7.何を消すのか
「エミリア!」
背後からクロード様の声が響き、私は足を止めた。
振り返ると、クロード様がこちらへ駆け寄ってくる。その声には、戸惑いとどこか憐れむような響きが混じっていた。
「申し訳ありません、クロード様。でも、私がここにいても誰も楽しくないでしょう?」
静かにそう告げると、クロード様は何か言おうとして、言葉を飲み込んだ。その沈黙が、胸を痛める。
私は向き直り、ゆっくりと玄関へ向かって歩き出す。
すると――
「やっぱり待って、エミリア」
今度は別の声が私を引き留めた。振り返ると、フィリップ様がこちらへ歩いてきている。クロード様の後を追ってきたのだろう。
「さっきの話だけれど、例えば……」
彼は興味深そうに私を見つめた。
「本当に願ったら、人を消すことはできるのかい? できるかどうか、気になるんだ」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がさらに重く沈む。隣でクロード様が息を飲むのが聞こえた。
――私の答えを待っている。答えるべきではない。それは分かっている。けれど、胸の奥で、何かが静かに沸騰していくのを感じた。
「まあまあ、そんな怖い顔しないでくれよ」
フィリップ様が軽く手を上げ、私の言葉を遮った。
「ただの好奇心さ。そんな怒ることはないだろう?」
その笑みは軽い。けれど、その瞳の奥には人を試すような冷たい光が宿っていた。
「エミリア嬢にとっても、いい機会じゃないか? 自分の力を証明するためのね」
「私は、そのようなことに力を試すつもりはありません」
私は毅然とした声で答えた。フィリップ様は、それを聞くと機嫌を損ねたのか、ムスッとした表情で言い放った。
「そうかい? それは残念だ。じゃあ今日のところは、魔法を使っても使わなくても、早くこの場から消えてくれ」
自分で引き留めたのに、そんなこと言い、肩をすくめ、笑う。
「まあ、君が本当に命を奪えるかどうかは……はは。そうだな、人に迷惑をかけないように、自分の存在で試してみるのがいいんじゃないか? さあ、クロード、戻ろう」
その辛辣な言葉を背に、私は再び玄関へ向かって歩き出した。嘲笑や侮辱に、これ以上耐えられない。
――早く帰りたい。
急ぎ足で外へ出ると、冷たい空気が私の頬を撫でた。胸いっぱいに空気を吸い込み、私は馬車へ向かって歩き続ける。
「自分を消す……か」
ぽつりと呟いた言葉は、思いのほか重く響いた。フィリップ様が無神経に放ったその一言が、私の存在そのものを否定されたように感じられてならない。
もし、本当に自分を消すことができたなら。
それは解放になるのだろうか。
それとも、ただの逃避に過ぎないのだろうか。
空を仰ぐと、薄暗い雲が重く垂れこめていた。私の心の中を映しているかのように、重く、暗い。 そして、その雲の向こうには、何もないように思えてしまう。
馬車へたどり着き、扉を開け、そのまま中へ身を投げ込んだ。扉が閉じる音が響き、外の世界との繋がりが断たれる。
その瞬間、私はやっと息を吐き出すことができた。
「屋敷へ……お願い……」
そう声をかけると、馬車はゆっくりと動き出す。車輪の振動が伝わり、一定のリズムが体を揺らす。
本来なら心地よいはずのその揺れも、今はただ胸の奥をかき乱すだけだった。私は手を強く握りしめていた。指先が白くなるほど、力が入っていたようだ。
「消えたい……」
心の奥底で、そう願う自分がいる。――この世界から、跡形もなく消え去りたい。
そんな思いがふと浮かぶ瞬間がある。けれど、その思いに囚われてしまうことが、何よりも恐ろしかった。 もし私が、本当にそう願ってしまったら、そのとき、何が起こるのだろう。
それを試す勇気も、本当に望む覚悟も、まだ私にはない。
……もし私が消えたとして。
誰が、私を覚えていてくれるのだろうか。
馬車が屋敷に近づくにつれ、少しずつ心は落ち着いていく。それでも、胸の奥に残る暗い影は消えなかった。 不安と孤独が、静かに、確実に、私の心を蝕んでいる。
やがて馬車は屋敷の門をくぐり、静かに止まった。私は無言のまま邸に入り、そのまま自室へ向かう。もう誰もいない。誰にも見られていない場所で、私はただ一人、自分の弱さと向き合う。
「どうして……」
どうして私はここにいるのか。
どうして私は、このような運命を背負ってしまったのか。
その答えを、私は見つけることができない。
「お父様……お母様……お兄様……」
ぽつりと名前を呼ぶ。けれど、返ってくるのはただの静寂だけだった。私はゆっくりと立ち上がり、鏡の前に立つ。そこに映っていたのは――やせ細り、顔色も悪く、目の下には濃い隈を作った少女。
瞳は冷たく、どこか虚ろだった。それは、紛れもなく、私自身。
誰からも必要とされない存在。
……自分ですら、嫌いになりかけている存在。
それでも。私はただ、じっとその場に立ち尽くしていた。
何もできない。何も変えられない。そんな自分に、どうしようもない嫌悪を抱きながら。




