第一話 5
セヴァンは早足で廊下を進む。
「(はめられた……まさか人帝国がこのような手を打ってくるとは……
ああ言ったものの私の命一つでは安過ぎる……恐らくカンティオ公まで責任追及されるであろう……)」
貴族の地位を蔑ろにした上に力を持ったカンティオ領は、人帝国からしてみれば既に邪魔な存在であった。
「(ラウル様にはどうお話しするか……。ラウル様の性格ならば、間違いなく囮をかってでるであろう。それは避けねば……今後、人帝国がどのような手段に出てくるかわからぬ……)」
道中、ラウルの暗殺を狙っていてもおかしくない状況であり、なんとしてもラウルをこの任務に加わらせる訳にはいかなかった。
「――ともかく、今はラウル様のもとへ急がねば……」
セヴァンは険しい顔のまま歩き続け、途中すれ違い様に神官の肩にぶつかっても気にも留めずにラウルのもとに向かった。
【宝珠の間】
フィリーと共にセイクリッド・エンブレムを見ていたラウル。しかし、今後の計画会議も後に控えている為、それほどのんびりはしていられない。
「――あ、いけない。そろそろ皆のところに帰らないと」
「そうですわね。エンブレムを置いて来ますね」
フィリーは台座に上ってエンブレムを戻す。それと同時に入り口の方から兵士の声が聞こえた。
「お待ち下さい! 困りますっ……」
「……ん? どうかしたのかな? 何か揉めてるような声がするけど……」
「行ってみましょう」
ラウルとフィリーは急いで入り口に戻る。そこで見たのは数人の見張りの兵士を無理矢理押し退けて宝珠の間に入ろうとしているセヴァンの姿だった。
「通せ! この中にラウル様が入られたはずだ!」
「ですから! ここへの入室には光の聖者様かアグルス様の許可が必要なのです!」
「構わん! 通せっ!」
普段は温厚なセヴァンとは思えない激しい剣幕で兵士と揉めている彼の姿を見て、ラウルもフィリーも一瞬言葉を失って立ち尽くしてしまったが、すぐに駆けつける。
「セヴァン! 何をしてるんだ! 君は!」
「どうなさったのです!? セヴァンさん! 落ち着いて下さい!」
「……ラウル様、フィリー様!」
驚きつつも心配そうな顔の二人を見て、ハッと我に返ったようにセヴァンは落ち着きを取り戻す。
「……申し訳ございません。少々苛ついてしまいました」
「君らしくないよ? 本当にどうしたんだい?」
「それは……」
周りの兵士達が気になり、目を泳がせるセヴァンを見て、フィリーは気を利かせる。
「もう一度宝珠の間に戻りましょうか。
兵士の皆さん、セヴァンさん――この方はわたくしのお客様ですので、ご安心して持ち場に戻って下さい」
少し躊躇しつつも光の聖者であるフィリーの言葉を聞いて、兵士達はセヴァンから離れて持ち場に戻っていく。その様子にラウルは思わず声を漏らす。
「はは……。凄いな。本当に光の聖者様なんだね」
「うふふ。皆さん素直な良い人達ばかりなんです。
さぁ、話は中でお聞きしますわ。セヴァンさん」
「お心遣い、感謝致します……」
血の気のない顔のセヴァンはフィリーにお辞儀した。
こうして、ラウルとフィリーはセヴァンを連れて再び宝珠の間に入った。
「――それで、セヴァン。何があったの? 計画会議が始まるから僕を呼びに来た――という訳には思えなかったけど」
「ラウル様。この任務への参加は辞退致しましょう……」
『えっ……』
いきなりセヴァンに信じられない提案をされて、ラウルとフィリーは揃って驚く。
「な、何を藪から棒に……。せっかくここまで来たのに。第一、これは皇帝陛下の勅命なんだよ? 断ることなんか出来る訳ないじゃないか」
「駄目です! ……駄目なんです」
先程から真っ青な顔でいるセヴァンを見て、フィリーは優しく言う。
「セヴァンさんがそこまで言うのには、何か大きな理由があるのですわね? 落ち着いて話しては頂けませんか?
場合によっては、わたくしから将軍を通して陛下にお願いしてみます。……わたくしの力では限度があるかも知れませんが、可能な限りは頑張りますから」
「フィリー様。申し訳ございません……。しかし、時はもう遅いのかも知れません。
人帝国は……、もう既に“カンティオの味方ではありません”」
「え……?」
セヴァンはラウルに人帝国側の狙いを全て話すつもりでいた。本当の計画である影武者の護衛の話をしただけでは、ラウルは必ずそれを引き受けてしまうと確信していたからだ。
だが、直接宣戦布告された訳でもなく、ラウルの命が狙われているというのも憶測に過ぎない。だから、セヴァンには人帝国は“敵”と断言出来ず、曖昧な言い方しか出来なかった。
無論、はっきりと敵と見なしたところで、人帝国の一領に過ぎないカンティオが本国に抗う術はないのだが……。
曖昧な表現をされて、ますますセヴァンの言葉の意味がわからないラウルは問いただす。
「そ、それはどういうことだい? 人帝国がカンティオの味方ではない……?
セヴァン、説明してよ。全く意味がわからないよ!」
「……ラウル様。……実は……」
真実はラウルの心を傷付かせるだろう。それに、この任務を引き受けても背いても、結局カンティオは棘の道を進むことになってしまうということも……。
セヴァンは言葉を詰まらせてしまう。そんな彼の口が再び開かれようとした、その瞬間だった。ドゴォーッというけたたましい轟音と共に部屋の天井は、ズウゥンと重い音を立ててきしむように揺れる。
「きゃっ!」
「フィリー! 伏せて!」
咄嗟にフィリーを庇うラウルとセヴァン。揺れはすぐに治まったが……。
「今のは何だ!? 上から響いたみたいだけど……」
「恐らく今のは何か魔法が炸裂したのかと思われます。魔力の流れを感じましたので」
「わたくしもそうだと思います。一階で何かあったのでしょうか……」
「魔法って、今の音は尋常じゃないよ! ……何か嫌な予感がする。上に戻ろう!
セヴァン。話は後で聞かせてもらうよ? いいね?」
「……はっ。わかりました……」
話を中断し、ラウル達は一階の廊下まで走った。
廊下にたどり着くと彼らは絶句した。先程の爆発の影響か、廊下の窓はほぼ全て破壊され、その向こうに大神殿の入り口の門が吹き飛ばされ瓦礫と化しているのが見えた。
「こ……これは……」
「……カンティオ領軍が待機していた場所の方向です……」
「そんな、領軍の皆さんはっ!?」
「待つんだ。フィリー! 行っちゃいけない!」
咄嗟に駆け出そうとしたフィリーの手を掴み、ラウルが彼女を引き止めた。
ラウルが更に目にしたのは、赤目で黒毛の大型の猿のような動物に襲われている兵士達の姿だった。
「あれは……“魔物”!? 何故こんな所にっ!!」
魔物とは、原因不明で凶暴化した野生動物や正体不明の化け物の総称。一様に赤い目をしていて、何故か人間を襲うモンスターのことだ。獣魔の手下だと考えられている。
「数も多い……。次々に寄って来ているのか……?
フィリー様に何かあってはいけません! ラウル様!」
「わかってる!」
と、ラウルとセヴァンは腰に携えた剣を抜いた。フィリーを護る為に。
そんな三人にも魔物は襲い来た。




