幼馴染に耳かきをしてもらったら……2
「そういうわけで前回の耳かきのリベンジを行いたいと思います。ほら、早く準備して!」
燐はオレのベッドに腰掛け、手に持っている先端が光る耳かきを見せつけるように、クルクルと回していた。
普段ならその行為に甘えただろうが、今日のオレは違っていた。
確かにあの時――「何でも言うことを聞く」と言われた日には耳掃除をして欲しかったのは間違いない。だが、今はそれを望んでいない。今のオレが欲しいものは睡眠一択だった。
ただいまの時刻――午前十時。
高校生のオレとしてはまだ寝る時間であり、こんな朝っぱらから起きる意味なんてない。つまり、惰眠万歳。
「分かった。何が原因でそんな風になってしまったのかは分からないが、半日後に出直してこい。じゃあ、おやすみ」
「え? ちょっと!?」
冬場だったら布団に頭ごと潜り込ませて全力で拒否することが出来ただろうが、夏場である現在、背中を向けることで拒否の意思を示す。
「こらっ! 起きてよ! そんなことしてると一生、耳かきしてあげないんだからね!」
「それ、最低の脅し文句だよな。まー、それはそれで考えるから今日は寝させてくれ」
「……分かった、最終手段に出ることにする」
「さ、さいしゅー、しゅだん?」
ベッドの軋む音が聞こえたことから、燐がベッドから立ち上がったことに理解する。
燐の意図が見えないため、再び燐がいる方へ顔を向け、燐の姿を追うと本棚の方へ近付いていた。
漫画でも読むのか?
そんな淡い気持ちを裏切るように、燐は本棚の裏側へと手を伸ばそうとした時、
「分かった! オッケ! 耳掃除ばっちこいだ!」
その意図を改めて理解したオレはベッドから飛び起き、燐の方へ駆け寄り、燐の肩を掴んで手の動きを静止させる。
「いいよいいよ、そんな無理しないで。燐は害のある本を捨てようとしてるだけだから。優しい気持ちでね。あ、ついでにタンスの奥にしまってある棒状のゴムの方も捨てといてあげようか? 高校生があんな――」
「くっ、何が望みだ! それに応えようじゃないか! だから、今の発言を取り消すんだ」
「ふーん、そんなに嫌なんだ?」
「当たり前だろ? いや、捨てる云々前になぜ場所を知っている。トップシークレットだぞ!!」
「お前のような下等生物とはここの出来が違うのだよ!」
燐は不敵な笑みを浮かべながら、自らの頭をトントンと叩いてアピール。
しかし、その直後に沈黙が訪れた。
オレは反応に困ったこともあったが、燐の方もやった後から羞恥心がやってきたらしく、オレを見つめていた目がゆっくりと逸らされていく。
「……誰の真似だよ、それ。少なくともオレはそんなキャラは知らんぞ」
「ごめん、言ってみたかっただけ」
「それが燐の望みか?」
「ううん、耳掃除させて」
「分かった。だから、オレの大事な物の存在は誰にも漏らすな」
「はーい」
「じゃあ、リビングに行こうぜ」
「え、ベッドでいいじゃん」
「は? あ、おい!」
燐はオレの言葉を無視してベッドに上がり、タオルケットを端っこへ投げると正座して座り、膝をポンポンと叩いて急かし始める。
前回は全力で嫌がってたくせに……。
オレはそんな思いと共に床に落ちているティッシュ箱をベッドの上に投げると、誘われるがままにベッドに上がり、燐の膝に頭をのせる。そして、端っこに移動させられたタオルケットを足で引き寄せるとお腹にかけて目を閉じた。
「それ、寝る気満々じゃない?」
「寝るつもりはないけどな。もし寝ちゃったら、燐の耳かきが気持ち良かったってことの証明だろ」
「あ、それもそっか。おーし、お姉さん頑張っちゃうぞー」
「誕生日が少し早いからってお姉さんぶんな。お姉さんぶりたいなら弟だけにしろ」
「大丈夫、興味ないから」
「興味があったら大変だけどな」
「それは異性として?」
「異性として興味あったらやばくね?」
「近親相愛だからね。って、やるよー」
「はいはい」
その返事をすると耳の表面を耳かきが撫でる感触と音が響き始める。
あれ、上手くなってる?
前回の耳かきの時から一週間ほどしか経っていなかったが、手つきが完全に慣れているような感じがした。何よりも違いとして現れたのが、前回は本当に見えている部分だけしかやらなかったのに、今回は丸まっている部分なども指を使って、丁寧にやり始めたことだった。
そのことに戸惑っていることに気付いたのか、
「どう? 少しは上手くなったでしょ?」
「おう。家族で練習してたのは知ってたけど、まさかここまで上手くなってるとは思わなかった」
「な、なんで知ってるの?」
「してもらった日の夜、影久の絶叫が聞こえた」
「あー、あれね……」
燐は苦笑いを溢しつつ、ティッシュを一枚抜き取ると耳かきから耳垢を拭い取る。そして、今度はゆっくりと穴の方へと入れていく。前回のような戸惑った様子は一切なく、入れ方そのものが当たり前のような感じだった。
そして、下から上へ引き出すようにカリカリと動かし始める。
「あれ以降は何も聞こえなかったけど、いったい何が起きたんだ?」
「んー、かーくんが暴れたせい。せっかくお姉ちゃんが耳かきをしてあげようと言ってるのに……」
「ふー、ん……。そういうことに興味がなかった燐がいきなりそんなことを言い始めたら、誰でも警戒するだろ。そもそもっ、燐がこうやって、『耳かきをしたい』って言い出してる時点で……鼓膜を破られるとしか思わないからな」
「ふーん」
その瞬間、燐の雰囲気が変わる。
優しいオーラから怒気が含まったオーラへと。
同時にオレの脳がサイレンを鳴らし始めたのは言うまでもない。
「じ、冗談だぞ?」
「……今なら本当のことを言ったら許すけど?」
「燐から言い出したらまず驚く。そして、何か悪いことをしたかなって思って謝る。下手したら熱でもあるのかって疑う」
「本当に言うな!」
耳から耳かきを抜いた後に頭を引っ叩かれる。
「痛いっての」
「これで許してあげるんだから感謝してよね!」
「はいはい。しかし、なんでまた耳かきをしたいって……」
「んー、前回上手くいかなかったからかな。はい、次は反対ね」
「なるほどな。変なところで負けず嫌いが出たわけか」
燐に言われるがまま、オレは燐の方へ身体を向ける。そして、再び目を閉じた。
燐は前回のように文句を言う様子もなく、表面に耳かきを当て、動かし始める。
「気を使わせちゃったしねー、前回は。だから、今度はちゃんと気持ち良くしてあげたいなって思ったの」
「痛気持ちいいってのは本当だったんだけどな……」
「かーくんも言ってたよ。あ、お父さんも」
「おいおい、お父さんも実験台にしたのかよ」
「実験台って……、せめて練習台って言ってよ」
「実験台も練習台もほとんど意味が変わってないけどな」
「いいの! とにかく耳垢がないとつまんないじゃん。だから、お父さんとかーくんを交代でしてあげたんだよ」
「なる」
「こうやって耳かきしてると分かったことがあるんだけど、やっぱり一週間ぐらいは溜めておかないと駄目だね。取ってる気がしないことが今日分かった」
燐の楽しそうな笑い声が聞こえた。
燐の奴、オレを気持ちよくさせるより、取ることに楽しみを見出してないか?
根拠は一切ない。
だけど、そんな気がしてしまった。
「じゃあ、今度は中に入れるからねー」
「おう」
「あ、そう言えば忘れてた。余計なことを言うから」
燐は穴の方へ耳かきを入れながら、思い出したように言葉を漏らす。
「何が?」
「んー、ちょっとお父さんに耳かきでアドバイス貰ったの。んで、どうせならそれもしてあげようかなって考えてたんだけど……忘れてたって話」
「そっ、か……」
「とにかく耳垢を取ってからの話だから、今は気にしなくていいよ。ゆっくり耳かきを楽しんで逝ってねっ、と」
「お前は、どこのゆっくり……だよ」
「本当にそういうのだけは知ってるんだから。あ、大きいの取れた! 見る?」
少しだけ嬉しそうな声をあげながら燐は、それをティッシュに擦りつけながら、オレに見せつけようとしてきたので、
「見るわけないだろっ!」
と、手首を掴んで見えないようにずらす。
燐はその反応が面白いらしく、クスクスと笑い始める。
「だよねー、分かってたけど」
「今度、オレがしてやる機会があったら同じことしてやろうか?」
「それは勘弁。ほら、続きするよー」
燐は再び耳かきを中に入れていく。
そして、今度は今まで違うような感覚がオレを襲った。
今までは掃除と言う意味合いが強く、奥の掃除をするためにはある程度の痛みを我慢する必要があった。しかし、燐がやっている動きはただ気持ち良さだけを追求したような動きのみ。痛みなんてものは全くなくて、感覚的には『耳かきボイス』を聞いているような感覚だった。
「これって……」
「あ、やっぱり気付いた?」
「まぁな。これがさっき言ってた――」
「そ。お父さんに教えて貰った気持ちいい耳かき」
「すげー、お前のお父さんすげー!」
この感覚を分かっている燐のお父さんを心の底からオレは思わず尊敬してしまう。そして、それだけの人生経験があることを思い知らされてしまった。
が、オレの尊敬の念を打ち崩すように燐が言い放つ。
「本当にすごいのはお母さんの方なんだけどね」
「え? どういうこと?」
「『胃袋を掴む』って言葉あるでしょ?」
「ああ、あるな。確かに燐のお母さんのご飯、かなり美味しいけど……」
「実はお父さんが言うには違うらしいよ。ご飯の件もそうだけど、耳かきもだったらしいんだ。こうやって耳かきをしてもらったことがあったんだって。んで、その時に感じた気持ちがすっごく幸せだったらしくて、結婚をする相手はお母さんしかいないと思ったらしいよ」
「燐のお母さんパネェ!」
「だよねー、燐も知らなかったんだけど」
「そりゃ言うわけない――」
そこであることに気付く。
もしかして、燐の奴も耳かきの才能あるんじゃね?
燐の耳かきは正直気持ち良くて、ずっとしていてもらいたいぐらいの気持ちがオレの中には湧きつつあった。というより、後で反対側も頼もうと考えていたのだ。
もし、この感情が燐のお父さんが感じた感情そのものだとしたら……。
「ねー、どしたの?」
「え、あ……いや、なんでもない」
「そっか。気持ちいい?」
「ああ」
「じゃあ、次反対側ね。さっきするの忘れてたし」
「よろ」
オレは再び部屋の方へ身体を回転させる。
そして、再び中に耳かきが入ってくると、中で耳かきが動き始める。
またそこで気付くことがあった。
燐が撫でる場所がオレの気持ちいいと思う場所を撫でていることだった。偶然もあるだろうが、先ほども同じようなポイントを撫でていたことを思い出す。
さっき予想した才能の件が、オレの中で確信へと変わった瞬間。
こりゃ、燐のお父さんも結婚したいと思うはずだわ。
「ここでしょ? 気持ちいい場所」
「正解」
「ふふーん、あんたの気持ちいいところなんてお見通しってこと」
「はいはい」
「んで、結婚したいと思うぐ――」
「思ったな」
「え?」
燐の手の動きが止まる。
オレが素直にそんなことを言うと思っていなかったらしい。そして、この動揺した状態で耳かきを続けると危ないと判断したのか、オレの耳から耳かきを抜いた。
この状況で耳かきが再開されると思わなかったため、オレもゆっくりと身体を起こす。そして、燐の隣に座る。
「い、今の……」
「本音だけど?」
「あ、あはは……またまたご冗談をー……」
「冗談に聞こえるか?」
「……」
「……」
「……馬鹿っ!」
燐は顔を真っ赤にしながら、恥ずかしそうに言うとそのまま部屋を飛び出す。そして、ドタバタと階段を駆け下りた後、部屋の真下にある玄関のドアが勢いよく閉められる。
「やっぱり免疫がなかったかー」
分かっていたことだった。
燐がオレとの関係を進めたくても、その勇気がなくてなかなか進められないこと。そして自らが言うことも、他人からそういうことを言われることに慣れていないことも。だからこそ耳かきだって、無意識のうちにオレを喜ばせようと思ってやってくれていたことも。
「難しいな。幼馴染から恋愛に発展させるのって……」
オレはベッドの近くに作ってある棚に置いてあるiPodを取り、動画を検索した。
その曲の名前は『オサナナブルー』。
現在のオレたちの関係を現すにはふさわしい曲であり、内容もふさわしかった。
「これでも実行してみようかな……。燐の奴がもしこの曲を知ってたら、また逃げられるかもしれないけど」
なんとなく歌詞通りの流れを進めようかと思ってしまうのは、きっとオレも燐のことが好きだからだ。
同時にマイナスの考えも思い浮かんでしまう。
上手くいかない。
いくわけがない。
どうせ、燐は素直になるのには時間がかかるから。
曲を流しながら、自らの耳垢が拭われたティッシュの上からティッシュで包んで、そのマイナスな考えを投げ捨てるかのようにゴミ箱へ捨てた。
この気持ちがちゃんと燐に通じることを考えながら、オレは再びベッドに上に横たわると、さっきまでの幸せを噛み締めながら眠りに就くことにした。
オレたちの関係が上手くいってる夢を見れることを願いながら……。
こうやって甘酢っぽい恋愛したかった……。
せめて、誰かに耳かきだけでも!