ソーダ水
れんこん同好会の活動は酷くどうでもいい思いつきから決まることが大半だった。
そのこともあってか、同好会に所属する三人が、活動場所である私立ンジャメナ学園の第三被服室に集まった時には、その日に何をするのかということが決まっていることの方が多かったのだが、その日は珍しく活動内容が一切決まらないまま、ただ徒に時間だけが過ぎていた。
れんこん同好会の発起人であり、同好会の責任者――会長である宇和島初香が立ち上がったのは、そんな中でのことだった。
スマホを弄ったり、手元にあった漫画を読んだりしながら、ただ雑談に興じていた高知菜々美と丸亀恋々乃は顔を上げ、立ち上がった初香を見やる。
「どうしたの、ハッちゃん? 何するか決まった?」
「いや、全く」
ようやく本日の活動が定まったのかと思い、重い腰を上げかけた菜々美を制するように、初香がかぶりを振る。
「じゃあ、何で急に立ち上がったの? 如何にも、何かあるみたいな感じも醸し出して」
「ちょっと喉が渇いたから、飲み物でも買ってこようかと思って」
「学食の自販機?」
菜々美の隣で黙って聞いていた恋々乃が問う。初香は首肯すると、思い至ったように菜々美と恋々乃の顔を順番に眺めてくる。
「そうだ。二人の分も買ってくるよ。何か飲みたい物ある?」
「えっ? 本当? なら、私はミルクティーの冷たい奴」
「お茶漬け」
「お茶漬け……?」
ミルクティーを頼む菜々美の横で、恋々乃が主張するように片手を上げ、頼んだ飲み物に菜々美は小首を傾げるが、初香はその部分に疑問を懐く様子も、深掘りすることもなく、分かったと言わんばかりに指先で輪っかを作っていた。
「オッケー。じゃあ、買ってくるから」
そう言って、初香が第三被服室を後にし、残された菜々美は一応、恋々乃に確認してみる。
「お茶漬けって言った?」
「うん」
聞き間違いではないようだ。そのことが分かった上で、如何に触れるのが正解かと考え、菜々美はいくつか思い浮かんだ疑問の一つを口にする。
「自販機にあるの?」
「さあ?」
小首を傾げる恋々乃に、菜々美は絶対にないだろうと思いながら、それを頼まれた初香が何を買ってくるのだろうか、と少し気になり始めるのだった。
◯ ○ ◯ ○
初香が帰ってきたのは、それから三十分が経過しようとしていた頃のことだ。
流石に遅いのではないかと、菜々美が恋々乃と一緒に様子を見に行こうとしたところで、タイミング良く初香が帰ってきた。
「お待たせ」
「あっ、おかえり。大丈夫だった? 遅いから心配してたんだよ?」
「いや、流石にちょっと運ぶのが大変で」
言われてみたら、初香は計三本の飲み物を第三被服室まで運んできたわけであり、学食との距離を考えたら、流石に手伝うべきだったかと菜々美は今更ながらに思う。
「けど、安心して。二人の飲み物はちゃんと買ってきたから」
そう言いながら、初香は部屋の中に入ってくると、運んできた飲み物をテーブルの上に置いていく。
「と言っても、ココが希望したお茶漬けは売り切れてたから、別のにしてきたんだが」
初香がテーブルの上に並べた飲み物の中から、スチール缶に入った飲み物を手に取り、恋々乃に渡している。
その様子を見ながら、菜々美は売り切れということはお茶漬け自体の販売はあるのかと、私立ンジャメナ学園の自販機の幅の広さに驚愕していた。
「ということで、はい、お味噌汁」
「ありがとう」
「お味噌汁……?」
聞こえてきた想定外の飲み物の名前に菜々美は驚愕し、思わず初香の手元を覗き込んでしまう。
そこには豆腐のお味噌汁と書かれたスチール缶が握られており、菜々美は目を丸くしながら、思わず心の中で呟いてしまっていた。
(豆腐の……?)
こんな物があるのか、もしかしてこれはシリーズ化されているのか、豆腐以外にもワカメや油揚げ、モロヘイヤなどのバージョンがあるのか――などと菜々美が一本の缶のパッケージから妄想を膨らませていると、初香が今度はテーブルの上のペットボトルを手に取り、菜々美の顔に押しつけてきた。
「はい、これ、ナナ」
「冷たっ!? あ、ありがとう、だけど、顔はに当てるのはやめてよ」
初香のちょっとした悪戯に抗議しながら、菜々美は差し出されたペットボトルを受け取り、そのラベルに目を向ける。
そこで菜々美の表情が固まった。
「あれ? ハッちゃん? 私って、ミルクティーを頼んだよね?」
「ん? ああ、うん。そうだね」
「忘れたわけじゃなくて、そのことは覚えてるの?」
「もちろん。さっきの今で、流石に忘れないよ」
「じゃあ、何でサイダーを買ってきてるの?」
菜々美は渡されたペットボトルを初香の前に突き出し、そこに書かれたサイダーの文字を指で強調した。
ミルクティーを頼んだはずだが、と態度で強く抗議しようとする菜々美に対して、初香は分かっていると言わんばかりに手を上げ、菜々美の気持ちを落ちつかせるように両手を動かす。
「いろいろあったんだよ。言うなら、成り行き、だね」
「絶対、押し間違えたとかでしょう?」
初香のすることなど分かっている。概ね、隣のミルクティーを押そうとして、何かを横目で見ながら押したら、サイダーになってしまったというところだろう。
それで仕方なく押しつけてきたに違いない。
ミルクティーではなかったことに納得がいったわけではないが、そもそも、この飲み物は初香の善意によって買ってこられたものだ。
これ以上の抗議の言葉は流石に恩知らずにも程があると思い、菜々美は湧き上がってきた気持ちを抑え、初香に笑みを送る。
「まあ、わざわざ買ってくれてありがとう」
「いやいや、どういたしまして」
嬉しそうに初香が笑う。
菜々美は本来、頼んでいたものとは違う飲み物ながらも、ありがたくサイダーを飲もうと蓋に手を伸ばしていく。
そこで初香がテーブルの上に置かれていたペットボトルを手に取り、菜々美同様に飲もうとしていることに菜々美は気づいた。
視線は自然と初香の手元に吸い込まれ、そこにあるペットボトルのラベルを見たことで、蓋を開けようとしていた菜々美の動きが止まる。
「ちょっと待って! ハッちゃんも同じサイダー?」
「えっ? あ、うん、そうだけど。それが何か?」
菜々美の疑問に初香は首を傾げながら、手に持ったペットボトルを開けようとする。
「いや、だから待って。そのペットボトルをテーブルに置いて」
「えっ? 何で?」
「いいから」
菜々美に言われるまま、初香は手に持っていたペットボトルをテーブルの上に置き、菜々美はその隣に自身が受け取ったサイダーを並べる。
「これって、ハッちゃんが飲みたくて買ったサイダーだよね?」
「うん、もちろん」
「それを二つ買っちゃって、私のミルクティーはなくなったんだ?」
「まあ、結果的にはそうなるね」
菜々美が何を言いたいのか、初香には伝わっていないようで、初香は小首を傾げたまま、不思議そうに菜々美の顔を見つめていた。
そこで菜々美は気づいてしまった、初香がサイダーを買ってきた理由を指摘してみる。
菜々美の指がテーブルの上のペットボトルに向く。
「ハッちゃんさ」
「ん?」
「このサイダー落としたよね?」
菜々美が初香の顔を真正面から見つめて、そのように問いかけると、今の今まで菜々美の顔を見つめていた初香の頭が不意に回り始めた。
「い、いや……?」
「目が顔ごと泳いでるけど?」
明らかに図星である。
これは確実に一本を落としてしまい、それを菜々美に押しつけることで、自分は安全なサイダーを飲もうと画策したに違いない。
いくら買ってきてくれたからと言って、急に吹き出すサイダーを渡されても仕様がないとは流石に思えない。
菜々美は逃げ惑う初香の視線をじっと見つめたまま、ゆっくりと手をテーブルの方に伸ばしていくと、そこに並べられたペットボトルを同時に掴んでいた。
そのまま場所を変えようとしたところで、初香が菜々美の行動に気づいて、慌てて手を伸ばしてくる。
「いやいや、何してるんだ!?」
「サイダーを取り換えようとしているんだよ。落としてないなら、何も問題ないでしょう?」
「いやいや、蓋とか開けようと思っていたところだから!?」
「いや、思っていただけで、もう一口飲んでいるからみたいな言い方されても」
「心は開けてるから!? 心の蓋は開けてるから!?」
「それはもうペットボトルの話じゃなくて、ハッちゃんの心の話になってるよね?」
ペットボトルを掴んでいた菜々美の手は、初香によって無理矢理に剥がされ、初香は頑なに落としたことを認めないまま、菜々美は片方のペットボトルを押しつけられようとする。
「まあ、いろいろとあるかもしれないけど、ナナはこれで、ね!?」
「いやいや、落としたサイダーは自分で飲んでよ!」
「落としてないから大丈夫だよ!? 爆発とかしないから!? 美味しさに心が爆発するくらいだから!?」
「心が爆発は別の意味でやばくない?」
二本のペットボトルを前にして、菜々美と初香による一進一退の攻防が続く。菜々美は何としてでもペットボトルを入れ替えようとするが、初香の手がひたすらにそれを阻止していく。
「じゃあ、開けるだけでいいから、ハッちゃんが開けてよ。それ自体は飲むから」
「ナナ、ペットボトルの蓋くらいは自分で開けられるようにならないと」
「まるで開けられないから言ってるみたいなトーンで言わないで」
妥協案も拒絶され、菜々美がどうしようかと頭を働かせようとした時のことだ。
不意に恋々乃が滑り込むように近づいてくると、二人の近くのテーブルに置かれていたペットボトルを掴み、一気にシャッフルし始めた。
「ちょっ……!? ココ!?」
「ココちゃん、何してるの!?」
流石に菜々美と初香は揃って驚愕し、再び位置を整えるように並べられた二本のペットボトルを見やる。
その二本を丁寧に並べていた恋々乃が両手を広げて、二人に勧めるように示してきた。
「運試し」
「運試し……?」
「これで選んで、吹き出したら外れ。どう?」
恋々乃に問いかけられ、菜々美と初香は顔を見合わせる。
確かに、絶対に吹き出すサイダーを押しつけられるよりはマシに思えるが、結局、サイダーが吹き出すかもしれない可能性は消えていない。
それなら、最初から初香に責任を取らせて開けさせるべきではないかと思ってしまうが、今はもう並べられた二本のペットボトルのどちらが吹き出すのか分かっていない。
この状況で二本とも開けてくれるとは思えないし、かと言って、自分で吹き出さない方を選ぶことも困難になってしまった以上、恋々乃の言う運試しに乗ってみるしかないかと菜々美は思った。
「分かった。そうしよう」
「まあ、もう混ぜられたから、そうするしかないな」
「その代わり、ハッちゃん。私から選ばせて」
「えっ? 何で?」
「いや、だって、ハッちゃんが落としたから、私のミルクティーがサイダーになったんだよね? ここで先に選ぶくらいの権利はあっても良くない?」
「うーん……?」
菜々美の言い分に初香は小首を傾げて考え込んでいた。それで本当に問題ないのかと検算している様子だ。
「まあ、それくらいはいいか。落としてないけどね?」
頑なにそう言い張る初香の前で、菜々美は一本のペットボトルを手に取る。
「じゃあ、私はこっちで」
「なら、私はこっちか」
そう言って、初香がペットボトルを手に取り、二人は静かに顔を見合わせていた。
「お先にどうぞ」
「いいのか、ナナ? これで吹き出さなかったら、そっちが確定になるが?」
「いいよ。ていうか、やっぱり落としたんだね?」
「落としてはいない、絶対に」
菜々美に促され、初香は手に持ったペットボトルの蓋を掴む。
これで吹き出すのか、開ける当人だけでなく、それを見守る菜々美も緊張の面持ちでペットボトルをじっと見つめていた。
初香がゆっくりと手に力を入れていく。固定されていた蓋が切り離される音がして、そこから一気に回転の速度が増していく。
やがて、初香が開き切った蓋を持ち上げた直後のことだった。
ペットボトルの底からサイダーが音を立てて吹き出し、部屋の中に小さな噴水を作り上げていた。
初香は慌てて蓋を戻しているが、その時にはサイダーで身体が濡れ、あちこちから甘い匂いを漂わせていた。
「やった! ハッちゃんの外れ!」
「く、くそ……。ナナに渡して、うまく逃れたつもりだったのに……」
「やっぱり、そういうことだ。きっと罰が当たったんだよ」
吹き出すサイダーの恐怖から解放され、菜々美は因果応報とも言える初香の末路を笑顔で眺めながら、何気なくペットボトルの蓋を捻っていた。
その途端、菜々美のペットボトルから勢い良くサイダーが吹き出し、菜々美の身体に吹きかかった。
「えっ? えっ? 何で?」
「どうして、吹き出したんだ?」
急にサイダーで甘い匂いに覆われた菜々美だけでなく、その様子を眺めていた初香も不思議そうに目を丸くする。
二人が揃って何が起きたのかと首を傾げる中、その二人から少し離れた位置で、二人の運試しを見守っていた恋々乃が不意に手を叩いて声を上げる。
「あっ、なるほど」
「どうしたの、ココちゃん?」
「何がなるほどなんだ?」
何が起きたのか分からず、困惑する二人の前で、恋々乃はさっきペットボトルが並べられていたテーブルを指差す。
「ここでシャッフルする時、速く動かし過ぎたかも」
そう言われ、菜々美と初香は唖然としたまま、テーブルの上で恋々乃がペットボトルを動かしていた時のことを思い出す。
確かに、その時はどちらが菜々美に手渡されたペットボトルで、どちらが初香の持っていたペットボトルから目で追えない状態になっていた。
「ごめん」
謝る恋々乃に菜々美と初香は苦笑しながら、顔を見合わせる。
「いや、何か、私の方こそ、ごめんね」
「いやいや、私こそ、ごめん」
連鎖的に二人も謝って、初香のサイダーを起因とする一悶着がようやく落ちつこうとする。
「今日、体育あったから、体操服あるし、着替えようか」
「そうだな」
菜々美と初香は吹き出したサイダーによって汚れた制服を着替えようとし、恋々乃は吹き出したサイダーの後始末をするため、雑巾を取ってこようと第三被服室を後にする。
そこで制服のボタンに手を伸ばしていた初香が、不意に思い出したように呟いた。
「ていうか、やっぱり、落としてないからな」
「いや、もういいよ、それ」




