37.糸口 sideフルール
sideフルール
「フルール……この街は諦めよう」
クロードの声が、私の疲れ切った体に重くのしかかるように響いた。
夕方まで粘りに粘ったが、あの女の手掛かりはどこにも見当たらなかった。
二人で通りや広場を駆け回り、商人や宿屋の主人、街を歩く人々に声をかけて尋ね続けたのに誰一人として、あの女を知っている者はいなかった。
……無駄な時間だったわ。
焦りと疲労が、じわじわと体を蝕んでいく。
本当なら、もう宿に入って休みたかった。足は痛いし、喉も渇いている。
それなのに、クロードは、あくまで先を急ぐつもりらしい。
「行くぞ、フルール」
振り向いたクロードの顔は、必死だった。何か言い返そうとした言葉が、消える。
……こんな顔をされては、文句なんて言えない。
くたくたの体を、私は馬車の中へ押し込んだ。やがて馬車はゆっくりと動き出す。
私は座席にもたれ、静かに揺れに身を委ねた。
窓の外では、街並みが少しずつ遠ざかっていく。
その光景をぼんやり眺めながら、頭に浮かぶのは、あの女の顔だった。
……本当に、どこへ行ったのよ。
しばらく馬車に揺られていると、不意に声が聞こえた。
「やあ、お疲れのようだね? どこから来たんだい?」
私たちの向かいに座っていた商人だった。
……馴れ馴れしいわね。疲れていそうだと思ったなら、放っておけばいいじゃない。
旅の邪魔にならないように簡素な服を着ているけれど、見れば貴族だって分かるでしょう。
気安く声なんてかけないでほしいわ。
「王都から来ました。人を探しておりまして……」
クロードが、力なく答える。
「人かい? それは難儀だな……」
クロードは、疲れた顔のまま商人に尋ねた。
「商人ならいろいろな場所へ行くでしょう? ハニーブラウンの髪に、コーラルピンクの瞳。エミリアという名前なんですが――聞いたことはありませんか?」
商人は、一瞬だけ目を丸くした。
「エミリアさん? 君たち、エミリアさんの知り合いなのかい?」
えっ嘘……知っているの?
「はい! そうです!! 私はエミリアの婚約者で、こっちは……私の妹? です! エミリアは、私たちと一緒に住んでいたのに、いなくなってしまって」
……婚約者。その言葉がわずかに引っかかった。妹が疑問形なのは仕方ないとしても。エミリアは、元婚約者じゃないの?
「そうかい、そうかい。実はね、エミリアさんには大変世話になってね」
「それは、いつのことです?」
クロードが身を乗り出す。
「ちょうど一週間ほど前だったかな。馬車の中で知り合ってね。困っているところを助けてもらったんだ」
やっぱり。馬車で移動していたのね。
「どちら行きの馬車でしたか?」
クロードがすぐに続ける。
「ん? この方向で合っているよ? 君たちは心当たりがあって乗っているんだろう?」
商人は不思議そうに首をかしげた。
「……はい、そうなんですが……実は、本当にあっているか分からないのです。エミリアは、何か行き先について言っていませんでしたか?」
クロードは少し言葉に詰まりながら続けた。すると、商人の表情が少しだけ変わった。
「……知らないのかい? そうだな。君たちを疑っているわけじゃないが、これ以上はやめておこう」
肩をすくめて、商人は言った。
「エミリアさんの迷惑になりたくないからね」
……変なところで勘がいいわね、この商人。
「そんな、迷惑ってどういうことですか? 困っているんです」
クロードが焦った声を上げる。
――早く言いなさいよ。心の中で苛立つ。
「そう言われてもなぁ。理由があるから婚約者とその妹に何も言わずに馬車に乗っていたんだろ?」
商人は腕を組んだ。その一言で、私もクロードも言葉を失った。……確かに、理由はある。
「……そうだ。君たち、これ読めるかな?」
商人が思い出したように言う。差し出されたのは、一枚の紙だった。見慣れない文字が並んでいる。どこの国の言葉かしら?
「どこの言葉だろう? フルール、君は語学が得意だっただろう? なんて書いてあるんだ?」
クロードが紙をのぞき込む。
「え? えーと……これは……私が見たことのない言語ですわ。すみません。サンベイ語やリバークレスト語なら得意なのですが……」
もちろん、それらも全く得意じゃないけど。
「……おかしいね。リバークレスト語が読めるなら、読めるはずだよ」
商人の言葉に嫌な汗が背中を流れる。
「このランシェル語は、文法に癖はあるがリバークレスト語と共通している語彙が多い」
……まずい。商人とクロードの視線が、こちらに向く。誤魔化さなくては。
「か、勘違いでしたわ。リバークレスト語ではなかったかもしれません。それより、いったい何ですの? そのランシェル語が、どうしたというのですか?」
「エミリアさんは、これを翻訳できたんだ」
商人はあっさり言った。
「家にあった本で勉強したそうだ。本は何冊もあったらしいが……」
そこで、じっと私を見る。
「なんで見たことがないんだ?」
「それは……っ! 興味のない言語の本なんて、開きませんわ!」
必死に言い返す。冷や汗が背中を流れた。
「ふうん。君、語学が得意なんだろう? それなのに、知らない言語に興味を持たないなんて不思議だな」
商人は面白そうに笑った。
「こうなると、彼の婚約者説も怪しいね。エミリアさんは、最近このランシェル語にはまっているって言ってたんだ。婚約者なのに、見せてもらったこともないのかい?」
クロードは悔しそうに唇を噛んだ。そのとき馬車がガタガタと大きく揺れ、やがて止まった。
「ほら、終点だよ。今日はこの街に泊まって、明日また君たちの考えている場所に向かうといい」
商人は立ち上がり、軽く手を振る。
……自分から話しかけてきたくせに。なんて人なのかしら。
まあいいわ。
行く方向が分かっただけでも大収穫よ。
やっとつかんだ糸口に、クロードの表情も、ほんの少しだけ緩んだように見えた。




