推測
何故私達を前から待っていたかのような態度をとるのだろう。彼女は私達が訪ねてくることを知らないはずだ。たまたまベランダに出て外を見ていて、偶然見つけたのだろう。六月二十六日に一度だけ出会い、話した彼を。だとしたら何故あんなに平然としていられる?
私達は何も考えることができないままゆっくりと彼女の下へと歩いていった。葛原真紀はその間ずっと悲しげな笑顔で私達、否、米谷武を見ていた。
葛原真紀の輪郭がはっきりと解るほど近づいた時、ずっと動かなかった彼女がふいにその右手を動かし、人差し指を上に向けて部屋へと戻ってしまった。
「部屋に来い、ということか。あそこは五階の……大丈夫か?」
米谷に目を遣る。彼は今どんな心境なのだろう。六月二十六日の女性。想い人の妹。
「……ええ」
話すこともできない程酷い状態ではないらしい。私はエントランスへと足を向けた。
葛原真紀の部屋と思われる五〇三号室のインターフォンを押したが誰も出なかった。一応ドアノブを回してみたが鍵もかかっている。
「どういうことだ?」
米谷武が静かに口を開く。
「屋上……ではないでしょうか」
成る程。
「ふむ。あのサインはこの階のさらに上に来い、という意味だったのかな?何でそんな場所に」
「とりあえず行ってみましょう」
この建物は七階建てである。エレベーターは勿論七階止まりで、エレベーターから出ると丁度真横に屋上に通じるのであろう短い階段があった。その先の扉は、開いていた。
「行こうか」
米谷武に対してではなく、自分に云い聞かせるように呟いた。
屋上に出ると、いきなり強い向かい風が吹いてきて、草臥れたシャツをはためかす。
そして貯水槽と思われる大きなタンクが立ち並ぶその先。
屋上の縁に、背を向けて女が一人佇んでいた。
米谷を見た。今にも女のもとへ駆け出してしまいそうだ。
米谷を手で制して、私は云った。
「探偵――で御座居ます」
女は緩慢と振り返る。その表情は、努めて無表情を繕っている様に見えた。
「初めまして。葛原真紀さん」
「探偵なんて、初めて見たわ。本当にいるのね」
風が強い。
「この青年に見覚えはありますね」
「……ええ」
「米谷武君です。私は彼から貴女を探すように依頼された探偵だ。白鳥、と申します」
女は顔の緊張を解き、俄に微笑む。
「白鳥さん、ね。それで?」
「彼が三日前、初めて私の事務所を訪れた時の依頼内容は今とは違いましてね。『葛原美貴を探して欲しい』というものだったのです」
「美貴は私の姉ですわ。もう……二か月も前に亡くなりましたけど」
「そうですね。しかし、彼は彼女がまだ生きているものと思ってしまった。貴女の――所為ですよ」
「私の所為?」
如何いうことかしら――。真紀は態とらしく頬に手を当てて考え込む振りをした。
「六月二十六日。美貴さんが亡くなってから四日後に、貴女は姉に成りすまし約束の場所で彼に逢った。その所為で、彼は見境がつかなくなってしまった。美貴さんが生きているのか、死んでいるのか」
「何故私がそんなことをしなければならないのです」
「おそらく、武君に美貴さんの死を隠すため。否、そうであってほしいと私は思っている。」
女は考える振りをやめ、私をじっと見つめた。彼女が私を見るのは初めてだな、と茫然と思う。
「おそらく?貴方の勝手な推測でしょう」
「ええ。間違っているかもしれませんね。とんだ見当違いなのかもしれない。だが、この推測が合っていようが間違っていようが私は本来如何でもいいんだ。武君と貴女を引き合わせた時点で私の役目は終わっているのだから」
「随分と適当な探偵ですのね。推理小説の模範にはなりませんわ」
推理小説が好きなのだろうか。美貴の妹としての存在でしかなかった真紀が、次第に実体を伴って存在感を増してくる。
「謎は他にもあります。先ほど約束の場所、と仰いましたが何故私にその場所が解ったのです?否、抑々何故姉と彼――米谷さんの関係を私が知っていたのですか」
「貴女達は姉妹だ。武君のことを美貴さんが貴女に話していても何も怪訝しくない」
「それも推測?」
「ええ、推測です」
風が鳴いている。
彼女の黒く長い髪を靡かす。
私の目を細めさせる。
米谷は――微動だにしない。
「武君」
目は真紀の方に向けたまま、横の青年に声を掛ける。
「依頼は解決した。君は如何する?」
これを問うのは二回目だ。
「彼女と二人で話を、させてください」
投稿に大変長く時間がかかってしまったこと、ここで深くお詫びいたします。
まだ続きますが、次の投稿にも時間がかかってしまうかもしれません。