31.黒い靄 sideクロード
死ぬ、私が? どういうことだ……。
父の口から発せられたその言葉に、思考が一瞬止まった。耳を疑うとは、まさにこのことだ。
現実感のない沈黙の中で、ようやく口を開く。
「エミリアがいないと、とは? エミリアの魔法と何か関係あるのですか?」
すると、隣でフルールが声を上げた。
「お、お姉様がクロードに闇魔法で呪いをかけたってこと!?」
その一言で、父の表情がさらに険しくなる。しまった――。父の前で、エミリアの魔法を呪いなどと言うのはまずい。ただでさえ混乱している状況を、余計に悪化させるだけだ。
頼むから、少し黙っていてくれ。
重苦しい空気の中、父は深く息を吐き、冷静を装うようにゆっくりと口を開いた。
「……エミリアの闇魔法は、強く願ったものを消すのであって呪いなどではない! 幼き頃……ベットから起き上がるのも、やっとだったお前が、元気になったのはいつからか、覚えていないのか?」
その問いに、記憶を探る。
「元気になった頃ですか? 5歳……そうだ、エミリアに出会ったころからだ……」
そうだ。エミリアが私の人生に現れたあの頃から、何かが変わった。理由はわからないが、漠然とそう感じていた。
父は、低い声で続ける。
「エミリアにはお前の周りに黒い靄が見えるそうだ。エミリアは、それが何かはわからなくても、お前にとって良くないものだと判断し、消そうと強く願っていた」
「く、黒い靄‥‥」
言葉を聞いた瞬間、背筋がぞくりと震えた。黒い靄。それが何を意味するのかはわからない。だが、その響きはあまりにも不吉で、恐ろしい。
そして同時に、胸を締め付ける恐怖が生まれた。
まさか私は。エミリアに、何か重大な犠牲を強いていたのではないか。その可能性が、頭の中で形を取り始める。
父は静かに言った。
「ああ、年々エミリアの体調が悪くなったのは、おそらくお前のために無理をし過ぎたからだ」
「そ、そんな……なぜ父上もエミリアもそれを教えてくれなかったのですか! 知っていたら、私は……」
言葉が途切れる。もし知っていたらエミリアに無理をさせるはずがない。こんなことにはならなかったはずだ。
父は苦い顔で頷いた。
「そうだな。それに関しては、私が悪い。闇魔法はあまり解明されていないことが多い。だからお前に闇魔法を使っていることを伝えて、お前たちの関係がよくないものになるのを危惧したのだ」
「エミリアが、私のために犠牲になっていたことを知っていれば!!」
思わず声を荒げる。すると父は、鋭く言い返した。
「知っていればなんだ? フルールなんかに心を奪われなかったというのか?」
言葉に詰まる。だが、それでも――。
「……少なくても、もっと大事にしました」
絞り出すように言った。もし知っていたならエミリアがどれほど自分のために犠牲を払っていたのか理解していたなら、彼女を、もっと大切にしたはずだ。
だが父は、鼻で笑った。
「はっ! 婚約者だぞ? 何をおいても大事にしなくてはいけない存在だろう。幼き頃から言い聞かせていた言葉を、お前は、どういう気持ちで聞いていたのだ!」
その叱責は、鋭く胸に突き刺さった。言い返す言葉などない。重い沈黙が落ちる。
やがて父は、冷えた声で言った。
「……フルールを選んだことをすでにエミリアに伝えたのであれば……そして、この屋敷にいないことを考えれば、婚約の継続は難しい。例えエミリアが許したとしても、あの義兄、現侯爵家当主は、許しはしない」
「エミリアの、義兄ですか」
脳裏に、ひとりの人物が浮かぶ。数回会ったきりだが確か、とても優秀で、美しい男だったはずだ。
父は拳を握り締め、吐き捨てるように言った。
「今まで私がどんな思いでお前のために……数々の手を尽くしてきたのに、お前が水の泡にした……くそ!」
怒りは、もはや隠しきれなくなっていた。父の言葉は荒く、感情のままに吐き出される。その怒りが限界に達しようとしている中で私は、必死に考えを巡らせた。
「せ、誠意を込めて謝ったら……助けてくれる、エミリアは優しいんだ」
縋るように言葉を絞り出した。他に、思いつく手立てがなかった。だが父は、容赦なく言い放つ。
「粗末な扱いをし、傷つけたお前を? 婚約者でもなくなるお前を? 義理はないだろう? 見返りは何を用意するつもりだ? 忘れているようだが、相手は侯爵令嬢だぞ!」
その言葉は、現実を突きつける刃だった。
「それは……幼いころから一緒だったんです、情に訴えれば……」
自分でも情けないと思うほど、弱々しい声だった。幼い頃からの記憶を掻き集め、そこに希望を見出そうとする。
すると父は、短く鼻で笑った。
「はっ! では、やってみろ! 私が探しに行きたいところだが、恐らくまもなく早馬で婚約解消に向けての取り決めが届くような気がする。その対応をせねばならない。……ロザリー、このあと、お前にも聞かなくてはならないことがたくさんありそうだしな!」
苛立ちを隠そうともしない声だった。父の怒りは、まだ収まりそうにない。
その時だった。
「わ、私もクロードと行きます! 私もお姉様には悪いと思っているの。クロードのことを助けてもらえるようにお願いする」
フルールが、決意を込めてそう言った。その言葉は、不思議と温かく胸に響いた。私のために、一緒に頭を下げてくれるというのか。
彼女の優しさと覚悟に、張り詰めていた心がほんの少しだけ軽くなる。
だが、沈んだ重い感情は、すべて消えることはなかった。エミリアに対する負い目。それだけは、どうしても消え去らなかった。




