三話
蹴った際に外れた、ヘルハウンドが首に掛けていた小さな鞄を拾う。
この中には記録媒体が入っている。大穴から現れて警官を気絶させた場面が録画されているはず。
「これをどうするかだけど……こうだよな」
鞄を大穴に放り投げた。
これが届かないと向こう側に怪しまれてしまう。録画を確認し、人類を甘く見て油断してもらった方がありがたい。
「問題は化けた二体だ」
警官に化けた二体は人間の振りをして今も見張りをしているはず。
今のうちに片付けないと情報が異世界にダダ漏れになってしまう。それに、万が一にでもヤツらの存在に気付くか、侵攻の妨げになる人間に遭遇すれば容赦なく殺すだろう。
更に本物の警官二人を助けてしまったから、選択肢は一つしかない。
「始末するべきだ」
即座に判断すると、息も身も潜めて警官に化けた二人へと近づいていく。
「しっかし、この国は平和ボケしているな」
「ああ。記憶を読んだが、この国の住民は平和を当たり前のことだと享受し、危機感がまるでない」
「だけど、ヤバいぐらい飯にこだわっているみたいだぜ。旨いものが山ほどあるなんて、最高じゃねえか。全部奪い尽くしてやろうぜ」
少しくぐもって声が聞こえるが、違和感なく聞き取れている。
過去に比べて耳が格段に良くなっているようだ、これが若さか。オーラで身体は強化されていたが、六十にもなると目も耳も衰えてきていたからな。
「少し、辺りを見回ってくる」
「ああ、見回りの時間かよ。面倒くせえな」
「そう言うな。警官という立場はかなり都合が良い。職務怠慢でクビになるのは惜しい」
生真面目な方が離れていく足音がする。
残ったのは粗暴な言動が目立つ方か。
しばらく待ってから、俺は「開け」と【穴】を発動させた。
「うごおおっ! 痛えええっ! 冷てぇっ! へっ、なっ⁉ なんだここは!」
突然、目の前に現れる尻餅を突いた警官。状況が掴めずに戸惑っている。
いきなり深い穴に落ちて、汚水に着水したら驚くのも当然か。
俺は【穴】で地面を下に掘り、そこから横へと掘り進んでヤツらの下に陣取り、警官に化けたヤツを穴へと引きずり込んだ。
地上から五メートル近く掘ったここは、地下に張り巡らされた下水道に繋がっている。直ぐに落ちた穴も塞いだので叫ぼうが外には聞こえない。虚しく、下水道内に反響するだけだ。
状況が掴めず動揺している今のうちに倒す。もう一人残っているから時間はかけられない。
「な、なんだ、お――」
バイオレットオーラを発動して身体を強化。瞬時に間合いを詰める。
驚愕の表情を浮かべるヤツの右頬に横殴りの拳を叩き付けるが、土色のオーラで防がれてしまう。
強化されているとはいえ、防御を打ち破れるほどではないのか。
「何者かはわからねえが、敵だなてめえ!」
短慮のメリットと言うべきか、切り替えが早い。深く考えずに戦闘モードに突入しやがった。
「原住民ごときが、この鉄壁のオーラを貫けると思――」
最後まで話を聞かずに、今度は相手の左頬に渾身の右フックを放つ。
同じように土色のオーラで防げると確信して勝利の笑みを浮かべているようだが。
「開け」
紫と土色のオーラがぶつかった直後、土色のオーラに穴が空いた。
穴を空けるだけの能力だが、触れたものなら――なんでも空けられるんだよ。
穴をくぐり激突した拳は相手の頬骨を砕き、そのまま振り切るとそいつの体は、汚水をまき散らしながら吹っ飛び下水道の壁に激突した。
頬骨を打ち砕き、顔の半分まで容易くめり込んだ拳。
異世界人は白目を剥いて膝を突くと、土下座をするように前のめりに倒れ、ぴくりとも動かなくなった。
「一撃で仕留めたのか……」
想像以上の威力に思わず自分の拳をマジマジと見つめてしまう。
「威力が格段に上がっている」
どうやらバイオレットオーラに進化したことで身体能力が桁外れに上昇したようだ。
老いてはいるが長年の鍛錬で鍛え上げられた鋼のような肉体を失い、代わりに若さと英気に満ちあふれた貧弱な体を再び手に入れた。
基本の身体能力は格段に落ちている。だけどバイオレットオーラのおかげで昔よりも戦える。
「これで本格的に体を鍛えたら、かなり強くなれるぞ」
拳を握りしめ歓喜に震えるが、未来の自分を妄想して喜んでいる場合じゃない。
警官の姿から元の姿に戻った異世界人が死んでいるのを確認する。警官の服を脱がすと、死体を抱えて穴から下水道を出る。
異世界人の死体を下水道に放置するわけにはいかない。
大穴付近に新たな墓穴を掘って、その中に死体を埋めた。
「残り一体」
同じように穴に潜み、落とし、隙を突くか。
さっきの段取りをこなせば上手くいくはず。
「いや、やめておこう」
不意打ちで倒す方法は間違いではない。だが、今は自分の実力を把握しておく必要がある。
現在俺はどれだけの力を手に入れているのか。そして、今後どれだけの力を手に入れなければならないのか。指標が必要だ。
これからもすべての戦いを不意打ちで済ませられるわけがない。正面から戦う必要性も出てくるだろう。その際にどれだけ立ち回れるのかを知る必要がある。
大きく息を吐き、耳を澄ます。
工事現場の音がうるさいが、それは意図的に除外して周辺の音を探っていく。
工事音を除けば不気味なほどに音がない。生命の息吹を感じない。遠くから一定の間隔で聞こえるのは足音。見回りに出たもう一体のものだろう。
距離は……三百メートル前後か。
「……え?」
どうして、距離がわかった? それに、そんなに離れた足音をなんで拾えた?
年寄りに比べて若い体は耳がいい、なんて範疇を超えている。バイオレットオーラにより五感も強化されたのか?
目を凝らし遠くを見てみる。老人の頃に比べればよく見えるが、常識の範囲内の視力。
聴力だけが異様に強化されているようだ。
理由はわからないが悪いことではない。考察は後回しにして、今はその力を利用させてもらう。
周囲に音がないのは大穴が一時的に活性化されて異世界人が送り込まれた影響だろう。大穴からあふれ出る異界の空気は地球の生物には毒だ。
動物はその気配を鋭敏に感じ取り逃げ出した。今は流出も収まっているが、しばらくは人間も近づいてこられない。好都合だ。
大穴周辺に設置されている防犯カメラも今は映っていないはず。
「全力を出しても大丈夫だな」
こちらへと徐々に向かってくる足音。
俺は姿を晒し、そいつの前に立ちはだかった。
「こら、ここは民間人の立ち入り禁止だぞ!」
警官に扮した異世界人が俺を見つけると、声を荒げ注意をしてくる。
知らなければ、なんの違和感も覚えることがなかった。ただの警官にしか見えない。
だが、正体を知っている俺からしてみれば、滑稽な真似事としか思えない。
「すいません、穴に興味があって」
スマホを手にした状態でぺこぺこと頭を下げる。
「撮影も禁止だよ。まったく、迷惑系配信者ってヤツか。人気を取るために必死だねぇ」
大きなため息をついて肩をすくめている。
人間の記憶を読み取っただけあって、そういった知識も得ているのか。
「いやー、本当に迷惑なのは……そっちじゃないですか」
頭をボリボリと掻きながら、惚けるように夜空を眺めていた視線を警官モドキに叩き付ける。強烈な殺意を込めて。
「何だその目つきは。公務執行妨害で逮捕されたいのかっ」
警棒を取り出し、俺に向けて構えた。
「それはもういい。本性を現せ、アグリウスタル人」
異世界人しか知らない呼び名を聞いて相手の目がすっと細まる。
「なぜ、我の正体を知っている。貴様何者だ」
警官の帽子を投げ捨てると、額から一本の角が生え容姿が異世界人へと変貌する。
「俺は――墓守。お前ら異世界人の墓穴を掘り、墜とす者だ」




