邂逅
葛原家を辞して一旦事務所に戻った。
罪悪感を持ち帰ってきたような変装を解き、いつもの冴えない格好に着替えて米谷に連絡をとる。麻衣の話だと今日で夏休みの集中講義は終わる筈だった。
案の定、急いで授業から抜け出しているのか、相手が出るまで少しの間が空いた。
「もしもし?」
「白鳥です。君の探している―六月二十六日の女性の居場所が解った」
「本当ですか!」
電話越しでも米谷の興奮しているのが解る。
「明日は日曜日だし、彼女が家にいる可能性は高いだろう。いなかったら、会えるまで何度でも訪問するだけだ。とりあえず、明日会いに行こうと思うのだが、君も来るか?」
「ええ、是非」
「……解った。そうだな、昼の十一時に待ち合わせよう。事務所で待ってるよ」
「本当に、有難うございます」
「ふふ、礼を言うのはまだ早い」
「明日も言います。では講義に戻るので、これで」
待ち合わせを十一時にしたのに大した理由は無い。朝が苦手だという私の一方的な都合である。米谷の都合も彼の探し人――六月二十六日の女性――葛原真紀――の都合もあったものじゃない。
それに今日の内に、調べておかなければならないこともある。
肘掛椅子に身体を預けて目を瞑る。
もう少しで解決するだろう。
好奇心からこの依頼を受けたことを半ば後悔し始めていたが、米谷を真紀に会わすことができれば全て解決する。
私の心中にあったのは、安堵以外の何物でもなかった。
翌日、十時五十五分。
英吉利製の呼び鈴が鳴った。
「こんにちは」
「やあ。……では、行ってくるよ」
私が肘掛椅子から立ち上がると、朝から事務所に来ていた守宮麻衣は米谷に挨拶してから云った。
「いってらっしゃい。二人とも気を付けてね」
「ただ会わせるだけだ。気を付けることなどないさ。それより留守を頼むぞ」
麻衣に見送られ事務所を出た。
始終黙り込んでいる米谷を心配しながら、私はこの依頼が無事終わったら少し休業して休もうと思っていた。
探偵は――ある意味自由業である。休みたい時は事務所を閉めれば良い。収入はなくなるが、その代り休むことで誰に迷惑をかけることもないのである。麻衣は少し寂しがるだろうが。
事務所から延々と続く並木道を歩いてゆく。
米谷は真紀と面会して何と言うのだろう。そんな疑問が頭をかすめたけれど、それは実際私に関係のない話である。米谷と真紀の面会それ自体が、すなわち人探しの最終目的であり依頼の解決なのだ。そこから先は――当人同士の問題だろう。決して自分が早く休みたいからそう思っているのではない、と私は自分に弁解した。
それにしても連日快晴が続いたせいかうだるような暑さである。私は歩き出して十分も経たない内に玉のような汗をかいていた。
「暑いな」
「そうですね」
「昨日、葛原美貴の自殺について調べていたのだが」
「……」
米谷は返答しない。構わず続ける。
「翌日、六月二十三日の朝刊に記事が載っていた。小さいがな。見るか?」
「み、見たいです」
私はポケットから切抜いた記事のコピーを取りだし、米谷に渡す。
見出しには『○○市内の女性(23)自殺に不審な点有』とあった。
「記事によると、彼女の服が少し乱れすぎていたらしい。まるで死んだ後誰かに触られたみたいにね。財布とか盗まれたものは無かったから、死人を狙った追剥ぎでもないんだそうだ。見出しは少し大げさだな」
米谷は歩きながらずっと記事を凝視している。集中しすぎて電柱に危うくぶつかりそうになっていた。
「しかし妙ではある。もし彼女を弄ったのが追剥ぎではなく善良な市民だとしたら、その場で警察や救急車を呼ぶはずだろう?」
「……そうですね」
「誰が死んだ彼女を弄るような真似をしたのか。あるいは本当は何かを盗んだのか……」
「白鳥さんは何か思い当たることがあるのですか?」
少し棘のある口調だった。初めて名前を呼ばれたことに少し驚いた。
「推理小説ならここは華麗な推理を披露する見せ場なんだろうがね。さっぱり解らない」
「そんなものですよ、現実は」
依頼人、それも大学生に慰められて少し落ち着かない気持ちになったが、米谷が笑っているのを見て少し安心した。
地図を見るにもうじき目的地である。米谷より少し前に出て歩きながら、安心してばっかりだ、とふと思う。不安にしろ安心にしろ、心が安定していない時にだけ出る感情だ。やはり休んだ方がいい。そう思った時、米谷が止まっているのに気が付いた。
「どうした……?」
米谷の目線は私を通り越して先にある団地の方に向かっている。その顔は不自然に引き攣っていた。視線の先を辿った私はぎょっとした。
その先には。
団地の一室。ベランダから私達を見下ろしている葛原美貴がいた。
駄文ですが、お許しください。