序章 記憶1
――この世界には二つの大陸があった。
南の大陸“ラートリッデン”と北の大陸“セイクレア”である。それぞれの大陸には、大陸と同じ名を持つ大国が栄えていた。“ラートリッデン人帝国”と“セイクレア獣王国”。
その両国に住まう民は明らかに異なる種族であった。
高い知恵を持ち、魔法と武器の文明を発展させ、人口が増大し続けているラートリッデン人帝国民を“人間”。
強い魔法を操り、人間と獣を掛け合わせたような容姿をもち、多民族からなるセイクレア獣王国民を“獣魔”と呼んだ。
両国民は互いにその存在を認めずに忌み嫌い、永きに渡り争いを続けていた……。
多種の武器と兵士の数にものを言わせ、人帝国軍は幾度となく獣王国領に侵攻を試みる。しかし、獣王国軍の強力な魔法に阻まれてはその度に敗走した。
一方の獣王国軍は民族間の統率がとれず、また兵力も乏しい為に人帝国領に侵攻することがかなわずにいた。
こうして疲弊していく一方だった両国は、二つの大陸の間に位置する“クリービッジ海峡”を挟んで睨み合い、冷戦状態に陥った……。
そして、その後、小規模な紛争はあれど、その冷戦状態は二十年以上も続くこととなった。
――しかし、人帝国暦一九九三年。
突如、獣王国軍が人帝国領に侵攻を開始した。人帝国側が獣王国側からの侵攻を許したのは、人帝国建国およそ二千年の歴史の上でも、これが初めてのことだった。
その獣王国軍の奇襲は成功し、人帝国に属する“ホーウェル領”は一夜にして陥落、獣王国軍に占拠された。
そのホーウェル領の東隣には、“カンティオ領”があった。
カンティオ領ではホーウェル領の救援と自領の防衛の為、今まさに兵士達が出征しようとしていた。
「兄上……、何処……」
歳は十代前半くらいの青色の髪の少年が、多く集まった兵士達の間を走っていた。
どうやら兄を捜しているようだが、着ている服には綺麗な装飾がありカンティオ領の紋章もあった。町にいる普通の少年ではない様子。
程なく、少年は兵士達の向こうに、自分と同じ色の長い髪で、他の兵士達よりも豪華な装飾が施された鎧を着た青年を見付けて駆け寄っていく。
「エイル兄上!」
「ラウル!?」
青年は“エイル”と呼ばれ、少年は“ラウル”と呼ばれた。
「こんな所まで……、どうしたんだ? ラウル?」
「待って下さい! 兄上! やはり僕は納得いきません。兄上まで戦争に加わるなんて……」
エイルの前まで駆け付けて彼を止めるラウル。エイルもまたホーウェル領に向けて出征しようとしていたのだ。しかし、エイルは迷うことなくラウルを諭すかのように答える。
「ラウル。今、獣王国軍は我がカンティオ領の目と鼻の先にまで迫っている。
隣のホーウェル領は既に落とされた。戦火は直にここにも迫る……。私はそれを食い止めなければならないのだ」
「わかっています。それはわかっていますが……、それでも……」
エイルの身を案じるラウル。それはエイルも充分に理解していた。
エイルは身をかがめてラウルと目線を合わせ、更に続ける。
「いいか? ラウル。私は……いいや、私達は二千年前の獣王国との大戦で人帝国に勝利をもたらした五英雄の一人、勇者カンティオの末裔。
そのカンティオは“人帝国の盾”と呼ばれた男だ。この人帝国の非常時に、その“人帝国の盾”が行動を起こさなくてどうする?
父上も既に戦地だ。私もそれに続く。だが、誤解はするな。私は死にに行くのではないさ。領民を、国民を守る為に行くのだ」
ラウルはかつての英雄の子孫であり、現カンティオ領主カンティオ公爵家の次男。
長男であるエイルは公爵家の跡継ぎという身分であるが、民の為に戦地に立ち、勇ましく剣を振るう“現代の英雄”として人帝国にその名を馳せていた。
「……大丈夫。父上も無事だし、私も“必ず帰って来る”。伊達に英雄の名を継いではいないからな」
ラウルを安心させる為に微笑むエイル。彼の決意に満ちた目を前に、ラウルにはもう彼を引き止める言葉が見付からなかった。
「……僕も兄上と共に行けたら、少しだけでも父上と兄上の力になれるのに……」
「それは駄目だ。お前はまだ十二歳。戦地に立つには早過ぎる。
それにお前は優しいからな……、戦いには向かないさ」
「……でも! 僕はっ!」
エイルに認められていないような気がして、声を荒らげたラウル。しかし、それは誤解だった。
「ラウル! お前は優しいからこそ誰かの為に強くいられる。そういう意味では、お前は私よりも強いさ。だが、その強さは戦地で発揮されるものじゃない。守るべき民の傍にあり、その民を導く為の強さだ。
ここに残り、民と母上を守っていてくれ……。お前のその強さでな」
「……兄上……」
エイルは立ち上がるとラウルの頭を撫で、明るく笑いながら最後に言う。
「大丈夫だ。さっきも言ったが、私は必ず帰って来る。
……約束だ。私を信じて待っていてくれ! じゃあな! 後は任せたぞ、ラウル!!」
手を振り、踵を返して青色の長い髪をなびかせて離れて行くエイルの背……。
「どうか……どうかご無事で……
エイル兄上……」
それが、ラウルが見たエイルの“最後の姿”だった……。
――戦況は人帝国軍が不利になる一方だった。しかし、人帝国軍は遅れながらもここで“ある兵器”を持ち出した。それは人帝国の最後の切り札……。
その切り札は不完全な力しか発揮出来なかったものの、ホーウェル領を占拠した獣王国軍を押し返すには充分だった。
斯くして、多大な傷痕を残しながらも、人帝国軍はホーウェル領を奪還し、獣王国軍を撤退させることに成功した。
この勝利を機に、それまで一部の皇族しかその存在を知らなかった人帝国軍の切り札である兵器の名を、国民の多くが知ることとなった。
その兵器は、こう呼ばれた――
“セイクリッド・エンブレム”と。
ホーウェル領から撤退後、獣王国軍は人帝国軍の切り札を恐れてか、その動きを止めた。
一方、人帝国軍も獣王国に報復することはなく、再び元の冷戦状態に戻ったのだった……。
16.2.16 ルビ修正




