17.リアは天使 sideヴィルフリード
隣国から来た侯爵夫妻は、最初こそ明るく私に声をかけていた。だが、会話が進むにつれ、その表情が次第に曇っていくのが分かった。
……まあ、そうだろうな。
私とて、初めて会った人たちとの世間話など、何一つ楽しいとは思えない。正直なところ、早く部屋に戻って本を読みたいくらいだった。
養子の話はこれで流れるだろう。私は勝手にそう結論づけていた。
だが、現実は違った。
親戚の中に適齢の男子が他にいなかったらしく、結局、私が養子として迎えられることになったのだ。
その婚約者の令息が婿入りすればいいのではないか。侯爵家と伯爵家だろう? 一瞬そう思ったが、すぐにどうでもよくなった。
そもそも、私にとっては興味のない話だ。
もし侯爵家の娘が私に会って嫌がったら、そのまま連れて帰る。そういう話になり、両親も同行して侯爵家へ向かうことになった。
馬車が侯爵家の門をくぐり、ゆっくりと停まる。
何の期待も持たず、馬車から降りた私の視界に、一人の少女が入った。
鮮やかなミモザ色のドレス。陽の光を受けて輝く、柔らかなハニーブラウンの髪。愛らしい顔をした、小さな天使だった。
……ん?
鮮やか? 愛らしい? 天使? 自分の思考に、私自身が戸惑う。そんな言葉を、今まで使ったことがあっただろうか。
分からない。だが確かに、そう見えた。
少女が微笑む。
その小さな唇がわずかに弧を描くたび、頬がほんのりと赤く染まり、柔らかな表情がさらに愛らしさを際立たせる。
やはり天使だ。
そして、その天使が、私の方へと歩み寄ってきた。小さな靴音が石畳に軽く響く。やがて私の前で立ち止まり、顔を上げ、その小さな口が、ゆっくりと開いた。
「初めまして、お兄様。私は、エミリア・ヴァルデンですわ。仲良くしてくださると嬉しいです」
そう言って少女は、にこりと微笑んだ。
……しまった! “仲良く”ってどうするんだ? 確か、互いに打ち解けること、親しくなること――そんな意味だったはずだ。
くっ……こんなことなら、兄を相手に“仲良く”の練習でもしておくんだった。
今さら悔やんでも仕方がない。私は、これまでほとんど使ったことのない表情筋を、無理やり動かした。
ぎこちなく口角を上げる。
「私は、ヴィルフリード・ヴァルデン。今日から君のお兄様だよ。リアって呼んでいいかな? 私のことはヴィルと。ああ、是非仲良くしてくれると嬉しいな」
今できる精一杯の笑顔をその天使に向けて、自己紹介をする。隣で、父と母が化け物でも見るかのような目でこちらを見ているのが視界の端に入った。
だが、そんなことはどうでもよかった。
「ええ、リアと呼んでください。そうだ! ヴィルお兄様。お庭をご案内いたしますわ。私のお気に入りのお花がありますの」
私はただ彼女の愛称を呼ぶ許可をもらえたこと。そして、庭へ誘ってもらえたこと。それが、どうしようもなく嬉しかった。
リアが好きだという花を、一つ一つ教えてくれる。小さな指が、花を指さす。
「これはミモザですの。私この花大好きなのです」
「こちらはラベンダー。もうすぐ咲きます。とてもいい香りがするのですよ」
リアは一生懸命に説明してくれた。その声を聞きながら、私は初めて花というものを、きちんと見た。
今まで、ただ地面に咲いているだけのものだと思っていたそれは、色があり、形があり、香りがあり、そして、美しいものだった。
リアが好きな花は、私の好きな花になった。
それは、きっと。私が初めて覚えた“好き”という感情だったのかもしれない。
侯爵家での夕食を終え、部屋に戻る。両親と私の三人で、静かにお茶を飲んでいた。
そのとき私は、自分でも驚くような言葉を口にしていた。
「……父上、母上。私は、リアの兄になるために生まれてきたのですね。今日、そう思いました」
言葉が自然と続く。
「母上。私を産んでくださり、ありがとうございます」
感謝の言葉が、自分の口から出るとは思っていなかった。父は、飲んでいたお茶を盛大に吹き出した。母は、号泣した。
「あぁぁぁ……!」
母は顔を覆いながら叫ぶ。
「ヴィルが……ヴィルが人になったぁぁ!」
そう言いながら、勢いよく私に抱きついてきた。
……? 私は生まれた時から人間ですが? 産んだのは、あなたでしょう? 意味がよく分からない。
どう対応すればいいのか分からなかったが、これは、リアを抱きしめる練習だと思うことにした。
私はそっと腕を回し、母を抱きしめ返した。すると、母はさらに泣き出した。ふと父を見ると彼もまた、静かに涙を流している。
……なぜだ。理解できない。だが、不思議と嫌な気分ではなかった。
その後。
両親が帰るとき、母はリアに何かを話していた。だが、私はその内容をほとんど覚えていない。
私の視線は、ただ一人リアに向けられていたからだ。
そのとき、リアが、少し誇らしそうに言った。
「大事なご両親と離れて私のお兄様になってくださったのですもの。もちろんですわ」
私の! 私のお兄様! その言葉を聞いた瞬間、満たされていく。今まで感じたことのない感覚だった。




