1.貴族の矜持
「――私たちは、貴族としての責任に行動を制限されることがあります。しかし、自由がないということではありません。自由を主張したければ、矜持に従って、我が身に恥じない行動をしなくてはいけません」
先生が、貴族としての自由についてお話ししてくださった。
矜持……貴族の誇り、か。
その言葉に、ふっと笑ってしまう。
授業が終わり、椅子を引く音が教室に広がる。私はゆっくりと立ち上がり、重い足取りで教室を出た。
婚約者であるクロード様は――当然、迎えには来ていない。 私を待っているはずもない。それでも、少しだけ期待してしまう自分がいる。
……クロード様の教室に迎えに行ってみようかしら。
そう思い、廊下を歩き出したときだった。壁際に立ち、こちらを見ている二人の姿が目に入る。いつもの二人だ。嫌な笑みを浮かべながら、まるで待ち構えていたかのようにこちらを見ている。
「あら、エミリアじゃない? クロードは、もうフルールと一緒に帰りましたわよ。置いて行かれましたわね」
フロランス第3王女が、楽しそうに口元を隠して笑う。
「くくっ、フロランス、そう意地の悪いことを言うものではない。……しかし、病的に痩せたみすぼらしい令嬢。はは、我が友クロードの隣には合わないな」
その隣で笑うのは、公爵令息フィリップ様。フロランス王女の婚約者だ。いつも私に絡んでくるのは、なぜかしら。
「そうよね、でも愛らしいフルールが隣に立つとあの二人とっても素敵じゃない?」
「ああ、そうだな。私たちの傍にいる者たちは美しくないと」
二人は、私の存在など気にも留めないように笑い合っている。フロランス第3王女と、その婚約者の公爵令息フィリップ様のその自由すぎる発言に、貴族としての矜持はあるのかしら。
「……そうですか、では、私はこれで……」
それだけ言い、私はその場を離れた。胸の奥が重いまま、学院の外へ向かう。
用意されていた馬車に乗り込み、婚約者の邸へ帰ることにした。
◇
幼い頃、両親を失った私は、すでに婚約を結んでいた伯爵家に引き取られることになった。
『いずれ家族になるのだから』
そう言ってくださったのは、クロード様の御父上、コルホネン伯爵様だった。その言葉に甘え、私はこの家に身を寄せることになったのだ。
両親の死を思い出し、義兄にも会えない寂しさが込み上げて泣いてしまった幼い日。そんなとき、婚約者であるクロード様は、いつも傍にいてくれた。静かに寄り添い、何も言わずに一緒にいてくれた。
心が少しずつ落ち着いてからも、クロード様はとても優しく、穏やかな日々が続いていた。
◇
「まあ!お姉さま、今日も顔色が悪いですわね。学院に行ってよかったのですか? ねえ、クロードもそう思うでしょ?」
馬車が邸に到着し、玄関へ向かうと、ちょうど出かけようとしているクロード様と、その義妹フルール、二人の姿が見えた。
……もう少し帰る時間をずらせばよかったわ。
フルールは、まだ私とクロード様が結婚していないのに「お姉さま」と呼ぶ。そして、実の兄であるはずのクロード様のことを、兄とは呼ばず、名前で呼ぶ。一体どういう意図なのかしら。
頼りにしたい伯爵様は、領地にいることが多く、ほとんど邸に戻らない。
その伯爵様は、幼かった私とクロード様には母が必要だろうと、継母とその娘フルールをこの邸に迎え入れた。けど、そこからすべてが少しずつおかしくなっていった。
「そうだよ、無理せず休んでもよかったのに」
クロード様は優しげな声でそう言い、軽く私の肩を叩いた。
「今日は少しだけ体調がよく……」
そう答えると、
「じゃあ、君も一緒にカフェに……」
クロード様はそう言いかけた。けれど、服の裾を引っ張っているフルールに気づき、言葉を止める。
そして、少し気まずそうに視線を逸らした。
「顔色が悪いし、無理はさせられないね。じゃあ、僕たちは出かけてくるよ」
「……そうですか。では、部屋に戻って少し休みますわ」
フルールと微笑み合いながら出かけていく、私の婚約者クロード・コルホネン伯爵令息。クロード様の腕にしがみつきながら、フルールは振り返った。
そして、不敵な笑みを私に向ける。私は小さくため息をついき、少しふらつきながら、自分の部屋へ向かって歩き出す。
廊下の奥、角にある私の部屋。
扉の前に立ったとき、すでに扉が開いていることに気づいた。
……ああ、またか。
部屋の中から声が聞こえる。
「え!もう帰ってきたの?」
中にいたのは、婚約者の継母と使用人たち。私の部屋の引き出しは開けられ、棚の上のものは床に落ちている。明らかに部屋を探っている最中だった。
「……何をなさっているのです?」
私が問いかけると、継母はわざとらしく咳払いをした。
「べ、別に何もしていないわよ。あなたがまた分不相応なものを持っていないか確かめてたのよ」
分不相応……。その言葉の意味はよく分からないけれど、持っていたら取り上げるつもりだったのでしょうね。
「……最近は、お兄様からのプレゼントも届きませんし……何もありませんわ」
私の実家である侯爵家の爵位は、五つ年上の義兄がすでに継いでいる。
けれど領地が遠いせいか、それとも忙しいせいなのか。
両親の死後、一度も会えていない。手紙も、ここ数年は届いていなかった。
「そう言えばそうね。あら、嫌だ。気持ち悪いくらい顔色が変よ。早く休みなさい。夕食はいつも通り部屋でいいでしょ」
そう言うと、継母たちは荒らした部屋をそのままにして出ていった。嵐のような人たちだわ。
『休みなさい』と言うわりには、使用人より質の悪いベッド。
『食欲がないでしょ』と言って出されるのは、いつも同じ味の薄いスープ。
邸と学院。それが、私の世界のすべて。
会いたい人に会えず、行きたいところに行けず、食べたいものを食べられず、大事なものは、私の元から無くなっていく。
同じ毎日の繰り返し。
私の世界は狭く、理不尽に行動を制限される。
――自由なんて、どこにも存在していないわ。




