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境界  作者: 白烏
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幻覚

 大学生にしては小柄で、眼鏡をかけた青年が此方へ静かに歩いてきた。

「二ヶ月振り――かしら」

 何故私の方から話しかけてしまったんだろう。自分の言葉が信じられなかった。あくまで二か月前にこの青年が逢ったのは姉であるというのに。私とこの青年が逢ったのは今日が初めてなのに。

 否、そうでなければならないのに。

 なのに。

 では何故私はさっき、私達のやり取りを遠くからただ見つめている細ぎすの探偵――白鳥と云ったか――にこの顔色の悪い青年に見覚えはあるか、と問われたとき肯定してしまったのだろう。これでは私はただの間抜けじゃないか。


 貴方は理屈屋なのよ。

 何か下らないことで姉妹喧嘩になる度に、しつこいくらいに姉に云われていた言葉である。私はこの言葉が大嫌いだった。

 自分の性質を痛いほど自覚していたからである。それなのに今の私はどうだ。矛盾だらけじゃないか。私らしくもない。

 嗚呼、私は揺れているんだ。わたしと姉の間で。


 しかし、意に反して言葉は止まらない。

「何故――私に逢うの。何もしなければ、貴方は夢を見続けることができたのに」

 そう、この青年に夢を見せるため、ただそれだけのことの為に、私は。

「……真実を知ってしまったから」

「可笑しいわね。貴方が貴方の言う真実を知らなければ、私の虚構が貴方にとっての真実だったんだよ?」

 嗚呼、また理屈を捏ねてしまっている。

 だからね――。

「真実なんて、虚構と同じ数だけ、無数に在るのよ。その中から一つを、貴方が選んだだけ。それだけのこと」

 私の、大嫌いな性格。如何してこんなに言い訳染みているんだろう。何に対して言い訳をしているんだろう。

「……貴女は一つ、勘違いしています」

 青年はさっきから一向に私の方を見ようとしない。

「何かしら」

「最初から貴女の虚構なんて僕の真実じゃない。僕の真実は――僕の虚構だ」

「如何いう意味?」

「美貴――」

「え?」

 体が軽くなった。


 幾らかの言葉のやり取りの後、米谷が突然いきなり真紀に手を差し延べた――かのように見えた。

 米谷は真紀の右肩に触れ、ふっと軽く押した。両手を少し広げて、空中に体を預けた真紀の、驚きとも悦楽ともとれる表情を見たのは一瞬だった。

「な」

 落とした――のか。

 一時的に声を失った私に、米谷は何故か憐れむような目を向けた。

「この高さなら、まず助からないでしょうね」

「き、君は自分が何をしたか、解っているのか」

「己の虚構に……従いました」

 この青年は、何を言っているのだろう。

 理解できない。

 したくもない。

「六月二十六日の女性ひとあの・・美貴でないことを理解した時から」

 こうすることは決めていました――。

「殺すつもりだったのか」

「殺す……?僕は夢を見続けたかっただけです」

「夢?」

「彼女に逢うために」

 青年は私から顔を背け、空を仰ぎ見た。

「美貴と会って、色々な話をして、次の約束をして、また会って。僕の存在意義はこの循環の中にしかなかった。なのに、彼女の妹は循環を断ち切る虚構を作ってしまった。でもそれが虚構であることが、僕の唯一の救いでもあったのです」

 青年は私の知らない言葉を吐き続ける。

「何が虚構で、何が真実か、決めるのは常に自分自身でしょう?僕は逢う約束をせずに生きている美貴と、逢う約束をしたまま死んでいる美貴の間で、ずっと彷徨っていた」

「馬鹿野郎!何度言ったら解る、葛原美貴は二ヶ月も前に死んでいるんだ!生きている美貴などいない!」

 突然、青年は私に視線を戻した。

「貴方の真実と僕の真実は違う」

 私の中で、何かが粉々に砕け散って壊れた。

 駄目だ。

 如何あがいてもこの青年とは――否、葛原真紀とも、守宮麻衣とも、家族でも友人でも、あまねく他人とは解り合えないのだと――瞬間的に私は錯覚した。

 青年は続ける。

「もう、我慢して此方に居なくてもいいんだ。二人の美貴が居る彼方に――僕も行こうと思います。本当に、今まで有難うございました」

 ――死ぬ気だ。

 止めなければ。

「やめろ!」

 やめろやめろやめろ。

 しかし、一歩も動けなかった。

然様さようなら」

 青年は空を抱くように大きく手を広げ、縁に足をかけ今にも落ちそうな姿勢のまま、首を捻り顔だけ私の方を向いて――口角を上げて笑った。

 最期まであの妖艶な笑みを湛え、米谷武は身を投げた。


 私はそのまま気を失ったのだと思う。

 何秒後か、何時間後か、僅かに覚醒して――もしくは幻覚を見ただけかもしれない――見えたのは、雲一つないのに何だか白くぼやけた青空だった。

長い間執筆作業から遠のいておりましたが、少なくとも連載中のこの話、『境界』は完結させますので、ご了承ください。

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