暮れ頃には皆売り切れた。ありがたい話で、私の店をこの辺じゃ一番美味しいと言って、みんな贔屓にしてくれている。かと言って、私は地味な店の地味な店主だから、誰も持て囃したりしない。私は、地味な自分が好きだった。
ある日、少し離れたところに、飴細工なんかを使った洒落た装飾の菓子を作る店が出来た。白いクリームに、色のついた砂糖の人形や、チョコレートで書かれた模様。あれもこれも、美しい。
「ということで、ひとつ買ってきた」
私は、店を訪れた常連に宝石のようなそれを見せた。皆、一様に驚いた顔をした。
「なんだってそんなもの買うんだ」
「参考にしようと思ってね」
真剣にそう思っていた。あのキラキラとした菓子なら、皆はもっと喜ぶと感じたからだ。すると、常連の一人がため息まじりにこう言った。
「間違っちゃいけない」
「なにがさ」
「俺達だって洒落たものが欲しけりゃあの店で買うさ。しかしな、あんたの店の大人しい菓子も俺達は食べたいんだ」
俺達の為に続けてくれ、頼むよ。呆れたように笑いながら、いつものように地味な焼き菓子を買って帰っていった。
「ふむ、分からんものだ」
繊細な飴細工の飾りを指で摘んで口に放り込むと、舌の上で溶けた。細い線の飾りは、なんとも言えない美味しさがあった。派手な菓子は、味も派手だった。
やはり、あの菓子の店はすぐに人気になった。
「最近、客が減ったな」
「しかたないさ」
幸いこれまで通り菓子は売れていたから、暮らしには困らない。
「しかし、変だよな。あの店に職人が出入りしてるのなんか、俺は見たことないぜ」
不思議だよな、そう言って客が首を傾げて帰って行くのを見届けると、店じまいをした。そんなおかしな話はない。きっと、とんでもない数の職人があの店には居るはずだ。
ともかく、行ってみることにした。
「盛況だ」
店は大賑わい。店の前の通りには、その店の名前が入った綺麗な包を持った人々が、大勢いた。店には行列が出来ていて、とても中に入れない。私は、入り口の小窓から中を覗くことにした。
店内には金を勘定する者が一人と、出来た菓子を並べる者が一人。たったの二人しか、店員らしき者は見当たらなかった。私は、店の裏にまわった。そこには、菓子の絵が描かれた木箱が積み上がっていて、それに隠れて野良犬が2匹寝ていた。捨てられた木箱を踏み台にして、小さな小さな排気口から中を覗くと、トレーの積みあがった洗い場と、巨大な冷蔵庫があるだけだった。
「誰が作っているんだろう」
私が諦めて帰ろうとしたとき、重ねたトレーを持った店員がよたよたと現れた。店員は洗い場にトレーを突っ込むと、冷蔵庫から木箱を運び出した。
木箱には、店内に並んでいるような菓子がぎっしり詰まっていた。店員は、それをトレーに並べると、空き箱を勝手口から外へ捨てた。
「どこか別のところで作っているのか」
私は、木箱から降りて、ため息をついた。職人が、どんなふうにあの菓子を作るのか見てみたかった。
ふと、そこらに落ちている木箱を見ると、住所が書いてある。
「もしかしたら、ここが製造所か」
私は、箱を一つ持ち帰ることにした。
その夜、私の家に男が訪ねてきた。なんでも、彼が例の店の経営をしているということだ。私は、拾ってきた箱を見せ、今日見た事を話した。彼は誇らしげに言った。
「確かに、あの店で出しているものは、工場で大量に生産したものです。僕は、お客様に喜んでもらうために、手の混んだ菓子を作る技術を、それぞれ機械にしました」
男が言うことには、その工場では、飴細工の機械が四六時中飴細工を作り、生地を練る機械、それを焼いて切り取る機械と、沢山の機械が並んでいるらしい。
「機械を作るのにお金はかかりましたが、職人を雇う必要がないので、安く菓子を売ることができます」
「それで、私にどうしろと言うんです」
男は紙切れを一枚差し出した。私の技術を売れと言うのだ。これはその契約書らしかった。
「あの店は繁盛しているし、手を広げる必要もないだろう。なにより、こんな地味な菓子まで機械に焼かせてなんになる」
「みんなあなたの菓子が好きだと言うんです」
気味の悪い笑顔をこちらに向けて男は続けた。
「世界中旅をしました。そこかしこで、技術を買い集め、たくさん店を経営しています。職人が作る菓子は素晴らしいですが、機械はより素晴らしい。こだわりも気まぐれもありません」
私は恐ろしくなって、紙切れを突き返した。
「私は毎日、少しずつしか焼けない。流行りの飾りも作れない。でも、この地味な菓子を作る日々が好きだ」
「だったら、はやく署名なさい。その地味な菓子を、楽してたくさん作ろうと言っているのです」
男は声を荒らげた。私は、腹が立った。馬鹿にするなと言いたかった。しかし、この苛立ちがなんなのかうまく言葉に出来なかった。機械が悪いとは思わない。たくさん作ろうというその気持ちも良いだろう。だけど、何かが私の怒りを駆り立てた。
「菓子にはそれぞれ、作り手の意思が有るべきだ」
私は必死に怒りを抑え、男の目を見据えた。
「あんたに技術を売った人もいれば、売りたくない人もいる。それぞれだ、それが意思というものだ。誰も彼も、己に賛同して当たり前だと思っているようならそれは違う。私の菓子は私が焼く、帰ってくれ」
男は、鼻の穴をひくつかせながら、お前の店はいずれ潰れると言い捨てて帰っていった。
それから少し経つ頃に、ある青年が店を訪ねてきた。
「どうも、あの、ここで一番有名な店を探していたら、みんなここだと言うから、その」
青年は、色の白い細長い腕を頻りにさすって、不安そうに言葉を続ける。
「あの、ここで雇ってもらえないかと思って」
「ここは小さい店だから、一人で足りるんだ」
少々申し訳なく思いつつ断ると、青年は小さくため息をついた。
「はぁ、そうですか。困ったなぁ」
「何か急ぐ訳があるのかね」
私が訊ねると青年うーん、と短く唸ってから静かに話し始めた。
「その、働いていた店が潰れて、僕そこで売り子をしてて、本当はその、菓子の修行がしたかったんだけど、えっと」
ぶつ切りの、非常に落ち込んだ青年の言葉を私は黙って聞いていた。
どうやら青年は、あの男の店で働いていたとのこと。青年の言うことには、男は菓子の技術を盗む人型の機械を作ったそうだ。その機械が職人の家に赴き、交渉をし、そしてその目で技術を記録するという代物。しばらくして、男の店は潰れた。新作のチョコレート菓子に大量の砂利が混入していたらしい。
「馬鹿にされたような気になって、随分な意地悪をしてしまったな」
と、これはチョコレート菓子職人の言葉。
機械は正確で、欠陥はどこにも無かった。職人が毒を混ぜて機械に見せなかっただけ幸いとも言える。
「職人さん、腹を立てちゃって。あんな威張り腐った口調をそのままロボットに覚えさせちゃったもんだから」
私はあの男の口振りを思い出して、小さく頷いた。
「試しにいくつか菓子をあげるから、食べてからまたゆっくり考えてみるといい」
私は青年にいくつか焼き菓子を持たせ、背中をぽんと叩いて励ました。それから街に出て、店のあった通りまで行ってみたが、あの店の痕跡は空の木箱だけを残して消えていた。
「おはようございます。あの、えっと、や、雇っていただき」
「やぁおはよう、まずは雑用から教えよう」
緊張した様子の青年も、今まで一人で店をこなしてきた私も、じきにこの暮らしに慣れるだろう。
私は今日も菓子を焼く。色も飾り気も無い地味な菓子だ。少しずつ焼いて、少しずつ売って。そんな地味な日々が、私は好きだ。
2016/01/09、推敲しました。再掲です。