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SECT.6 迷イ猫

 真っ直ぐに見つめる漆黒が光を帯びた。

 いつもの彼女だ。

 目の前に何が立ち塞がろうとも真っ直ぐに進んでいくその原動力は、彼女自身の意志の強さにある。その意志を瞳に灯し、彼女は軽く微笑んだ。

 そこでようやく俺は隣に佇む男の姿に気付いた。

 黒ニットから覗く金髪、セルリアンの瞳でこちらに視線を配ったヤツは、妖艶な動作であいつに近づいた。

 なぜ、あいつがここにいる?

 俺に重傷を負わせたマルクトの部下ともいうべきあいつが、元漆黒星騎士団員のシドを殺そうとしたあいつが、なぜ彼女の隣にいる?!

 しかもそいつは、わざわざ見せつけるかのように、少女が首に下げたコインを指でひっかけ、これでもかと顔を近づけた。

 思わず眉間に皺が寄る。

 離れろ。今すぐそこから離れろ。

 だから傍にいてやらないと駄目なのだ。警戒心のない彼女は、敵を敵と思わず、身内につけ、簡単に接近を許す。俺がいればあんなヤツを近くに置くことなどないというのに。いったい何を考えているんだ。

 しかし少女は、近づいてきた猫を軽くいなす。

 その様子は、とても猫を敵と認めた動きではなかった。じゃれるように、なだめるように優しく、飼い猫にでもするように。

 苛立ちを加速させられた俺を尻目に、再び俺を見上げた少女が笑う。

 唇が微かに動いた。


――いま、いくよ


 ふっと肩の力が抜けた。

 ああもう、本当にあいつは……

「……くそガキ」

 今まで俺自身が彼女を迎えに行ったことなどない。

 いつだって彼女は自分自身の力で乗り越え、俺の元へと辿り着いた。

 今回だって、俺が何を言おうと、どれだけ注意しようと無駄なんだろう。背後に庇って守ろうとしたって自ら飛び出してくるような奴だ。守られることを好まず、自らが強くなることを願うその魂に同調し、俺はいつも導いてきた。

 何より彼女は、心の底から人を信じるの。

 敵であるはずのあの猫さえ、味方に取り込んでしまうような。

 周囲の静止も聞かず、命を脅かすかもしれない敵を隣に置いているのだろう。

 知っている。

 俺はつくづく、彼女に甘い。

 審査が始まる直前に、俺はバルコニーを出た。

 すぐ後ろに、ブロンデンがついてくる。

「あれがラック=グリフィスか」

 彼はまるで何かを納得するような口調で告げた。

 太い首を大きく動かし、頷くような仕草をしながら。

「纏う空気がまるで違うな。4年前の戦争で前線に立っていたというのも頷ける――ディファンクタス牢獄を壊滅にまで追い込んだ、というのもな。実際に見るまでにわかに信じられんかったが」

 おそらくこの城において最強であろう、壮年の騎士にここまで言わしめるとは。

 確かにあのくそガキの纏う雰囲気は尋常ではないのだろう。特にあの場所、戦士が互いの力を競う闘技場ではそれが如実に表れていた。

「さっさと戻るようだが、審査は見ないのか?」

「ああ、別にいい」

 実戦経験のない『踊り子』候補と、数々の修羅場をくぐってきたあいつとでは、全身に纏う闘気がケタ違いだ。

 普通に考えて、くそガキが『踊り子』に選ばれないことなどありえない。

 普段から戦う姿も見慣れているのに、いまさら見る必要もないだろう。

「まあ、まず選ばれんことがないだろうからな」

 楽しそうに笑ったブロンデンに、何故か気恥ずかしさを覚えた。

 これではまるで、俺があのくそガキを信頼しきっているようじゃないか――まあ実際、そうなんだが。



 心落ち着けて稽古でもしようと部屋で愛剣を手に取り、再び部屋を出た時。

 俺は不思議な気配に気づいた。

 もし、探知能力に優れたあのくそガキならとうに気づいていただろう、微かな、本当に微かな悪魔の気配だった。

 軍神アレスの気が満ちているこの場所において異質な気。

 ふいに振り返ると、湾曲した廊下の向こうから靴音が近づいてきた。

 警戒をとかず、その音の方向をじっと見つめた。

 そして、壁の向こうから姿を現したのは。

「久しぶり、グレイスの旦那さん」

 黒ニットの下のセルリアンブルーの瞳。しなやかな肢体を包む黒衣。

 フェリス=ハウンド。

 セフィラの一人、マルクトを慕う敵国セフィロトの間者で、邪魔だという理由で元漆黒星騎士団員だった仲間を剣で貫き、歌劇団ガリゾーントを追われたはずだ。

 それが、何故ここに。

 そしてまるで残り香の様な悪魔の気配はいったい何だ?

 見たところ丸腰のようだが、こいつは暗器に優れている。油断するわけにはいかない。

「何が目的であのくそガキのところにいる」

 不機嫌なまま言い放つと、フェリスはきょとんとした顔で返した。

「くそガキって、自分の奥さんの事そんな風に呼んじゃダメだよ」

「うるさい」

 余計な世話だ。

 わけあって未だに夫婦と呼ぶには微妙な関係である俺とあのくそガキにとって、呼び名はいまも、最初に出会ったころのままだった。

「まあ本人の勝手だから何て呼んでもいいけどさ……それはそうと、オレっちがグレイスの傍にいる目的なんてそんなの一つしかないじゃん。シアさんに頼まれて、グレイスとアンタを見張るために戻ってきたんだよ」

 思わず眉間に皺が寄った。

 こいつがシアさん、と呼ぶのは敵国のセフィラの一人、マルクトの事だ。サンダルフォンを召喚し、悪魔を殲滅せんとする冷たき神官。

 やはりあのくそガキの隣にこいつを置いておくのは危険だ。

 これだからあいつを一人にしておくとロクな事がないんだ。

 まさか、悪魔の気配がするのは悪魔の気を宿すくそガキの傍にずっといるせいなのか?

 恐ろしい想像に気が遠くなった。

 これは次に会ったら説教だな。

「何故お前はここにいる?」

「それも簡単。アンタに会いに来たんだ」

「それこそ意味が分からんな」

 きっぱりと捨てると、フェリスは楽しそうに笑った。

「シアさん、血管キレそうなくらいに怒ってるんだよ? アンタのせいで領権侵犯になったってのに結局アンタを捕まえらんなかった。それなのに今度は武道大会で演武をやるっていうんだ。そりゃ、怒るなって方がムリだよね」

「知るか」

 喧嘩を売ってきたのは向こうの方だ。

 いや、先に俺がフェリスを沈めたんだったか?

「まあ、ひとまずアンタが無事ってのは分かったよ。無傷ってわけじゃなさそうだけどね」

 肩を竦めたフェリスから、不意に幾本ものナイフが放たれる。

 反射的に鞘に収めたままの剣で叩き落とした。

「さっすがぁ。芥子の毒にヤられた割には、元気そうじゃん」

「……っ!」

 息を呑んだ俺に、フェリスは黒ニットのしたのセルリアンブルーをきらきらとさせながら笑った。

「すごい匂い、するよ。芥子の匂いだ。オレっちもよく知ってるからさぁ、分かっちゃうんだよね」

 一瞬にして間合いを詰めたフェリスは、俺の懐に潜り込み、首筋に顔を近づけて匂いを嗅いだ。

 驚いて隙を見せた事は否定しない。

 が、完全には反応できない速さで潜り込んできたフェリスに、全身が冷える。今、狂気を出されていたら確実に怪我を負っていただろう。

 一足で距離を置いた俺を見やり、フェリスは肩を竦める。

「そんなに逃げなくてもいいじゃん。グレイスは全然逃げないよ?」

 その言葉でかっとなった。

「あいつに近寄るな」

「旦那さんが傍にいないのに、説得力ないよね」

 悪びれもせず言い切ったフェリスに殺意を覚える。

「アンタが傍を離れるのが悪いんじゃん? グレイスってば、シアさんにさえ『あいつはお人よしだから』って言うんだよ? どうなったって知らないよ。オレっちは天界の長メタトロンとシドに誓ったから絶対にグレイスは傷つけないけど、他にもグレイスを狙う人はたくさんいるんじゃないの?」

 後ろ向きにステップ、軽いテンポで俺から遠ざかって行ったフェリス。

「あれじゃあ、誰に殺されたって文句言えないよ。オレっちそんなグレイスも好きだけどね」

 ああ、苛々する。

 お前が軽々しくあいつの隣にいるんじゃない。軽々しく好きだなどと抜かすんじゃない。

 しかし――

 今、この瞬間、隣にいてやれない俺に何を言う資格もない。

 肩を落とした俺を見て何を思ったか。

「早く帰ってあげなよ。グレイスが寂しそうで見てらんないんだよ」

 最後にそう言ったフェリスは、ひらひらと手を振って、着た時と同じようにいずこへと去って行った。



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