3.ずっと一緒にいる人
「いいかい、エミリア。一気に消そうと願ってはいけないよ。少しずつ、少しずつだ」
婚約が決まり、伯爵家へ訪問するたびに、お父様は必ずそう言って念を押した。
クロード様の周りに見える黒い靄は、私が願うたびに少しずつ小さくなっていった。そしてそれに合わせるように、クロード様の体調も良くなっていく。
最初はベッドから起き上がるのも大変そうだったのに、やがて庭を歩けるようになり、いつの間にか外で走り回れるほど元気になった。
けれど、不思議なことが一つあった。
伯爵様がクロード様の近くへ来ると、黒い靄がゆらりと揺れるのだ。それまで静かだった靄が、ざわつくように動き、嫌な感じを放つ。
どうしてそんなことが起きるのか、幼い私には分からなかった。
ただ伯爵様が近づいたときだけ、靄の様子が変わる。そのことが、なぜか少し怖かった。だから私は、そのことを誰にも言えなかった。
伯爵様は、幼いクロード様が闇魔法を怖がらないように、こう説明してくださっていた。
『エミリアが傍にいてくれると、元気になれる』
「エミリアが、たくさんおはなししてくれるから、わたしはげんきになったんだね」
そう言って朗らかに笑うクロード様を見るのが、私はとても好きだった。伯爵家へ行く日が、いつも楽しみだった。私たちは、互いの家を行き来しながら、少しずつ仲良くなっていった。
婚約者という言葉の意味は、まだよく分かっていなかった。
ずっと一緒にいる人。
幼い私は、それを当たり前のことのように思っていた。
◇
「エミリア、大事な話があるからここに座って」
クロード様に出会って二年目。
私が七歳になったころ、お父様に執務室へ呼ばれた。普段あまり入ることのない執務室。大きな机の前に座るお父様の表情は、いつもより真剣に見えた。
私は言われた通り、机の前の椅子に座る。
「大事な話というのは、この侯爵家のことなんだ。エミリアは一人娘だろう? クロード君の婚約者の話がある前は、婿を取り、エミリアにこの侯爵家を継いでもらおうと思っていたのだけれど……このまま、将来クロード君と結婚するのなら、跡取りのことを考えなければならない。幼いお前はよくわからないだろうが、どうしたい?」
お父様の言葉は、私には少し難しかった。
侯爵家を継ぐこと。跡取りのこと。どちらも、まだよく分からない。 けれど、一つだけははっきりしていた。
「私は、優しいクロード様と一緒にいたいです」
そう答えると、お父様はしばらく黙って私を見ていた。
「……そうか。ああ、わかった」
そう言って、お父様は小さくうなずいた。そのとき、お父様が少し悲しそうな顔をしていたことが、少しだけ気になった。
けれど幼かった私は、その理由を深く考えることはなかった。お母さまは、もともと体が弱かったそうだ。だから、私を産んだあと、お医者様に「もう一人は望めない」と言われていたらしい。
その話をお父様から聞いたのは、両親が亡くなる前の年のことだった。
◇
兄ができる。
そう聞いたのは、それから間もなくのことだった。ある日、お父様が穏やかな表情で私に話してくれた。
「隣国に住む私の従弟の子でね、伯爵家の三男なんだ。遠くに住んでいるからエミリアは会ったことがないのだけれど、すごく魔法が得意ということだよ」
「魔法が? 何の魔法でしょう! 楽しみだわ、早く会いたいわ」
思わず身を乗り出してしまう。お父様は少し笑って続けた。
「土魔法と水魔法だそうだよ。この国では珍しいね。私も生まれたばかりの時に会っただけだから、どんな風に成長したのか楽しみだ。私たちは、先に伯爵領に行って顔合わせをしてくる。手続きは時間がかかるから、一緒には帰ってこられないだろう。エミリアが会うのは、もう少し先かな?」
兄弟のいなかった私に、兄ができる。しかも魔法が得意な兄だという。
どんな人だろう。
優しい人だろうか。
クロード様とも仲良くなれるだろうか。
そんなことを考えながら、私はその日から、会える日を指折り数えて待っていた。




