8 5分でいい
(1)
日も暮れて
東海から戻った
その足で
ホテルのバーの
2階の隅に
陣取って
マティーニを干し
テキーラをあおった
それも
1杯や2杯じゃない
20年も
過ぎたとはいえ
どうせ舞い戻った
祖国なら
この際
事のついでにと
半ばは意地で
探し当て
東海の果てまで
押しかけて
安食堂のテーブルで
穴があくほど
この目で拝んだ
父親は
脳裏から
面影も
絶えて久しい
見知らぬ老人
息子だなんて
思いもよらない
若造が
なぜ子を棄てたと
責めたところで
昔のことと
のどかに呟く
老人に
恨みつらみの
やり場もないまま
戻ったソウル
探さなきゃよかった
行くんじゃなかった
何十回
呪ったところで
消えそうにない
この屈辱と
鬱憤を
せめて一とき
忘れてやろうと
忘れられたら
どんなに楽かと
ボトルで頼んだ
ブランデーも
半分空になったころ
階下にかすかな
人の声
その声の主
確かめたくて
半狂乱の
寸前でなお
立ち上がってた
酔ったまぎれの
幻聴でなければいいと
2階の手すりに
もたれて祈った
探し物だか
探し人だか
1階の
客席を縫って
きょろきょろと巡る
黒子がひとり
それを君だと
見てとったのと
今の今まで
つきまとってた
忌まわしい
身内の悪夢が
消え失せたのと
どっちが先で
どっちが後だか
煽りにあおった
アルコールすら
てんで効き目の
なかった悪夢が
腹立たしいほど
あっさり消えた
やおら見上げた
視線の先に
2階から
見下ろす僕を
認めた君の
慌てぶり
いたずらがばれた
子どもみたいに
息のんで
素っ頓狂に
口元押さえた
ホテリアは
猫もかぶれない
いつもの君で
それ見たとたんに
僕はもう
クスッとしてた
こんなところで
奇遇だね
長々居座る
不埒な酔客
たしなめるのに
よりによって
君をよこした神様に
感謝したいよ
「座って一緒に
一杯どう?」
百戦錬磨の
ホテリアに
酔ったふりして
ごねてみたって
かなわないから
ここは早々に
退散しよう
半分も
残っていない
軽いボトルと
グラスを1つ
失敬してから
外に出た
(2)
宵の口も
とっくに過ぎて
気の利かない
桜並木が
おぼろに明るい
夜の外苑
おかげで
宿舎の
ヴィラへの道は
迷いようも
なかったけれど
飲みすぎて
帰り道も
定かじゃないと
とぼけたら
まさか
真に受けたわけでも
あるまいが
君は気前よく
夜道の案内を
買って出た
「昼間 東海に
行ってきた
東海で君に
メールを送った」
何の気なしの
打ち明け話に
「ごめんなさい
気がつかなくて
どんなメール?
題名は?」
鉄砲玉よろしく
無邪気な問いが
飛んできた
「題名?
-僕の半身へ-」
問われるままに
答えるべきじゃ
なかったのかな?
今の今まで
喜々として
相づち打って
くれてた君が
案の定
一瞬で
貝になった
追い打ちでも
かけるみたいに
手にした無線が
鳴ったとき
君はとっさに
口走ったね
「ダイヤモンド・ヴィラの
巡回中」だと
背伸びしたって
見えるかどうかの
はるか彼方の
建物の名を
口走ってた
わがままな迷子に
手こずってると
さもなければ
酔ったお客が
絡んで困ると
言ってくれても
かまわなかた
僕の名前を
出してくれても
かまわなかった
なのに
どちらも君は
しなかった
無線の向こうの
男に対する
気づかいか
それとも
万に一つくらいは
僕をかばって
くれたのかと
詮索したくも
あったけど
自惚れすぎだと
多少は恥じて
行きがかり上の
共犯は
せめて
足手まといに
ならないように
黙って息を
ひそめてた
無線に返した
慣れない嘘が
きまり悪くて
うつむく君を
見つめてた
だけど
ジニョン
君にとっては
後ろめたい
“巡回中”が
僕にとっては
望外の幸運
わがままは
重々承知で
もう一度だけ
駄々をこねよう
「ダイヤモンド・ヴィラ
見物させて
もらえないかな」
君らしかった
あっけないほど
あっさりと
「お客さまが
お望みなら」と
請け合って
ぎこちない
足どりながら
歩き出した
それでいい
際限なく図々しい
僕に呆れて
罪もない君の
後ろめたさが
ほんの少しでも
和らぐなら
それでいい
(3)
何しにソウルへ
来たのかと
仕事は何かと
君は訊いたね
やぶから棒で
手に提げた
ボトルとグラス
あやうく
取り落としそうだった
ダイヤモンド・ヴィラの
真ん前だった
君を追って
来たんだと
縁は切ったと
決めてた祖国に
20年もたって今
のこのこ戻った
理由は君だと
僕が言ったら
君は信じた?
いやありえない
君はまず
まちがいなく
「飲み過ぎてる」と
大笑いして
「宿舎に
戻った方がいい」と
勧めて
譲らなかったはず
せっかくの
ヴィラ見物を
ふいにするのは
惜しかったから
正直に
打ち明ける気は
さらさらなかった
企業を操る
血も涙もない
狩人だと
あいまいな
自己紹介で
けむに巻いた
その名にダイヤを
冠したヴィラは
真夜中過ぎて
なお煌々と
きらめいて
噂に違わず
威容を誇って
いたけれど
僕が度肝を
抜かれたのは
その広さでも
部屋の数でも
絢爛豪華な
調度でもない
瀟洒な扉を
押し開けて
僕をホールに
招き入れるか
入れないうちに
ヴィラの細部の
そのいちいちを
立て板に
水のごとくに
語って聞かせた
君の演説
準備万端の
試験を受ける
新人みたいに
嬉しげに
誇らしげに
淀みなく
設計者が
これを聞いたら
本望だろう
あるいはもしも
このヴィラに
耳があったら
感涙にむせぶに
ちがいない
僕がもし
新人研修の
教官だったら
まちがいなく君に
満点をあげる
ジニョン
君にはお手上げ
常識外れの
この真夜中に
寄り道強いた
僕の意図
知ってか知らずか
人が良すぎる
人の言葉に
下心があろうと
なかろうと
君は
受け入れて
拒まない
猜疑も
邪推も
警戒もなく
かしこまりましたと
請け合って
望みに沿おうと
一心になる
どこから見ても
丸腰で
危なっかしいほど
無防備なのに
僕は
歯も立たない
素手の相手と
喧嘩するのに
気が引けて
武器を持つ気に
なれないように
とてつもなく
無防備な
君に向かって
嘘はつけない
君の前では
正直に
欲しいものは
欲しいと言いたい
あげたいものは
あげると言いたい
無防備こそが
君の強さと
わかっていても
無用な怪我を
しなくてすむなら
包んであげたい
僕自身の
恥部であれ
醜態であれ
君になら
ぶちまけて
包まれたい
君には本音を
隠したくない
君に向ける
言葉はいつも
本音でありたい
何一つ
策を弄さず
武器も持たない
君の前で
いつもそう思う
だからお手上げ
ヴィラを語る
君の達者な弁舌は
放っといたら
夜が明けるまで
聞かされそうで
手を差し出した
ジニョン
踊ろう
案の定
尻込みするのを
説き伏せるのも
未だにやめない
「お客さま」
もういいかげん
返上して
名前で
呼んでもらうのも
いずれ劣らぬ
難題だけど
真正面から
挑んでみよう
かすかに聞こえる
優しい調べが
勿体なくて
踊りたいと
欲が出たのも
本音なら
君には名前で
呼んでほしいと
思いつづけて
いるのも本音
本音は隠さないと
決めた以上は
遠慮もしない
がまん比べだ
「僕を名前で
呼んでみて」
5歩6歩
後ずさりして
諦めて
見るからに
根負けの体では
あったけど
かろうじて
僕の名前を
つぶやいた声は
客相手の
ホテリアの
それではなくて
おずおずと
ためらいがちな
素のソ・ジニョンの
声だった
これ以上
後ずさり
させたくなくて
君の背中に
右手を当てた
この手は絶対
緩めないから
逃げ出そうなんて
思っても無駄
逃げ出そうにも
君の力じゃ
たぶん無理だと
手の力だけで
伝わるように
黙って強く
引き寄せた
怯える君を
強引に
今 考えても
お世辞にも
踊ってたなんて
代物じゃない
2人して
音に任せて
揺れてただけ
真夜中に
軽薄すぎたと
君は恥じ
バラごときでと
自嘲したけど
そして
おっちょこちょいで
取り柄もないと
目を伏せたけど
そんな卑下は
聞きたくない
ほんとうの君は
僕が知ってる
自分を飾らず
ありのままに
生きられる君が
うらやましい
耳元でそう
ささやいたら
無防備をもって
身上とする
君に似合わず
珍しく
その顔に
半信半疑だと
書いてあって
本心かと
僕に訊いたね
本心だと
言葉で言っても
足りない気がして
答える代わりに
腕で包んだ
腕の中に
すっぽり収まる
華奢な君が
自分からそっと
体を預けて
くれたから
言葉代わりの
僕の返事は
伝わったんだと
信じたかった
ジニョン
言いそびれてた
東海からの
メールの中身
--5分でいい
君と2人きりでいたい
誰にも邪魔されずに
君を抱いて
いや
僕が抱かれてもいい
2人きりでいたい--
そう書いた
笑わないで
ほんとだよ




