再訪
「息子を、宜しくお願い致します。母親である私に相談もせず、探偵様に依頼したのには、何か事情があるのでしょう。どうか、力になってあげてください」
玄関先で、靴を履く私の背中にかけられた夫人の声は、何処か悲しげで、微かに震えていた。彼女も矢張り母親なのだ、と当たり前の事を思う。自分の子供が、自らの抱える問題を、母親である己より先に何処の馬の骨とも知れぬ探偵に相談された事が悲しい、と言うより悔しいのだろう。それでも尚毅然としている。強い女性だ――と思った。靴を履き終わり、私は夫人に向き直る。
「私は、私の仕事には責任を持ちます。解決してみせましょう」
「ふふふ、頼もしいですね」
何か困った事が起こりましたら、その時はご連絡致します、と言って夫人は静かに扉を閉じた。
流石に帰り道まで歩くのは厭だったので、駅に向かう。
途中で、電話をかけた。
事務所の扉に『出張中』の札は無かった。
呼び鈴を鳴らしながら扉を開けると、丁度麻衣が米谷武に紅茶を振舞っているところだった。昨日の紅茶とは違う香りで白い部屋が満たされている。少し甘ったるさが勝っている香りの所為で私は酩酊に近い状態に陥り、何処か外国のホテルに居るような気分になった。
「あっ、お帰りなさい所長」
「良い香りだね。市販の紅茶じゃないな」
お客様ですから、と言って麻衣は面白そうに私を見返した。
「夕子のお土産です」
「君の友達の、半年に一度は外国に旅行しないと気が済まないと言うあの少し変わっている子か。今度は何処に行ってきたんだ?」
「印度ですって。何時もの様に一人で」
麻衣の高校時代の友達である朝霧夕子は、高校生の頃からバイトをして金を貯めては旅行している変わり者で、日本国内に留まらず南国にも何度も行っている所為か肌の色は褐色を通り越して赤黒く、長く伸ばした黒髪をポニーテールにし、顔立ちも何処か外国人染みていて、おまけに何故か常時黒眼鏡をつけている女性である。大学には行かず、フリーターになってからは益々旅行好きに拍車が掛かったらしい。本人とは二、三度しか会ったことが無いのだが、麻衣の話には度々登場するし、彼女の旅行土産は麻衣を通して私も何度か貰ったことがある。事務所の呼び鈴も彼女が英吉利か何処かで買ってきたものである。
「本場の紅茶か。私も貰おうかな」
「ええ、夕子は時々少し怪しいお土産も持って帰ってきますから、先に私が毒味――御免なさい。味見しましたけど、とっても美味しいですよ」
美味しそうに紅茶を飲んでいた米谷は、怪しいお土産、と聞いた途端飲むのを止めて紅茶をまじまじと凝視したが、少し迷った挙句また飲み始めた。
麻衣は台所へ消え、私は青年の向かいに座った。
「昨日の今日で突然呼び出してすまないね」
「構いません」
呼ばれるだろうと思っていました、と何かを決意したように米谷は言った。
意外だった。
「そうか。君から受けた依頼について、少し再確認したいことがある。勝手だが――」
私の考えていることを言って良いかな、と問う。
青年は静かに首肯いた。
私は胸ポケットから写真を出し、机に置いて、昨日とは逆の方向に写真を滑らせた。
「これは、遺影だろう?君は葛原美貴が失踪した後、おそらく偶然彼女の葬儀に出席してこの写真を撮った。そして、その葬儀で彼女の死んだ日時を知ったんじゃないか?自分達が最後に逢ったより前の日だと。君は混乱しただろうね。死んだ後の彼女と逢いました、なんて、警察に相談する訳にもいかず、二ヶ月もの間迷って結局、麻衣君を通して探偵の私に尋ね人を依頼した」
「そ――そうです」
そうです、その通りです、と何か抜け落ちたように青年は繰り返し言った。先程まで昨日と打って変わった様に毅然としていたが、それは強がりであったのか。矢張り青年は何処か壊れかけているのだ、と私は茫然と思った。
「僕はあの日彼女と逢いました。彼女と話しました。でも彼女は、美貴さんは、その時にはもう死んでいたんです!頭が怪訝しくなったのか、あの時の美貴さんは幻だったのか、見てはいけないモノを見てしまったのかと思いました!確かにあの日の彼女はいつもの彼女じゃなかった。何処かそわそわしてたし、ちょっとした表情や仕草もいつもと違った!その時は、僕に別れを告げるから、だから変だったんだと思いました。でも、も、もしかしたら美貴さんはあの時」
「待ちなさい」
私は、その先を話してしまうと青年が何か大事なものを失ってしまうような予感がして、話を止めた。
青年はカップの中に少しだけ残っている紅い液体を見つめて、ただ震えていた。
麻衣が台所から戻り、私の前に紅茶を置いた。
「どうぞ」
「――有り難う」
机を回り込むと米谷のカップにも新しい紅茶を注ぐ。
「有り難う……ございます」
「何で同級なのに敬語なのよ。取り敢えず、落ち着いたら?」
麻衣が微笑みかけると、米谷は少し笑った。
これだけ取り乱して尚、青年の笑みは妖しさを醸し出していた。
「君と葛原美貴が最後に逢った日――六月二十六日のことを詳しく話してくれないか」
米谷は紅茶を飲んで落ち着いたのか、静かに、訥々と語り始めた。
「あの日――」
駄文ですが、お許し下さい。
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