56.花が咲き乱れる中で END
「ねえ、リア? さっきの結婚の話、どう思った?」
少し出かけようと誘われ、馬車に乗った。馬車の中は、言葉が響き渡るほど静かで、その静寂が私の緊張をさらに煽っていた。
ヴィルお兄様の顔が近くて、そのせいか私は無意識に息を呑む。さっきの話が頭を離れない。なんだか、鼓動がどんどん早くなっている気がする。
「え、えっと。ヴィルお兄様は、素敵ですもの、私じゃなくても」
自分で言っていて、心が沈むのがわかる。
婚約解消された身である私は、やはり傷物として扱われるだろう。そんな私がヴィルお兄様に相応しいはずがない、と頭ではわかっているのに、なぜか胸が痛む。
「私は、リアに釣り合うと思うかい?」
私に、釣り合う? 逆ではないのだろうか? うう、ヴィルお兄様が近い……逃げ場がない。真剣な瞳が私を捉える。
「釣り合うも何も、もったいないくらいですわ。でも、ずっと兄として……」
なんとか言葉を紡ぎ出すが、その言葉は弱々しく、ヴィルお兄様の耳にどれほど届いているのだろうか。
「じゃあ、今日からヴィルお兄様と呼ぶのを辞めよう。ほら、ヴィルって呼んでみて?」
「あのヴィルお兄様は……」
「ヴィルだよ」
有無を言わせない圧を感じ、私は急いで訂正する。
「ヴィ、ヴィル様は、え? えーと、ヴィルは、私との結婚に前向きなのですか?」
”様”のところで顔が微妙に歪む。……どうやら”様”もだめらしい
「リアは違うのかい? 悲しいな……」
少し俯き、肩を落とした。その姿に、私は胸が締め付けられるような感覚を覚える。
「わ、私は、後ろ向きではない……と思います。でも、急なことに心が付いてきていないっと言うか……」
「ふふ、馬車の中で確認することじゃなかったね。さあ、もうすぐ着くよ」
ヴィルお兄様が離れる、私は、ほっとした反面、どこか寂しさも感じていた。
◇
「ここは……」
馬車が止まり、外に出ると、見渡す限りの色とりどりの花が咲き乱れる光景が広がっていた。ここは、以前、ホレスさんが話していた花畑に違いない。
「暖かくなったからね。ちょうど、これからが見頃だよ」
そう言って、私の手を取り、花畑の中の道をゆっくりと歩き始めた。彼の手の温もりが伝わり、私の胸の鼓動が再び早くなる。
「これは、リアが好きだと教えてくれた花、これは、リアの瞳の色の花、リアと一緒に座りたいベンチもあるよ。このアーチに使われているバラは、リアが好きそうだからセシルに頼んで取り寄せたんだ」
ヴィルは、次々と花や景色について説明してくれる。その声には、私への想いが込められているようで、私の心に深く響いた。
「毎年少しずつ増やしていったら、こんなに大きくなってね。今じゃ領地の観光名所だ」
「素敵ですわ。みんなが幸せな気持ちになる場所なんて」
私は心からの言葉を口にする。こんな美しい場所なら、誰もが幸福を感じることができるだろう。
「リアなら、そう言うと思った。本当は、リアのために作ったのだから、私とリア以外は入れないようにしようと思っていたんだけど。美しいものは、分かち合うものって、リアが昔教えてくれたから公開しているんだよ」
昔って……私たちが初めて会った頃のことだわ、きっと。それを彼は今でも大切に覚えているのだ。こんなにも私のことを考えていてくれたなんて、思いもよらなかった。
「ヴィル……」
自然と彼の名が口をついて出る。彼の優しさと深い愛情に、胸がいっぱいになる。ヴィルはふと足を止め、ポケットから小さな箱を取り出した。
「リア、私は君の心を少しずつ手に入れようと、これまでずっと我慢してきたんだ。でも、今日、母に先を越されてしまった。『一生大事に』って、私が先に言うはずだったのに。ああ、万が一、他の男に君への求婚を先にされたらなんて、考えるだけで気が狂いそうだ。必ず君を幸せにする。だから、どうか私と結婚してほしい」
彼は穏やかな声で告げる。その箱の中には、美しい指輪が輝いていた。
指輪には、タンザナイトが光り輝く。ホレスさんに頼んでいたアクセサリーは、これだわ。この前、会ったとき、ホレスさんがニヤニヤしていたもの。
でも、私は……
「ヴィル……長年の婚約者を見捨てた女が、あなたの隣に立つ資格があるでしょうか……」
ヴィルは私の手を優しく握りしめた。
「リアが傷ついたら、私のことも見捨てていいんだよ」
真剣な瞳が私を見つめる。
「まあ、そんなことになったら、私は生きられそうにないけどね。そもそも、傷つける気もないし。クロードのことは、もう気にすることはない。平民となり父である伯爵と会うことは叶わなくなったが、力仕事ができるくらい元気になったようだし、もうすぐクロードも父になるそうだ。新しいスタートを切っている」
クロードが、父親に⁉︎
「そうなのですね。ヴィル……もしかして、私のために調べてくれたの?」
ああ、なんだか心の重荷が軽くなったようだわ。
「リアは、リアの幸せだけ考えればいい。その幸せに、私を入れてくれると嬉しいのだが」
ヴィルの言葉に、私の心は一瞬にして、温かさで満たされた。
「リアがいない世界に興味はないんだ。もしリアがいなくなったら、消えてしまいたい。……いや、世界ですら消えてしまえばいいと願うだろう。両親や兄たち、セシルがいても、リアがいない世界でなんて、生きられるはずがない。何をおいてもリアが最優先だ」
胸の奥に、ずっと前からあった想いが、ゆっくりと形を成していく。今になって、ようやく気づいた。
私も同じだわ。
クロードに愛されないからではなく、もしヴィルに疎まれたら、消えてしまいたい――そう思っていたのだ。
この想いは、今生まれたものじゃない。ずっと前から、私の中にあったものだったのだわ。
これまでだって、ずっと大切にされてきた。どんな私でも受け入れてくれた。不安や迷いが、嘘のように消えていく。
「ええ。私も、ヴィルのいない世界なんて、考えられないわ」
私は微笑みながら、彼から指輪を受け取り、そっとその輝きを見つめた。繊細な細工が太陽の光を受けて、美しくきらめいている。
「ああ、リア……」
私は彼の腕の中に包まれていた。ヴィルは私をしっかりと抱きしめ、その温もりが私の体に広がる。彼の心臓の鼓動が私に伝わる。
ふと、手にした指輪から、微かな魔力を感じた。
私は一瞬驚いたが、すぐにその魔力の正体を悟った。これにもヴィルが何か特別な付与魔法を施したのだろう。彼の気持ちが込められているのだと考えると、心が温かくなった。
私がその魔力に疑問を抱いていることを察したのか、ヴィルはまるでいたずらがばれた子供のような、少し困った表情を浮かべていた。
ヴィルが私を思ってしてくれた付与魔法なら、特に問いただす必要もない。彼の愛情が込められているなら、それだけで十分だった。
「リアの過去も、今も、未来も、全て愛してる」
「私も、愛してるわ」
ヴィルの手が、そっと私の頬に触れた。その温もりに導かれるように、ゆっくりと距離が縮まっていく。
そして、唇が、優しく重なった。離れがたいまま、名残を惜しむようにもう一度。軽く触れるだけの口づけを交わし、そっと離れていった。
色とりどりの花々が咲き誇る景色が、いっそう眩しく見える。
すごく嬉しそうに微笑むヴィルの顔を見つめながら、思わず私も笑みがこぼれる。
私はヴィルと共に、この先もずっと一緒に歩んでいく。来年は、ヴィルの瞳と同じ色の花を植えたい、そう願ってみよう。きっと、今日のように美しく咲いてくれるわ。
END




