第三十一話 1
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――時はさかのぼり……
デッフレスの街にてニニアンは一人で街を歩いていた。今朝の騒動が嘘のように街は閑散としている。領主であるアリシアが帝都に捕らえられてしまい、街の人達からは活気が失せてしまっているようだった。
ラウル達が泊まった宿屋を探し、まだ連れがいなかったか確認するという名目でこの街に残った彼女は、宿屋を探さずに別の誰かを探していた。
そんな彼女の前にキョロキョロと周囲を警戒しながらメイシャが近付いて来た。
「あ、あの……」
「そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。メイシャさん。もうこの街にはあたし一人しか残っていませんから」
既にニニアンは調べがついた振りをして残っていたリーディアス侯爵の部下の騎士達を帝都に帰らせ、自身は残ってメイシャを探していた。
警戒したままニニアンの傍まで近寄るメイシャは恐る恐る喋りだす。
「アタシのことを黙っててくれてありがとう。お礼だけ言いたくて探してたの……
だけど……、どうしてアタシのこと、内緒にしてくれたの?」
「ルーカス様を酷い目に遭わせてしまったから……、せめてもの罪滅ぼしにって思ってね。
メイシャさんは帝都に行きたいんだよね? だったら送って行ってあげるよ」
「あれ? どうしてアタシが帝都に行きたいって知ってるの?」
まだ話してないはず、とメイシャが問い返すとニニアンはクスクスと笑う。
「だってルーカス様が言ってたでしょ?
“眼科医を帝都に連れて行きたい。小さい女の子が待ってるんだ”って。
眼科医は目のお医者さん。つまり目医者さんでしょ?」
「……あ、ああ! なるほど」
「あたしがメイシャさんのことを隠した後に、あんな状況でいきなりそんな話をしだしたのは違和感があったから、すぐに気付いたよ。
ルーカス様は小さい女の子のメイシャさんを帝都に連れて行きたいって、そういう暗号だったのかなってね」
「へぇー! 二人って仲良さそうだったけど、やっぱりそういう仲だったんだ」
「そ、そういう仲!? ど、どういう仲ですかっ」
赤面して慌てふためくニニアンだが、メイシャは至って真面目に考え込む。
「こういうの何て言うんだっけな……いし、いしん……」
「以心伝心?」
「そう、それ! オシドリ夫婦的な!」
「夫婦じゃありません!」
「嬉しそうだけど……」
「嬉しくありません!」
顔を真っ赤にして怒鳴りつつも、笑顔を隠しきれていないニニアンに、メイシャはどうしてそんな反応するのか首をかしげた。
「そんな話をしたいんじゃないです! メイシャさんは馬には乗れますか?」
「え? 馬? あんまり上手くはないけど乗れるよ? “おじさま”に教えてもらったから」
「おじさま?」
「あ、ただの知り合いのおじさまだよ! 剣とか魔法も上手いんだ。色々と教えてくれるの」
「素敵なおじさまなんだね」
とても誇らしげに、嬉しそうに語るメイシャにニニアンも微笑んだ。
「じゃあ、一緒に来て。ローガン兄ちゃんの馬がいるから、それで一緒に帝都に行こう」
「わかったよ。ありがとね!」
こうしてメイシャはニニアンと共に帝都に向かうことになった。
――セイクレア獣王国、王都セイクレア。
闘魔将アゼルドと翼魔将ミスティは一時撤退し、デッフレスで見た街一つを囲う魔法の障壁についての報告と、賢魔将デューグが裏切りの末に死亡したことを報告した。
その後、二人は城の中庭にやって来た。
「獣王はあまり気にかけてなかったな。あの魔法の障壁のこと」
「そうね。人間が新たな兵器の開発をしている可能性もあるのに、どういうことかしら?」
「人帝国に上陸戦を挑むことはしないつもりか?」
「どのみち、今の兵力では無理よ。
あなたは見てないのかも知れないけど、街の様子や兵士の詰め所は今はがらんどうとしてるわよ」
ミスティは珍しく余裕を感じさせない深刻な面持ちでいた。
「そんなに酷いのか……? 獣化症の流行……」
アゼルドも同じく、真剣に問い返す。
そう、獣王国は今、獣化症の流行にあえいでいる。市民、兵士に関わらず次々に発症者が現れ、大事に至る前に殺処分されている。
獣魔達の知識では原因がわからず、治す手立ても見付からなかった。だから、そうする他になかったのだが、そんなことを続けているうちに獣王国の人口は、この十年間で三分の一にまで減ってしまった。
「正直、厳しいわね……。どうしてこの十年の間に蔓延したのかしらね。それ以前はほとんど無かった病気なのに……。元々獣魔は人間より少ないのに、今、人帝国に攻め込まれたら一溜まりもないわ。
だけど、デューグは裏切った。敵に今のこの国の情勢を知られてしまったかもしれない」
「どうすんだよ! やっぱり俺達だけで人帝国を破壊し尽くすしかねぇのか!」
懲りずに無謀なことを言い出すアゼルドにミスティは呆れた眼差しを向ける。
「六年前、当時の兵力を以てしてもホーウェル領って所を落とせただけなのに、私達が二人で突っ込んで行って何になるって言うのよ。
キャン太。あなた、“〈竜鱗の英雄譚〉”の話を知らないの?」
「誰がキャン太だ!
〈竜鱗の英雄譚〉ってのは、大昔、二人の竜人種が人帝国を攻めたって話だろ? 人帝国の半分を滅ぼし尽くしたっていう――」
「そう。だけど、その竜人種の英雄達は“帰って来なかった”。
いくら私達が闇魔法を使えても、人間はその数に物を言わせて攻撃してくるわ。私達の魔力だって無限じゃないし、優位であっても一つの闇魔法で一斉射撃された理魔法を防ぎきるのも難しいわ。
だから、その竜人種も最終的には人間に負けてしまったのでしょうね。当時の人間は光魔法が使えなかったのにもかかわらずにね」
人間よりも強力な魔力と闇魔法だけでは勝機は無い。ミスティはそう言いたそうに説明したが、
「でも、あれって作り話だろ?
二人共帰って来てないのに、そんな伝説が残るのはおかしいだろ?」
「後から誰か確認しに行ったとかじゃないならそうでしょうけど、確かに事実無根のお伽噺にされてるわね。
でも、せっかく話を作るなら、勝って帰って来る物語の方がいいのにね」
英雄は最後に勝つか死んでしまうか。その物語は後者だったのだろう。とはいえ、有名な話なのにハッピーエンドではないのは寂しいものである。
そんな話をしていると、声は後ろから聞こえた。
「――その話、あながち作り話“ではない”かもしれませんよ?」
と、アゼルド達に話しかけたのは、かつてデューグの側近をしていた鷲君――イェズェンだった。
「あら。あなたは……」
「“元”諜報部隊員が何の用だよ?」
隊長のデューグと副隊長のガインが死亡し、諜報部隊は解散となった。その隊員達はそれぞれ別々に再配属される予定だった。
裏切り者のデューグの側近であったイェズェンだが、デューグについて尋問されたものの、特に罪に咎められることはなかったようだ。
「すみません。話が聞こえてしまいまして」
「さっきの話、〈竜鱗の英雄譚〉が作り話ではないかもしれないというのは、どうしてそう思うのかしら?」
「前に諜報員から聞いたのです。人帝国にも遥か昔に“二体の竜”に国を焼かれたという昔話があるみたいです。竜人種は“巨大な竜に変身出来る能力”があると聞いたことがあります。それが本当ならば話は繋がりませんか? 偶然の一致とは思えないですよ」
竜人種の特殊な変身能力。昔いた火竜や水竜のような巨大な竜に《化身》する力。
ただ、竜人種であるはずの獣王はその力を見せたことはなく、ただの伝説なのでは? と思う者も多い。そもそも獣王が竜人種だと知る者も少ないのだが。
「……なるほどね。人間側にも言い伝えがあったのね。確かに奇妙な一致ね」
「ええ。ですから、その諜報員も気になって少し調べたようですが、人帝国ではあまり有名な物語ではないようで、やはりお伽噺の一つだと思われているようですがね」
結局、真実かどうかはわからないようだが、ミスティは更に気になった。
「その物語の結末はどうなったのかしら? 〈竜鱗の英雄譚〉では二人共帰って来なかったらしいから、その二体の竜は人間達に倒されてしまったのかしら?」
「いえ。あちらの物語でも同じです。
二体の竜は突如“姿を消した”――と締め括られていたとのことです。人間が倒したとは書かれていなかったようですよ」
「なんだよ。どっちも変な終わり方してんだな」
「二人は獣王国からも人帝国からも姿を消した……?
なんだか釈然としないけど、直接私達に関わることではないわね」
所詮はただの昔話。真実を突き止めたからといって何ら得することはなく、ミスティは考えることをやめた。そして、話題を切り替える。
「あと一つ、あなたに訊きたいのだけれど……」
「はい? 何でしょう?」
「諜報部隊は解散した。隊員であった賢魔将が裏切った末に死んだのだもの。当然よね。
だけど、獣王はあなた達の居場所を残した。別の隊への配属という形でね」
「だけどよ、裏切り者の部隊の残党だろ? この前も言ったが、残っててもとばっちり受けちまうんじゃね?」
獣魔達は排他的――要は自分の認めたくない者は寄せ付けない性格が強い。人間にもそんな感情があるが、獣魔のそれは比にならないほど強く、そしてあからさまだ。
気に入らないからと殺されても、殺される方が弱いのが悪いとされかねない強引な社会だ。
だから、黒騎士のように何か理由があって――黒騎士の場合は謎が多過ぎるせいだが――他の獣魔から認められない、けれど他の獣魔より強い者は自然と孤立していく。だが、それでも許されてしまう社会だった。
人間社会のように上司と部下の関係はあれど、ほとんど体を成していない現状がある。
「そうね。下手したら殺されるわよ? そもそも、私達に再び話し掛けるのだって勇気がいったはず。
あなたはどうするつもりかしら?」
「私は――“軍に残りますよ”」
イェズェンは生まれつきの鋭い目でしっかりとミスティ達を見据えてそう言った。
「私の目的は“人間に報復する”こと。たとえ、黒騎士のように孤立することになっても、それは変わりませんから」
『…………』
堂々と言い切るイェズェンにアゼルドもミスティも思わず言葉を失った。
「――まあ、私は武器も魔法も得意ではありませんから、この過酷な社会でいつまで生き残れるかわかりませんけど」
「そう……。誰もあなたを止めはしないわ。ただでさえ数が足りていないのだしね。この軍は」
「ところで、鎧魔将にも先程会いましたけど、魔将が全員揃うとは珍しいですね」
「は……? 何も聞いてねぇぞ?
一人残って光の聖者のところに向かったが、奴らに勝てたならもっと話題になってるよな……」
「理由はわかりませんが、鎧魔将も撤退したらしいですが?」
話題にはなっていなく想像するのは容易かったが、あっさりとイェズェンに真実を告げられてアゼルドは毛を逆立てる。
「あの野郎……、あれだけ偉そうにしててあっさり撤退かよっ!」
「キャンキャン吠えないの。私達だって撤退してるのだから」
「俺らは違うだろ! 探して文句言ってやるっ!」
とアゼルドは鼻をヒクヒク動かしながらその場を去っていく。どうやら臭いで探すつもりの様子。
「待て、と言って待つ利口なワンワンじゃなかったわね……」
呆れてそれを眺めていたが、ミスティも後を追って歩き出す。そして、振り向かずにイェズェンに告げる。
「――じゃあね。あなたも頑張りなさい」
「はい。ではまた……」
一礼をしてイェズェンもまた別方向へと歩き出す。
数歩歩いてからミスティは振り向き、離れるイェズェンの背中を眺めた。
「――あの人、何か雰囲気が変わったわね……」
イェズェンの変化を少し気にしつつ、ミスティは再び歩き出した。
黒騎士の部屋に行ってもおらず、結局アゼルドは黒騎士の臭いを追って城の廊下を進む。
「……今更だけど、ホントに犬にしか見えないわね」
「うるせー! 黙ってろ! ただでさえ腕が痛くて集中出来ねぇのに……」
以前、ラウルを殴った時に逆に自分がケガをしたアゼルド。原因は光の魔力に触れたことだった。
「光の魔力によるケガは治りが遅いわね。大丈夫?」
「ああ。ちょっとまだ疼くだけだ。
しかし、あいつも口ではあんなこと言っておきながら、ちゃっかり光魔法で防御するなんてナメた真似しやがって……」
「でも、あの時いつの間に光魔法を使ったのかしら。元々使っていたなら気配で気付きそうなものだし、かと言って私達の攻撃に合わせて使ったようには思えなかったけれど……」
ミスティはずっと気掛かりだった。ラウルのあの防御の力は魔法ではないのかもしれないと……。
「そもそも、あいつらは何なんだよ。いきなり戦いたくねぇとか……。確かに殺気は無かったけどよ」
「人間は傲慢で狡猾な生き物よ。私達より力でも魔力でも劣っていて、そうでもしないと生き抜けないのだから仕方ないけれど、言っていることを信じたらあっさり殺されるわよ」
「わかってるつーの。
しかし、デューグは何をしたんだ? 明らかにデューグのせいで奴らが変わったような気がするぜ?」
「そうね……。“こっち”にも変わった者がいるみたいだし」
「こっち? まさか、さっきの奴か?」
アゼルドは感じていた。イェズェンから今までにない殺気が放たれていたことに。
「そう。あの鷲翼人種。前はあまりやる気を感じなかったから。
鷲翼人種は翼人種の中でもトップクラスの実力はあるのだけど……」
「見た目でお前より強そうだしな」
「当たり前よ。鷲に隼が敵う訳ないでしょう?
だけど、鷲翼人種は獣王の協力を一度は拒否したから、後に粛清されたはずよ。あの人も無理矢理軍に参加させられてたんでしょうね」
「というか、この国の兵士はほとんどそうじゃないか? 俺達は違うけど」
ミスティはフゥと息をつき、憂いを込めて呟く。
「人間に殺されたくないから軍人になったのか、獣王に殺されたくないから軍人になったのか……
この国を守る為に軍人になった人っているのかしらね」
「ま、さっきの奴はやる気を出したようだし、理由はどうあれ、それはそれでいいんじゃね?」
「ちゃんと戦力になるならね。
……デューグ……一体何者だったのかしら」
色々な影響力を持っていたデューグの謎にミスティは眉間にシワを寄せた。
そこまで話していると、アゼルドの耳にカシャリカシャリと鎧の足音が聞こえた。そして、廊下の前方を歩く黒騎士を見付けて指差す。
「いたっ!」
「あら、さすがね。でも喧嘩は駄目よ? どういう状況だったか聞くだけで――」
「待ちやがれ! そこの黒騎士!」
アゼルドは勝手に黒騎士に突っ掛かっていく。ミスティは頭を抱えた。
「もう……。まず私の話を聞いてもらいたいものね……」
そんなミスティに構わず、アゼルドは黒騎士の前に立ち塞がって叫ぶ。
「おい! お前! 俺達には偉そうなこと言ってたくせに、何を自分まであっさり撤退してんだよ!」
「…………」
しかし、立ち止まった黒騎士は甲冑の置物のようになって反応を見せない。
「無視かよっ!」
「はいはい。おやめなさい。
ごめんなさいね? 弱い犬ほどよく吠えるというくらいだから、許して頂戴」
「誰が犬だっ」
吠えるアゼルドを無視してミスティは続ける。
「結局、あの街で光の聖者達と戦ったの? どういう状況で撤退することになってしまったのかしら?」
「……お前達には関係のないことだ」
「いや、関係あるだろっ!」
アゼルドは何も気付かずに吠えているが、ミスティは黒騎士の異変に気付く。
「あなた……、もしかして呪詛魔法を受けているの?」
黒騎士がデューグに呪詛魔法を掛けられていたことを知らないミスティは驚いていた。
この前再会した時には“感じなかった”特徴的な魔力を確かに感じていた。それが相手を呪う魔法のものだということにも気付く。
「呪詛魔法なんて、いつ何処で誰にかけられたのかしら?」
「……デューグだ。随分と前にな。一度解除したはずだが、奴の怨念は強いようだ」
「デューグの……?」
黒騎士の言葉にミスティは顎に手を当てて悩みだす。
「しかし、もう大したことはない。やはりお前達には関係のないことだ……」
そう言い残し、黒騎士はリメンブランス・ワープの魔法を使ってその場から消えた。
「ちょっ……
あの野郎、逃げやがった!」
「放っておきなさい。あなたはさっさとケガを治しなさいよ。人帝国に戻る準備をしないと……」
ミスティは消えた黒騎士を気にも留めずにツカツカと歩いていく。
「おい! 何処行くんだ!」
「ちょっと調べ者よ! しばらく遊んであげられないけれど、ちゃんと小屋でおとなしくしてなさい」
「俺の部屋は小屋じゃねぇっ!
……何なんだよ、あいつまで!」
アゼルドはさっさと歩いて行ってしまったミスティの背中に叫んだ。
一人歩くミスティは思っていた。
「(デューグ……。昔から謎は多かったけれど、放置していても問題ないと思っていたわ。だけど、彼の影響で何か色々と変わった気がする……
もう彼はこの世にはいないのに拭えないこの“不安”……。やっぱりもう少しデューグについて調べておく必要がありそうね……)」
険しい表情のまま歩みを進め、ミスティは廊下の先へと消えて行った。




