二話
すみれに言われて思い出した。
そういえば一緒に時間逆行したはずの望はどうなったのか。
頭の中はすみれの安否で埋め尽くされていたので、望が入る隙間がなかった。
『えっと……。もしかして、望君のこと忘れてた?』
「うむ、完全に」
嘘を吐いても仕方がないので、素直に認める。
『もう、望君が可哀想だよ。そこに居ないってことは私と同じように、過去の自分が居た場所に存在するってことかな?』
「おそらくは」
『望君の電話番号は覚えてないの?』
「あいにく、覚えてないな。……あっ、すまない、そろそろ充電が切れそうだ。今から直ぐ家に帰って充電するから、続きはその後で構わないかい?」
もっと、彼女と会話しておきたいが、あと二、三分が限界だろう。
『そうなんだ。今、大穴の近くなんだよね? じゃあ、かなり近いね……。えっと、今から住所を言うから来られる?』
「ふえっ?」
すみれが口にした提案を聞いて、思わず変な声が出た。
少し照れた声で自宅に来るように俺を誘ったのか? こんな深夜に?
『どうせなら、姿を見ながら話したいし。一人暮らしをしているから……大丈夫だよ?』
「そ、そうか。なら、お邪魔しようか」
動揺は押し込んで平静を装って会話をしているつもりだが、声がうわずっている気がしないでもない。
そもそも、四十年も共に過ごした間柄だ。今更何を緊張する必要があるのか。
彼女から住所を聞き出すと、スマホをオフにした。
「いらっしゃい、どうぞ」
五階建てのマンション最上階の隅。
扉を開けて微笑むのは寝間着姿のすみれ。
こんな状況だから眠気は吹き飛んだのだろう、完全に覚醒した顔をしている。
深夜に扉前で突っ立っているのは不審者でしかないので、招かれるままに彼女の玄関へ足を踏み入れた。
ふわっと、鼻腔をくすぐる花の香りがする。芳香剤でも置いているのだろうか。
シューズラックには靴が幾つも置かれていて、最上部の台には小さいぬいぐるみが鎮座している。
物がほとんど置いていない殺風景な俺の家とは、玄関からして全然違う。
靴を脱いだ俺の手をさりげなく握ると、そのまま廊下を引っ張っていく。
扉を開けるとそこはリビングでテレビに丸い机。部屋の隅にはPCとそれ専用の机と椅子が設置されていた。あと、部屋の全体的な色合いが青みを帯びた紫色が多い。
すみれ色か。
「そこに座ってね」
丸い机の前に置かれた大きなクッションを指差されたので、素直に従い腰を下ろす。
俺が座ってもまだ余裕があるぐらいクッションが大きい。小柄な、すみれならこの上で寝転べるのではないだろうか。
そんなことを思っていると、すっと隣に彼女が座って体を寄せてくる。
ん? んんんっ⁉
想いもしなかった彼女の行動に驚き、慌てて隣を見ると上目遣いで俺を見つめている。
頬が上気しているように見えるのだが……。
「あ、あの、すみれさん?」
「なーに、守人君」
「その、距離が近くないかと」
「嫌なの?」
潤んだ瞳で訴えかけるように言われて、否定できるわけがない。
「滅相もない!」
嬉しいに決まっている。
じゃなくて、以前の彼女とはまるで別人のような距離の詰め方に正直戸惑っている。
どういう、心境の変化なのか。もしかして、酒でも飲んで酔っ払っているのか?
さりげなく匂いを嗅いでみるが、アルコール臭は一切しない。素面だ。
「私と守人君は未来で恋人……夫婦みたいな存在だったよね」
「そ、そうだな」
実際、四十年近くずっと寝食を共にしていた。奴隷としてだが。
当初は俺たち以外の奴隷も何人かいる共同生活だったが、年々人間が減っていき、奴隷生活が二十年を過ぎた頃には俺と彼女しか残っていなかった。
常に寄り添い苦楽をともにしていた間柄だ。今更照れる必要もないはずなのだが、思い返すと……プライバシーが完全に確保された場所で、二人きりになった経験がほとんどない。
常に異世界人が近くに居て、寝る場所も檻の中だった。
そんな生活で精神は鍛え上げられ、鋼の心臓を手に入れたと自覚していたのだが、鼓動が五月蠅いぐらいに脈打っている。
「そ、そうだ。まずは望の安否確認をしなければ」
「そう、だね」
少し頬を膨らませて俺から離れると、隣の部屋からスマホを取ってきて対面に座った。
あ、危なかった。この年でウブな反応をする自分にドン引きするが、若返ったこの体は童貞でろくな恋愛経験もなかった。その影響が今の俺にも作用しているのだろう。きっとそうだ。
「すみれも望の連絡先は知らないのか?」
「うん。訓練所で連絡先を交換したけど、やっぱり残ってないよ」
スマホを操作して改めて確認してくれているが、この時点で登録されているわけがない。
「となると、あいつと連絡を取る手段だが」
「えっとね、ずっと考えていたんだけど、望君って動画配信者なんだよね? じゃあ、ネットで検索したら見つからないかな」
「その手があったか! 大穴……深淵についての動画を配信して視聴者が増えたとか、自慢げに語っていたな」
すみれはPCで俺はスマホで動画を検索するが、深淵関連の動画が多すぎて見つけられそうにない。
「うーん、キーワードは、大穴と大阪弁とか?」
「やってみたんだが、それでも望らしき人物は見当たらないな。……そうだ、配信者としてのハンドルネームみたいなのは聞いてないかい?」
何か言っていたような記憶はあるのだが、望の話は基本聞き流していたので俺は覚えていない。
「あーっ、何か言っていたよね。えとえと、えーっと、自分の名前をもじって付けたとかどうとか。ちょっと変わった名前だったような……」
すみれはこめかみに指を当てて頭を回しながら、懸命に思い出そうとしてくれている。
仕草が若干古い気もするが、人のことは言えない。
「名前は希望望だから、希望と望をどういじったのか。あいつのセンスから考えるに……英語に変えたとか? 希望はホープだが」
「ああああああっ、それだよ、それ! 希望望で、配信者名が、ほーぷぷ!」
思い出せてスッキリしたのか大声で歓喜の声を上げるが、慌てて自分の口を手で塞ぐ。今は深夜なので近所迷惑を配慮したのだろう。
「ほーぷぷ、って。どうなんだ、そのネーミングセンス」
「可愛らしくて、私は嫌いじゃないよ」
彼女のセンスだとあり判定なのか。よくわからん。
名前さえわかれば、後は簡単だ。さくっと検索してほーぷぷの動画を発見した。
「どうせなら大きな画面で観た方がいいよね。こっちに来て」
PC前で手招きする彼女の隣に立って、ディスプレイを覗き込む。
そこには【ほーぷぷのププ部屋】というチャンネルページが開かれていた。
「ププ部屋ってなんだ」
「そこは突っ込まないであげようよ」
苦笑しながら、すみれがマウスを操作する。
「一番最近の動画でいいよね。再生数も多いし、サムネも大穴みたいだから」
「頼む」
再生された動画でまず映ったのは、フェンスの前で騒いでいる望の姿。赤髪に糸目にピアスという特徴的な顔。間違いなく本人だ。
「顔出しでやっているのか」
突如空いた大穴に対しての見解をまくし立てて、周囲の警官や報道陣を映している。
「会話内容にこれといった面白味もない」
「大惨事だからね。迂闊なことは言えないんじゃないかな。炎上しちゃうよ」
もしかして【炎上】の能力は配信者生活で炎上した経験やトラウマが、異能となって目覚めた可能性も。今はそんなことどうでもいいか。
「これで当人の確認はできた。問題は連絡方法だが」
「チャンネルページにSNSのリンク先も載っていたから、そこからダイレクトメール送れるよ」
「じゃあ、現状の説明と俺たちの名前。俺の連絡先を記載しておいてくれないか」
「うん、わかった」
手際よくキーボードを打ち込むと、すみれは背もたれに体重を預けて大きく伸びをした。
「これにて終了。あとは望君の連絡を待つだけだね。……それまで、何しよっか」
椅子から立ち上がると、俺の胸に飛び込んできた。
これは誘われているのか? なんか、すみれからピンク色のオーラが発生している気がする。
意を決して、彼女の背に腕を回して強く抱きしめようとした瞬間。
机の上に置きっぱなしだった、俺のスマホがけたたましく鳴る。
横目で確認すると電話番号だけが表示されている。間違いなく、望からだろう。
「残念だけど、出てあげて」
すっと俺から離れたすみれに促されて、渋々スマホを手に取り、通話をオンにする。
『守人! 守人やんな⁉ わいや、望や! 無事やったんやな! わいも元気にしとるで』
「はっ、空気読め。ほーぷぷ」
『なんでいきなり罵倒されてんねん! ここは感動の場面やろ! あと、その名で呼ばんといて!』
「タイミングが最悪だ」
「なんでやねん! 直ぐに連絡してなんで怒られなあかんねん! あっ、すんません!」
どうやら、深夜の大声を咎められたようで、誰かに謝っている声が聞こえた。
「ふっ」
「ははっ、望君はかわらないね」
怒声を放ち、まくし立ててくる望のいつもの喋りを聞いていると、吹き出してしまった。
今、おそらく自然に笑えている。
脳の大半はすみれのことで埋まっていたが、どうやら片隅に望への心配も残っていたようだ。
「まずは無事で良かった。明日にでも会って話さないか?」
「そやな。今は真夜中やし。ほんなら、札幌駅近くにある――」
再会を約束してから通話を切る。
ようやく肩の荷が下りた気がした。二度目の時間跳躍からまだ、二時間程度だがどっと疲れた。
「お疲れ様、守人君」
「あ、ああ、ありがとう」
ふううぅ、と大きく息を吐くと急に気怠さと眠気が襲ってきた。
【ワームホール】の発動に続いて、選抜隊との戦い。肉体疲労もそうだが、精神の疲労がかなり酷い。
「悪いけど、少し眠らせてくれ」
「うん。少し残念だけど、時間はこれからいーっぱいあるからね」
ぼやけていく視界の中で、すみれが妖艶に微笑んだように見えた。




