--- ハジマリ ---
この作品は「LOST COIN」シリーズの「第二幕・放浪編 第二部」にあたります。
ここから読み始める事もできますが、もしよろしければ「第一幕・滅亡編」からどうぞ。
「LOST COIN」シリーズまとめページ↓
http://sky.geocities.jp/lostcoin_ht/lostcoin.htm
ブログ「また、あした。」
http://lostcoin.blog.shinobi.jp/
かつてこの大陸には、悪魔たちを崇拝する王国があった。
悪魔が護る王国、グリモワール。
グリモワール王国独立戦争の折、後の初代国王ユダ=ダビデ=グリモワールとその親友で稀代の天文学者であったゲーティア=グリフィスは、天使たちに護られるセフィロト国の神官に対抗するため、魔界から悪魔を召喚し、闘った。
十数年に及ぶ戦の末、グリモワール王国は独立を勝ち取った。
そして建国後ほどなく、初代ダビデ王と稀代の天文学者ゲーティア=グリフィスは、72の悪魔と契約を結び、それぞれ72のコインを作り上げた。ダビデ王は72人の天文学者一人一人にそのコインを与え、天文学者たちは人知を越えた悪魔の力を使役してグリモワール王国の祖を築き上げた。
悪魔の王国の誕生だった。
さらに、王国の祖となるダビデ王、稀代の天文学者ゲーティア=グリフィスの二人と並び称される女性騎士がいる。
名はレティシア=クロウリー。
戦の悪魔マルコシアスを使役した彼女は、王国最強の炎妖玉騎士団を率い、北と西の国境線を引いた。
女性騎士レティシア=クロウリーが土地を、初代国王ユダ=ダビデ=グリモワールが治世を、稀代の天文学者ゲーティア=グリフィスが悪魔の力を、それぞれが創り出した力をもとに、グリモワール王国は繁栄の時を迎えた。
しかし、建国より長きが経過した今、グリモワール王国はもう存在しない。
4年前に勃発したセフィロト国とグリモワール王国の凄惨な戦の結果、グリモワール王国はディアブル大陸から姿を消したのだ。セフィロト国は、ここぞとばかりに悪魔崇拝を弾圧した。
だが、長年信仰してきたものをおいそれと捨てられるわけもない。グリモワール王国民だった人々は、天使崇拝が強要される中で、ひっそりと悪魔を崇め続けた。例えセフィロト国の厳しい禁止令が縛ろうと、人々は諦めなかった。
そして、王国の滅亡を生き延びた最期の王子は、そんな多くの人の心を知り、グリモワール王国再建を誓ったのだ。
さらに、グリモワール滅亡後に遺されたのは、初代国王ユダ=ダビデ=グリモワールの時代から脈々と受け継がれてきた王家の血と、悪魔崇拝の心だけではない。
ゲーティア=グリフィスが創り上げたコインはいまも多くが残されており、その血脈は一人の少女の中で生きている。少女は、かつて始祖がそうしたように多くの悪魔と契約し、さらには最強の悪魔を内に秘めていた。
また、建国に多大な貢献をした女性騎士レティシア=クロウリーも悪魔の血を残している。生涯を剣の道に捧げ、一人身を通した彼女は人の子はもうけなかったが、悪魔と交わり、子を成していた。
建国から500年たった今も、レティシア=クロウリーの子孫である俺の中には悪魔の血が生きている。悪魔の力が隠されている。ふとしたことで現世界に具現化するそれは、俺を息子と呼ぶ悪魔から分け与えられたものだった。
かつて自分たちの先祖がそうしたように、レティシア=クロウリーの子孫である俺と、グリフィスの末裔である少女は最期の王子に絶対の忠誠を誓った。
セフィロトとグリモワール。
天使と悪魔。
相対するモノが互いを消しあおうとするのは道理だ。近縁種は反発する――それは、はるか太古に世界が定めた『理』。
天使は悪魔を嫌悪し、悪魔は天使を憎悪し、挙句、世界は完全なる欠片を創り出した
まるで一つの魂を二つに割ったように、容姿の似通った天使と悪魔の対がある。『片割れ』と呼ばれるそれらは、互いを滅ぼしあう運命にあった。
俺の中に悪魔の力を遺した悪魔は、名をマルコシアスという。彼は俺の使役する悪魔であり、父であり、師匠だった。
悪魔の角を持ちながら、背に純白の翼を湛え、頭上に金冠を戴くマルコシアスは堕天の悪魔――少女の中に巣くう最強の悪魔と共に天界から魔界へと下った元天使。
マルコシアスと対を成すのは、殺戮と滅びの悪魔グラシャ・ラボラス――闇色の毛並みと血のような炎妖玉の瞳を持つ、鋭利な牙の殺戮者。
マルコシアスとグラシャ・ラボラスは天使と悪魔の片割れ同士、互いを滅ぼし合う運命にある。
グラシャ・ラボラスと契約したのは、稀代の天文学者ゲーティア=グリフィスの末裔に当たる少女だった。
互いに滅ぼし合う運命にある二つの魂は、俺と少女の中に分かたれた。
いつかきっと、マルコシアスとグラシャ・ラボラスは争うことになるのだろう。どちらかの消滅だけが平衡の安息であると分かっているから。
逃れ得ぬ道、その先に待つのが敵対だとしたら、俺はいったいどうすればよいのだろう。
もしあいつが剣を差し向けてきたら、その切っ先に俺は自らの喉を差し出してしまうかもしれないというのに。
それでも、マルコシアスを失くしたくない気持ちも本当だった。
だから、きっと、俺は――
ぴんと張り詰めた空気が周囲を取り巻いている。
まだ怪我が治りきっていない左手ではなく、右手に練習用の剣を手にしているせいで、どうしても違和感が拭えないのはこの際我慢しよう。この怪我はすべて自分の所為だ。
その代わり、一度折れてしまった右足はアフロディテの治療のおかげで回復していたし、芥子の禁断症状が襲ってくる感覚も、揺り返しもかなり頻度が低くなっていた。
こうして、軍神アレスを相手に稽古をするほどに。
朝の稽古を再開してもいいという医師アーディンの許可が出た時、かなりほっとした。
これまでずっと習慣にしてきた朝稽古を再開できると言うだけで気持ちが違う。
相手と見合ったこの間だけに感じ取れる、『何か』を共有していると勘違いしてしまいそうになる瞬間はとても心地いい。
命のやり取りをするような戦いの中に在る人生を願ったことなど一度もないが、こうして対峙するのは好きだった。
軍神アレスは両手でしっかりと柄を握り、正眼に構えている。隙のない構えだった。
足運びから、見た目通りの東方の剣術を学んでいることが分かる。手にしたのは直刃の木刀だが、切っ先の位置から反った片刃の刀剣を使うことなどすぐにわかる。
それも、相当な鍛錬を積んでいる。
どちらかが髪の毛一本分でも切っ先を動かせば破られる静寂。
先に動いたのは俺の方だ。
何の小細工もなく、真っ直ぐに、ただ剣を突き出した。
東方の剣は細く、弧を描いた切れ味鋭い薄い片刃が特徴だ。大陸西岸で主に使われる両刃の大剣を手にしたときのように力任せに剣を受けるようなことはせず、足運びと重心移動で『避ける』事を得意とする。
軍神アレスも例にもれず、俺の剣先を見きり、流れるような動きで静かにかわした。
まるで残像でも残りそうなその動きにぞくりとする。
間髪いれず剣を握る手元を狙ってきた剣先を避けるように右手を引きこみ、逆手で薙ぐ。
が、腕が伸びきる前に肘を抑えられた。
一瞬にして再接近戦に持ち込んだ軍神アレスは、刃のない剣を俺の喉元に突き付けてきた。
意識より先に体が反応する。
軸足に一瞬力を入れ、瞬間、飛び退った。
無理な動きでバランスを崩しそうになるが、両足でしっかりと地面を掴む。
右足が、ほんの少しだけ痛んだ。
完全回復とはいかないらしい。
「無理な動きはするんじゃねぇよ」
タイミング良く医者のアーディンが釘を刺した。
危うく左手に持ち替えそうになっていた剣を、右手で握り直した。
無表情の軍神アレスも再び正眼に構え、間合いをとった。