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境界  作者: 白烏
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不安

 白烏はくう探偵社。

 私の事務所の、名前である。

 或る人は問う。中国の故事にならっているのか、と。或る人は問う。「珍しいもの」という意味か、と。

 しかし、事実は往々にして下らぬものである。

 本来は私の名前である、白鳥しらとり探偵社、とするつもりだったのである。ところが、開業当時、事務所の扉にその号を記すため、適当な塗装業者に頼み、作業員達が帰ってから見てみると、どういう訳か「鳥」から一本線が抜けて「烏」となっていたのである。業者に苦情を言わなかったのは、面倒だから、ということもあったが、一番の理由は、これはこれで風情がある、と私が気に入ってしまったからである。今、私はまるで最初はなから「白烏」であったかのように振舞っているし、名刺にも、「白烏探偵社所長」と刷っている。

 その名刺を見て人は白鳥はくちょうと勘違いするのだから皮肉なものである。

 埃塗れの窓を通り、にぶくなった陽光を受けて綺羅綺羅と輝く、事務所の扉に嵌め込まれた擦り硝子に、銀文字で刷られたこの偶然の産物を、私は何となく眺めていた。

 今日は暑くなる、と朝の情報番組の天気予報士は言っていた。ならば、朝の涼しい内から調査に出るのが得策である、と珍しく朝早くから準備していたのである。

 鍵を閉め、『出張中』の札を掛け、階段を下りる。

 白烏探偵社は、高層オフィスビルが所狭しと立ち並ぶビジネス街と、其処に通勤する労働者達の住む郊外の住宅街に挟まれて、多くの人が唯通過するだけの町に、忘れられた様に立つ古臭いビルの二階、その一室を借りて営んでいる。

 ビルの前の並木道に立つと、容赦無く眩しい陽光が照付けてきた。暑くなる、じゃなくてもう暑いじゃないか、と心の中で天気予報士に愚痴る。

 向かうは葛原美貴の下宿。大家――米谷武の親に、会わなければならない。葛原美貴と米谷武の出会いこそ、店子と大家の子という関係が契機きっかけだが、米谷は普段独り暮らしで、依頼のことも親に話していないらしい。しかし、二ヶ月前の状況がほとんど何も解らない今、米谷の親に話を聞くことは依頼を解決するための必須条件である。

 歩いて行こう、と思った。

 歩けば小一時間はかかるだろう。探偵は足だ、という格言が有るかどうかは解らないが、有ってもこの状況で使うのは間違っている。無意味な労働を己に強いるのは、有るか無いか解らない様な格言を信奉しているからという訳ではなく、私の単なる癖なのである。



「探偵――で御座居ます」

「探偵――ですか。その、探偵様が、一体何の用でございますの」

 女は口元だけで妖しく微笑んだ。成る程、青年の、あの妖艶なる笑みは母親譲りなのだろう。

 米谷家の、玄関先である。

「単刀直入に申しましょう。此方こちらの御子息――武君に、ある依頼を受けまして、その事で御伺いに参りました」

「武が――。此処では何ですので、お上がり下さいませ。中で詳しく――」

 お聞かせ願いませんか――と言って、女は奥に行ってしまった。息子が如何いかがわしい探偵などに、自分には内緒で依頼をしたと言うのに、微塵も動じない。生来そう言う性質たちなのか――気にはなったが、私も構わず、お邪魔します、と小声で言って靴を脱いだ。



 カラン、と氷が音を立てる。

 女――米谷夫人の出した冷えた麦茶は、真夏の太陽に絶えず睨まれながら歩いた後の渇いたからだに良く沁みた。

 一気に飲み干す。

「実に美味い。生き返ります」

「只の麦茶でそんなに喜ばれますと、逆に恐縮してしまいますわ」

 夫人は笑いながら、空いたグラスに次の麦茶を注ぐ。

「それで武は――どのような依頼を?」

「尋ね人ですよ」

 夫人は、へえ、と呟いて興味深げな顔をした。

「人探し――ですわね。誰かしら?」

「葛原美貴。御存知ですね?」

 今度は眉をひそめる。何だか所作の一つ一つが作り物染みている。

「勿論知っていますわ。美貴さんは、ほんの二ヶ月程前までこのアパートの店子でしたもの。でも、彼女は亡くなったのではなくて?」

「そうです。申し訳無いが、その時のことについて、教えてくれませんか」

「さっぱり話が見えませんけれど、息子が困っている様だから協力――ふふ、この様な浮いた言葉は似合いませんか――手伝わせて頂きますわ。少し、待って下さいね」

 夫人はリビングから出ていき、暫くすると帳簿の様な物を持って戻ってきた。

「美貴さんが亡くなった時、彼女のお母様が御挨拶に来られて。ええ、この様な寂れた小さなアパートでも、解約の時には色々と手続きがあるものですので――。亡くなったと聞いた時には、流石に驚きましたわ。あんなにお若いのに」

 普通、知合いが亡くなって、流石に驚いた、という表現はいささか淡白に聞こえるが、この夫人が言うと不自然さは無い。

 米谷夫人は帳簿を捲る。

「それが、六月二十五日――」

 米谷武と葛原美貴の最後の逢瀬の、前日か。

 否、これで米谷武が最後に会ったのが、葛原美貴では無い・・・・ことが確実になった。

 彼女は既に、死んでいたのだ。言いようの無い不安が身体の中を駆け巡る。

「どうしたのです?顔色が悪いわ――」

「いえ、大丈夫です。この頃寝不足でして」

 慌てて誤魔化す。このままでは私まで、頭が怪訝おかしくなってしまいそうである。

「それなら良いのですけど――探偵業と言うのは、不規則で大変そうですものね。お体を大事に」

「御心配は無用です。慣れてますから」

 気丈に振舞う。これも私の悪い癖だ。

「ふふ、そうですか。それにしても、武は何を考えているのかしら。一度だけ、買物の帰りに、美貴さんと近くの公園で親しそうに話しているのを見ましたけど。彼女を探して欲しい、と依頼したのでしょう?亡くなったことを知らないのでしょうか。可哀想に」

 否、彼は知っている・・・・・。だから、私は不安になるのだ。

 しかし本当に目の前の女と米谷武は親子なのだろうか。どうも先程から、他人行儀な語り口である。

「……葛原美貴が何故死んだか、御存知ですか?」

「自殺した、そうですわ。何でも、実家の近くのマンションの屋上から、飛び降りたとか」

 ――自殺?

 本当に、可哀想――夫人の寂しそうな声を、私は遠くに聞いた。

駄文ですが、お許し下さい。

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