4.美しい兄
「お父様、お母様、お帰りなさい! お兄様はいつ来られるのかしら?」
両親が屋敷へ戻ってきたと聞き、私は急いで玄関へ向かった。兄に会えると思うと、胸が弾む。
「ああ。あとから従弟の伯爵たちと一緒に来るよ。……エミリア、ちょっといいかな?」
そう言ったお父様の表情は、どこか浮かないものだった。私は不思議に思いながらも、お父様に抱き上げられる。
そのまま両親に連れられ、部屋へと向かった。部屋に入ると、お父様は少し言いにくそうに口を開く。
「……エミリア、君の兄となるヴィルフリードだが、その、なんていうか……なあ、ソフィア……」
言葉を探すようにお父様が言うと、お母様が私の顔を覗き込んだ。
「ええ……エミリアはどんなお兄さまだと嬉しいかしら?」
突然そう聞かれて、私は少し考えた。
「そうですわね。一緒に笑って楽しい時間を過ごしたいです! あ、あと、困ったときには力になってくれて、頼りになる人がいいですわ」
そう答えると、お父様とお母様は顔を見合わせた。そして、少し困ったように笑う。
「……そうか、うん。でも、もしエミリアの想像していた人と違っても、親元を離れてこの侯爵家にやってくるんだ。仲良くできるかな?」
お父様はそう言って、私の頭を優しく撫でた。
「もちろんです!!」
私は迷わずそう答えた。いったい、どんなお兄様なのだろう。早く会ってみたい。
◇
数日後、お兄様が乗った馬車が侯爵家に到着した。
待ちきれなかった私は、朝から何度も玄関へ向かったり、窓から外を覗いたりしていた。
玄関を行ったり来たりしている私を見て、お母様に「はしたないわよ」と注意されてしまったけれど、それでも落ち着いていられなかった。
やがて、屋敷の前に馬車が止まる。
扉が開き、まず伯爵夫妻が降りてきた。そしてそのあとに、一人の令息が馬車から姿を現した。
光沢のあるブロンドの髪が風に揺れ、陽の光を受けて輝いている。整った顔立ちのその姿は、とても綺麗で、思わず見とれてしまうほどだった。
「エミリア、彼がヴィルフリード。今日から、ヴィルフリード・ヴァルデンだよ」
お父様がそう紹介してくれた。近くで見るお兄様は、遠くから見た時よりもずっと美しかった。
「初めまして、お兄様。私は、エミリア・ヴァルデンですわ。仲良くしてくださると嬉しいです」
そう挨拶すると、お兄様は私をじっと見つめた。透き通るような青い瞳。その瞳は深く、どこか引き込まれるような輝きを持っていた。
しばらく私を見つめたあと、お兄様は嬉しそうに微笑んだ。
「私は、ヴィルフリード・ヴァルデン。今日から君のお兄様だよ。リアって呼んでいいかな? 私のことはヴィルと。ああ、是非仲良くしてくれると嬉しいな」
優しい声だった。
笑うと、その青い瞳がさらに明るく見える。
「ええ、リアと呼んでください。そうだ! ヴィルお兄様。お庭をご案内いたしますわ。私のお気に入りのお花がありますの」
そう言うと、ヴィルお兄様は優しく微笑み、手を差し伸べてくれた。
私はその手を取り、お庭へ案内する。
庭の花のこと、池のこと、邸の中の好きな場所のこと。
思いつくままに話していると、ヴィルお兄様はにこやかに頷きながら聞いてくれた。
その様子に安心して、私はすっかり嬉しくなってしまった。そして最後には、あとで魔法を見せてもらえる約束まで取り付けてしまった。
翌日、お兄様のご両親が隣国へ帰る日。
出発の前に、お兄様のお母様である伯爵夫人が私の手をぎゅっと握った。
「ヴィルを、どうか、どうかよろしくね」
そう言って、泣きながら頼んできた。
「大事なご両親と離れて私のお兄様になってくださったのですもの。もちろんですわ」
私も思わず、もらい泣きをしながら答えた。その様子を、ヴィルお兄様は少し離れたところで、にこにこと笑いながら見ていた。
――あれは、私が覚えている数少ない幸せだった頃の記憶。
優しかった両親と、優しいお兄様。
楽しい思い出は、たくさんあったはずなのに。
なぜかしら。
年月が経つほどに、その記憶を少しずつ思い出せなくなってきている。
◇
両親が亡くなった日のことも、今では断片的にしか覚えていない。
ただ、あの日は、ひどい雨が降っていた。
激しく降り続く雨の中、家路を急いだ馬車が横転したと聞いた。打ち所が悪かった両親は、そのまま帰らぬ人となった。
葬儀の準備のため、屋敷には多くの人が出入りしていた。
見知らぬ大人たちの声。
慌ただしく行き交う使用人たち。
私はその騒がしさから逃げるように、邸の隅で体を小さくして震えていた。
そのときだった。留学先から急いで戻ってきたヴィルお兄様が、私を見つけてくれた。何も言わず、強く抱きしめてくれる。そして、静かな声でこう言った。
『大丈夫だリア。私がいる』
その言葉だけは、今でもはっきり覚えている。
隣国にいるヴィルお兄様のご両親は、私を引き取ると言ってくださった。『将来結婚し、いずれ家族になるのだから』そう言って、クロード様の御父上が説得したらしい。
『じゃあ、留学を取りやめ、一緒にいる』
ヴィルお兄様もそう言ってくださった。けれど私は、首を横に振った。優秀なお兄様の道を、私のせいで変えてはいけないと思ったから。
そして私は、婚約者であるクロード様の家にお世話になることを選んだ。
優しいヴィルお兄様と離れること。
幼いころから一緒だった使用人たちと別れること。
それはとても辛かった。
それでも、伯爵様は温かく迎えてくださり、クロード様も優しくしてくれた。だから、あの頃の私は何も不安に思っていなかった。
そう。あの日が来るまでは。
……ああ。
そして今年も、あの日がやってくる。




