愁傷
立派な御屋敷。
幼稚な表現だが、その家を見てすぐに思い浮かべたイメージはそれだった。
私は今、葛原家の前にいる。
今日の服装は青いジーンズに無地の白シャツで、黒縁の伊達メガネをかけ、髪は適度にクシャクシャにしている。
普段仕事をする時は、大抵安っぽいスーツを着ているが、何故、このようなうだつの上がらない格好をしているのかというと―。
そう。いわゆる変装というやつである。しかし、別にジーンズもシャツも変装に使おうと思って買った訳ではないし、髪も普段からクシャクシャといえばそうなので、厳密に変装と呼べるのはメガネくらいだろう。
後は雰囲気で―。
それにしても、やはり「探偵」らしいことをするのは愉快な気分になる。どうしても気が逸るのを抑えながら、どうみても日本家屋には不釣り合いなインターフォンを押した。
インターフォンから返事が返ってくるのを待っていると、予想に反してこれまた立派な玄関の戸ががらりと開いて、家から婦人が出てきた。もう葛原美貴が亡くなってから二ヶ月は経っているから関係は無いのだろうが、少しふくよかな婦人は喪服のように黒い服を着ていた。
「どちら様でしょうか」
「葛原美貴さんの家はこちらでよろしいでしょうか。僕は彼女と同じ大学院に通っております、鶴田、と申します。この度はご愁傷様でした」
「まあ。わざわざお越しいただきまして有り難うございます。どうぞ、中へお入りになって美貴に線香の一つでも、あげてくださいますか―」
ゆるゆると煙が上がっていく。
煙の向こうで、葛原美貴が微笑んでいる。一度も会ったことがないというのに、写真―遺影を見たのも一昨日のことだというのに、私はこの女性をずっと前から知っているような気がしてならなかった。
ゆらゆらと揺れるその笑顔が妙に艶やかで、思わず私は見蕩れてしまった。艶やかなのは死んでいるからかもしれなかった。
「どうぞ」
声がしたので振り向くと、熱いほうじ茶と羊羹が机の上に並べられていた。
「いやぁ、有り難くいただきます。しかし、美貴さんが亡くなってから二ヶ月も後に突然押しかけまして、申し訳ございません。葬儀にも出席したかったのですが、実は一昨日まで亜米利加に留学していまして、昨日美貴さんのことを友人から聞いたものですから―」
軽い感じを出そうとしている内に性格まで若くなってしまった所為か、調子に乗ってつい要らぬ嘘までついてしまう。
「まあ」
「飛び降り自殺と聞きました。お辛いでしょうね」
「ええ、あまりに突然のことだったものですから……。今思うと、あの子にもっと構ってあげれば良かったって……」
「では、美貴さんにその様な兆候というか、きざしみたいなものは無かったのですか?ああ、いえ、僕が彼女に最後に会ったのは半年前のことなのですが、その時はまさか彼女が自殺するなんて思わなかったので」
「無かったですねぇ。まあ、自殺なんて衝動的なものなのでしょうけれど……。いや、やっぱりあのことなのかしら」
「あのこと?」
「美貴には、彼氏がいたのです」
「ほ、へえ……」
ほう、と言いかけたのだがそれでは年寄り臭いと思い、へえ、と言い直したら、変な調子になってしまった。慣れない事をすると咄嗟の反応に困る。
しかし、実際驚きは隠せなかった。
「お友達の方にこういうことを話すのは変なのですが」
「いえ、聞かせてください。美貴さんの自殺は僕にとっても衝撃だったのです。何故彼女が死んだのか、僕も知りたい」
「そうですか。では……美貴の亡くなる一ヶ月前くらいでしょうか、美貴が突然家に帰ってきたんです。一人暮らしを始めてからというもの、実家に帰ってくるのは正月とお盆くらいでしたから、大層驚きました。実家と下宿先の距離は歩いて行けるほど近いのに、たとえ家族といっても離れてしまえば他人なんでしょうねえ。私も何故か美貴に会いに行くのが億劫になっていましたから」
そういうものなのだろうか。米谷親子にしろ葛原親子にしろ、どうにも親子間の繋がりが薄いように思える。独身男が幾ら考えたところで、親子の心情など所詮解りはしないのだろうが。美貴は―と女は続けた。
「美貴は、男の子を連れていました。誠実そうな男の子でした。今付き合っている、二つ年上の彼氏だって、紹介されました。私も娘に彼氏を紹介された事など無かったものですから、その時は腕を振るって二人にご馳走を作ったものですわ」
米谷でないことは確かだ。
年齢も違うし、彼はこの家を知らなかったのだから。
「では、その男と……何かあったと?」
「ええ。それから亡くなるまで連絡を取っていなかったものですから、想像に過ぎないのですけど……何か理由がないと、何ともやるせなくて」
語尾が微かに震えた。喪服の女は泣いているようだった。
「お気持ち、お察しします」
それからしばらくの間沈黙が続いた。さすがに気不味い。子供を亡くして深く悲しんでいるこの女性を、私は悪意が無いとはいえ騙しているのだ。しかし、訊くことはまだある。
「……今、家にはご夫婦でお住まいですか」
「そうです」
「美貴さんに、ご兄弟は?」
「……美貴は双子なのです。妹が、一人」
「そうですか」
―見つけた。
否、何となく確信はあったのだ、最初から。ただ、確証が無かっただけである。大きく遠回りした感は否めないが、米谷の依頼はほぼ解決するだろう。得体の知れない安堵感に浸っていると、あの―と声をかけられた。
「何故、そのようなことを?」
「いや、さぞかし悲しんでおられるのだろうな、と」
「それはもう。仲の良い姉妹だったんですよ。今回のことだって、葬儀に行くことができなかったことを、真紀は今でも悔やんでるのですから」
「葬儀に出られなかった?」
「ええ。その時真紀は一ヶ月の語学留学で、葬儀の前日から、加奈陀に。鶴田さんと同じですね。真紀は留学を辞めると言ったのですが、私と夫が行かせたんです。あの子も渋々承知しましたが、あの判断が正しかったのかどうか、今でも自信が持てなくて」
「今、悔やんでも仕方ありませんよ。美貴さんのためにも、前を向いて生きてください。それで今、妹―真紀さんはどこにいらっしゃるのでしょうか。一人暮らしでしょう?一度、話を伺いたくて」
今度は流石に怪しまれるか、と思ったが、すんなりと婦人は真紀の住む家の住所を教えてくれた。
二ヶ月位じゃ、美貴を失った悲しみは全然薄れないけど、いつか美貴のことを過去の人みたいに思い出す日が来てしまうと思うことが一番怖いんです―そう言って、美貴の母親はいつまでも泣いていた。
駄文ですが、お許し下さい。