プロローグ
さて、突然だがここで言っておきたい。肉食動物は、美しい。
想像してみてくれ。
太陽や月の光を浴びて艶めく毛皮を。
獲物を仕留める時の凶暴な光を湛えた宝石めいた瞳を。
力強く地を踏みしめ地平線を見つめる気高さを。
これを美しいと表現せずして何という? 世間の奴らは「怖い」だのなんだのと言うが、その怖さを乗り越えてこそ真の魅力を……
おっと話がずれた。この話は時間がないからまた次の機会に。
とりあえず、これだけは覚えておいて欲しい。
「もふもふは正義だ!!」
* * *
(……?)
妙な物音に彼が目を覚ますと、目の前には数頭の獣がいた。
「!?」
イヌ。
イヌだ。
少なくとも食肉目イヌ科イヌ属だということは間違いない。
成獣ではないが、幼獣でもない丁度中途半端な時期の――――
そこまで考えてやっとどうして自分の部屋に?という至極もっともな疑問が脳裏に浮かんだ。
だがしかし能天気な彼は、
(あぁそうか、俺寝ぼけてるのか。そうだよなぁ、そんな都合よくもふもふがいるわけないよなぁ……)と一瞬で夢だと判断し、再び眠りにつこうとした。
もう一度目を開けてみると、眼前にはやはり獣がいた。
獣――どうやらイヌ科のようだ――たちは、毛色はバラバラだが兄弟のようにぴったりとくっついてこちらを見つめている。
わぁふかふかもふもふ団子だーと一瞬現実逃避しかけるが、
何故獣が目の前にいるのかはわからないが、とりあえず体を起こそうとした、のだが。
うまく立てなかった。
いや、正確に言うと、「慣れていない」体を「人間のように」起こそうとしたからだった。
再三目をぎゅうっとつむり、そろりと開けてみると、そこには薄ぼんやりとぷにぷにの前足があった。
荒い息遣いとぱたぱたと振られているしっぽ。
彼はただ呆然としているのみであった。
(え? なんすか、これ。夢だよな、うん。だって俺、あの時死んだはずじゃ)
『ふふ、この仔が一番に目を開けた。見て、この翡翠の瞳!』
『ほうら、言った通りじゃない。それに、もう立とうとしてる!』
『父さまに報せてこなきゃ! あっ! 毛に一房銀色が混じってるよ!』
『あ、ほんとだ。 綺麗』
『んじゃ、急ぐぞ! チビが死んじまう前に……うがっ!?』
『『『弟に縁起でもないことゆーなっ!』』』
(……いや、まじで何これ。え? え?)
ここどこ? という顔できょろきょろ辺りを探る元人間。
といってもあまり見えていないようだが。
しばらくふらふらとさまようと、ふいにゴンっと近くの赤茶けたレンガの壁にぶつかってしまった。
そして追い討ちのようにふにふにの足に藁が刺さる。
じつに痛そうである。
『いって! あと下がなんかちくちくして痛いっ!』
(うわ、痛いマジ痛い。それにこの藁みたいな感触何! ん? なんかおかしいな)
そこでようやく彼は自分が四本足で歩いていることに気づいたようで、恐るおそる視線を下げる。
とたんにはじかれたように湿った鼻面をあげ、ふくふくとした前足で地面をひっかく。
後ろ足を上げ下げし、尻尾をふりっと振る。
次いで首を可愛らしくこてん、と傾げ。
『あれぇー?』
(えっと・・・え? あれ?犬・・・か?いや、これはおお、かみかな・・・?)
そこに見えたのは、イヌ科特有の前足である。ただし、子狼のものという違いはあった。
黒の毛皮と耳の間の一房の白銀の体毛、翡翠の瞳をもつ――まるで神話に出てくるような。
彼はまだ知らないが、彼の誕生は世界を揺るがす出来事であった。
とか言ってみるが私も実はよく知らされてはいないのであるが。
私の主は大雑把過ぎると思う。
* * *
時場所かわって少し前。
どこかのとある小さなアパートにて。
「すかー、すぴー、ずごごごご・・・んがっうにゃ・・・もふもふ・・・」
その青年は、小さな部屋ではよく響くいびきをかきながら寝ていた。
家具は少なく、テレビと棚とテーブルぐらいしか見当たらない。しかし、棚にはおびただしい数の動物の写真と、動物を題材にした本があった。
相当な動物好きであろう彼の容姿は典型的な日本人らしく黒髪。
瞳は眠っているためわからないが、おそらく茶色か黒だろう。
ヴー、ヴー、ヴー
「ピロピロピロ♪ピロピロピロ♪」
どこからともなく聞こえてくるのは軽快な音楽。
青年は「んぐるぁっ」とさながら獣のごとくうなりをあげて飛び起きた。
「何だぁ! 火事、地震!? ……って携帯かよ。 あーもうちくしょ、寝てたのに……誰だよこのメール。ま、いいや。二度寝しよ」
(いやまてよ、よく考えてみるとこの音はたしか地震速ほ・・・)
そう考えた途端、カタカタと小さな揺れがきた。
「おわっ!? マジかやっぱりそうなんの!? わわわあわわおわわあああああああ!?」
青年――相野谷奏人は地震大国日本における最大級ともい
「うぎゃわわわわわわわっ!」
それにしても
ガタタンッ!
「おひゃあああああああー!」
いちいち
ゴトゴトゴトッ!
「ひぃえぇえええええ!」
悲鳴を変えなくてもいいと思う。器用なやつである。
カタカタカタ・・・
「お、さまった?」
そうこうしているうちに揺れはおさまった。が、しかし次の瞬間。
カタッ ころころころ・・・ガッシャーン!!
という擬音とともに落ちてきたのは棚にあったもらい物の食器。
もらったはいいがあまり使うことの無い皿で、捨てるに捨てられず棚に置いてあったものだった。
そしてそれの落ちた先は頭を抱えた彼のの頚動脈。
ひびが入り、割れて尖った皿はいともたやすく、なにかに導かれるようにして――頚動脈を切り裂いた。
「……え? なn……」
なんだよそれ、とも言えず彼の意識はまたたくまに黒に塗りつぶされていき、どさっと倒れこむ。
ありゃー、すまないね。これはおそらく主の仕業だろうなぁ。あの人こういうことよくするからなぁ。
とりあえず、帰って様子をみよう。
* * *
『うーん、覚えてるのってそこまでなんだけどなー』
(で、なんで俺は狼になっているんだ。これは、なんだ、その・・・わからん。
けど、とりあえず、寝よう。寝そびれたし。Zzz・・・っは!
俺、もふもふじゃん! ヤッフー!!)
そんなことを考えつつ眠りに入る元人間であった。
すでに思考が単純化し獣がしゃべっている事にすら気づいていないのだが、これでこの先やっていけるのだろうか。
語り部としては非常に不安であるが、今回はここまでにしよう。
そう、物語はまだ始まったばかりなのだから。