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このホテリアにこの銃を  作者: 懐拳
8/22

8 5分でいい

(1)


日も暮れて

東海(トンヘ)から戻った

その足で


ホテルのバーの

2階の隅に

陣取って

マティーニを干し

テキーラをあおった

それも

1杯や2杯じゃない


20年も

過ぎたとはいえ

どうせ舞い戻った

祖国なら

この際

事のついでにと


半ばは意地で

探し当て

東海(トンヘ)の果てまで

押しかけて

安食堂のテーブルで

穴があくほど

この目で拝んだ

父親は


脳裏から

面影も

絶えて久しい

見知らぬ老人


息子だなんて

思いもよらない

若造が

なぜ子を棄てたと

責めたところで

昔のことと

のどかに呟く

老人に


恨みつらみの

やり場もないまま

戻ったソウル


探さなきゃよかった

行くんじゃなかった


何十回

呪ったところで

消えそうにない

この屈辱と

鬱憤を


せめて一とき

忘れてやろうと

忘れられたら

どんなに楽かと


ボトルで頼んだ

ブランデーも

半分空になったころ

階下にかすかな

人の声


その声の主

確かめたくて

半狂乱の

寸前でなお

立ち上がってた


酔ったまぎれの

幻聴でなければいいと

2階の手すりに

もたれて祈った


探し物だか

探し人だか


1階の

客席を縫って

きょろきょろと巡る

黒子がひとり


それを君だと

見てとったのと

今の今まで

つきまとってた

忌まわしい

身内の悪夢が

消え失せたのと

どっちが先で

どっちが後だか


煽りにあおった

アルコールすら

てんで効き目の

なかった悪夢が

腹立たしいほど

あっさり消えた


やおら見上げた

視線の先に

2階から

見下ろす僕を

認めた君の

慌てぶり


いたずらがばれた

子どもみたいに

息のんで

素っ頓狂に

口元押さえた

ホテリアは

猫もかぶれない

いつもの君で


それ見たとたんに

僕はもう

クスッとしてた


こんなところで

奇遇だね


長々居座る

不埒な酔客

たしなめるのに

よりによって

君をよこした神様に

感謝したいよ


「座って一緒に

一杯どう?」


百戦錬磨の

ホテリアに

酔ったふりして

ごねてみたって

かなわないから

ここは早々に

退散しよう


半分も

残っていない

軽いボトルと

グラスを1つ

失敬してから

外に出た



(2)


宵の口も

とっくに過ぎて


気の利かない

桜並木が

おぼろに明るい

夜の外苑


おかげで

宿舎の

ヴィラへの道は

迷いようも

なかったけれど


飲みすぎて

帰り道も

定かじゃないと

とぼけたら


まさか

真に受けたわけでも

あるまいが

君は気前よく

夜道の案内を

買って出た


「昼間 東海(トンヘ)

行ってきた

東海(トンヘ)で君に

メールを送った」


何の気なしの

打ち明け話に


「ごめんなさい

気がつかなくて

どんなメール?

題名は?」


鉄砲玉よろしく

無邪気な問いが

飛んできた


「題名?

-僕の半身へ-」


問われるままに

答えるべきじゃ

なかったのかな?


今の今まで

喜々として

相づち打って

くれてた君が

案の定

一瞬で

貝になった


追い打ちでも

かけるみたいに

手にした無線が

鳴ったとき

君はとっさに

口走ったね


「ダイヤモンド・ヴィラの

巡回中」だと


背伸びしたって

見えるかどうかの

はるか彼方の

建物の名を

口走ってた


わがままな迷子に

手こずってると

さもなければ

酔ったお客が

絡んで困ると


言ってくれても

かまわなかた


僕の名前を

出してくれても

かまわなかった


なのに

どちらも君は

しなかった


無線の向こうの

男に対する

気づかいか

それとも

万に一つくらいは

僕をかばって

くれたのかと

詮索したくも

あったけど


自惚れすぎだと

多少は恥じて


行きがかり上の

共犯は

せめて

足手まといに

ならないように

黙って息を

ひそめてた


無線に返した

慣れない嘘が

きまり悪くて

うつむく君を

見つめてた


だけど

ジニョン


君にとっては

後ろめたい

“巡回中”が

僕にとっては

望外の幸運


わがままは

重々承知で

もう一度だけ

駄々をこねよう


「ダイヤモンド・ヴィラ

見物させて

もらえないかな」


君らしかった


あっけないほど

あっさりと

「お客さまが

お望みなら」と

請け合って

ぎこちない

足どりながら

歩き出した


それでいい


際限なく図々しい

僕に呆れて

罪もない君の

後ろめたさが

ほんの少しでも

和らぐなら

それでいい



(3)


何しにソウルへ

来たのかと

仕事は何かと

君は訊いたね


やぶから棒で

手に提げた

ボトルとグラス

あやうく

取り落としそうだった


ダイヤモンド・ヴィラの

真ん前だった


君を追って

来たんだと


縁は切ったと

決めてた祖国に

20年もたって今

のこのこ戻った

理由は君だと


僕が言ったら

君は信じた?


いやありえない


君はまず

まちがいなく

「飲み過ぎてる」と

大笑いして

「宿舎に

戻った方がいい」と

勧めて

譲らなかったはず


せっかくの

ヴィラ見物を

ふいにするのは

惜しかったから

正直に

打ち明ける気は

さらさらなかった


企業を操る

血も涙もない

狩人だと

あいまいな

自己紹介で

けむに巻いた


その名にダイヤを

冠したヴィラは

真夜中過ぎて

なお煌々と

きらめいて

噂に違わず

威容を誇って

いたけれど


僕が度肝を

抜かれたのは

その広さでも

部屋の数でも

絢爛豪華な

調度でもない


瀟洒な扉を

押し開けて

僕をホールに

招き入れるか

入れないうちに


ヴィラの細部の

そのいちいちを

立て板に

水のごとくに

語って聞かせた

君の演説


準備万端の

試験を受ける

新人みたいに

嬉しげに

誇らしげに

淀みなく


設計者が

これを聞いたら

本望だろう


あるいはもしも

このヴィラに

耳があったら

感涙にむせぶに

ちがいない


僕がもし

新人研修の

教官だったら

まちがいなく君に

満点をあげる


ジニョン

君にはお手上げ


常識外れの

この真夜中に

寄り道強いた

僕の意図


知ってか知らずか

人が良すぎる


人の言葉に

下心があろうと

なかろうと

君は

受け入れて

拒まない


猜疑も

邪推も

警戒もなく


かしこまりましたと

請け合って

望みに沿おうと

一心になる


どこから見ても

丸腰で

危なっかしいほど

無防備なのに


僕は

歯も立たない


素手の相手と

喧嘩するのに

気が引けて

武器を持つ気に

なれないように


とてつもなく

無防備な

君に向かって

嘘はつけない


君の前では

正直に

欲しいものは

欲しいと言いたい

あげたいものは

あげると言いたい


無防備こそが

君の強さと

わかっていても


無用な怪我を

しなくてすむなら

包んであげたい


僕自身の

恥部であれ

醜態であれ

君になら

ぶちまけて

包まれたい


君には本音を

隠したくない

君に向ける

言葉はいつも

本音でありたい


何一つ

策を弄さず

武器も持たない

君の前で

いつもそう思う


だからお手上げ


ヴィラを語る

君の達者な弁舌は

放っといたら

夜が明けるまで

聞かされそうで

手を差し出した


ジニョン

踊ろう


案の定

尻込みするのを

説き伏せるのも


未だにやめない

「お客さま」

もういいかげん

返上して

名前で

呼んでもらうのも


いずれ劣らぬ

難題だけど

真正面から

挑んでみよう


かすかに聞こえる

優しい調べが

勿体なくて

踊りたいと

欲が出たのも

本音なら


君には名前で

呼んでほしいと

思いつづけて

いるのも本音


本音は隠さないと

決めた以上は

遠慮もしない

がまん比べだ


「僕を名前で

呼んでみて」


5歩6歩

後ずさりして

諦めて

見るからに

根負けの体では

あったけど


かろうじて

僕の名前を

つぶやいた声は


客相手の

ホテリアの

それではなくて

おずおずと

ためらいがちな

素のソ・ジニョンの

声だった


これ以上

後ずさり

させたくなくて

君の背中に

右手を当てた


この手は絶対

緩めないから

逃げ出そうなんて

思っても無駄

逃げ出そうにも

君の力じゃ

たぶん無理だと


手の力だけで

伝わるように

黙って強く

引き寄せた

怯える君を

強引に


今 考えても

お世辞にも

踊ってたなんて

代物じゃない


2人して

音に任せて

揺れてただけ


真夜中に

軽薄すぎたと

君は恥じ

バラごときでと

自嘲したけど


そして

おっちょこちょいで

取り柄もないと

目を伏せたけど


そんな卑下は

聞きたくない

ほんとうの君は

僕が知ってる


自分を飾らず

ありのままに

生きられる君が

うらやましい


耳元でそう

ささやいたら


無防備をもって

身上とする

君に似合わず


珍しく

その顔に

半信半疑だと

書いてあって


本心かと

僕に訊いたね


本心だと

言葉で言っても

足りない気がして

答える代わりに

腕で包んだ


腕の中に

すっぽり収まる

華奢な君が

自分からそっと

体を預けて

くれたから


言葉代わりの

僕の返事は

伝わったんだと

信じたかった


ジニョン


言いそびれてた

東海(トンヘ)からの

メールの中身


--5分でいい

君と2人きりでいたい

誰にも邪魔されずに

君を抱いて


いや 

僕が抱かれてもいい

2人きりでいたい--


そう書いた


笑わないで

ほんとだよ







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