一話
「ここは……すみれはっ⁉」
激しく脳を揺さぶられ、前回【ワームホール】に飛び込んだときと同様の不快感が残っているが、それどころではない。
吐き気を堪え慌てて周囲を見回すが一緒に飛び込んだはずの、すみれの姿がない。
「成功は……したのか」
さっきまでは明るかった空は黒に染まり、現在は夜。
辺りから工事音が引っ切りなしに聞こえてくる。
目に付くのは簡易フェンスやバリケード、その材料となる鉄パイプなど。近くに光源がないので暗い。
左側には巨大な大穴……深淵がある。
自分の体を見回して、服装を確認する。黒のTシャツにカーゴパンツ。当時、お気に入りだった格好だ。
「ここは何処だ。何故、あの場所じゃないんだ……」
時間を逆行したあの日、深淵が北海道になんの前触れもなく現れ、ドーム型球場と観客を穴に呑み込む場面に遭遇した。当時の時刻は真っ昼間。
だというのに、今は夜で場所も違う。それに一番大切な……すみれが側にいない。
「失敗し――」
なんとか冷静さを取り戻そうと、視線を足下に向けて考え込もうとした瞬間、穴から這い上がってくる黒い犬――ヘルハウンドと目が合った。
穴の縁に手を掛けたヘルハウンドが大きく顎を開いて、俺の喉元を目がけて飛びかかってくる。
「跳ね返れっ!」
咄嗟に【反射】を発動すると、弾き飛ばされたヘルハウンドが再び穴の底へと落ちていく。
なんで、ここにこいつが⁉
「いや、考えるのは後だ」
近くに転がっていたフェンス用の鉄パイプを拾って、全力で投げつける。
「えっ」
鉄パイプは一瞬にしてヘルハウンドの脳天に突き刺さると、そのまま貫通して穴底に埋まり、姿が見えなくなった。
「今のは……」
今までとは比べ物にならない威力を秘めた投擲だった。
それに、全身から放たれている紫色のオーラが以前よりも濃密な気がする。
「じゃない、すみれはっ⁉」
自分の体に起こっている変化についての考察は後回しだ。それよりも重要なのが、すみれの安否。
冷静になれ、冷静になれ。
大きく深呼吸を繰り返し、少し熱が冷めた頭で考える。
まず、ここが何処かは判明した。
工事現場にヘルハウンドとくれば、世界中に大穴が空いた日から二日後の深夜。
この世界に異世界からやって来た選抜隊の二人組と遭遇した日だ。
つまり、時間逆行には成功したということになる。
「ならば、どうして」
すみれがいない。自分だけ成功した可能性もあるが、それはおそらく違う。
願望も込めた推測だが、過去に戻った者は記憶を維持した状態で現時点での自分に成り代わる。
俺ならば過去の貧弱な体をした自分に。その証拠として、工事現場のアルバイトと実戦と訓練で鍛え上げた筋肉は消え失せ、頼りない肉体に巻き戻っている。
「また、一から鍛え直しか」
落胆するのは後回しだ。つまり、すみれは……覚醒者として目覚める前の彼女が住んでいた場所にいるはず。
素早くスマホを取り出して、連絡先を確認するが記載されていない。この時点では、まだ彼女と出会っていないので当たり前か。
彼女については希望が持てる。今すぐにでも連絡を取りたいところだが、現状がそれを許してくれない。
穴から這いずり出てきたヘルハウンドを撃退したということは、この後に異世界人との戦いが待っている。まずはそちらを片付けてからの話か。
この先にいるのはアグリウスタル人の兄弟。正確には血が繋がっていない二人組。実験施設で共に助け合ってきた間柄。
以前とは違い、二人のことを詳しく知ってしまったことで、容赦のない殺意をぶつけられなくなってしまっている。
「くそっ、余計な感傷はなしだ」
彼らを殺して墓穴に埋めてから、何度も何度も二人の夢を見た。
薄暗い檻の中を住居とし、毎日毎日、訓練という名の実験に挑まされる二人の苦悩を、絶望を、俺は知ってしまっている。
力だけではなく記憶までも奪ったせいで……。
彼らにとって異世界を襲い奪うことは本意ではない。生きるために命令されるがままに行動しているだけ。生きるための術がそれしかない。
だが、だとしても、これから彼らは多くの地球人を殺し、この世界を滅ぼすことの手助けをすることに変わりはない。
割り切れ。ヤツらは敵だ、事情など関係ない。殺さなければ殺されるだけの関係だ。
一度殺した相手だ、躊躇う必要はない。同じ事を繰り返せばいいだけ、そう、それだけ。
二人を倒すことだけを考えろ。疑問や懸念は終わってからでいい。集中しろ、集中しろ。
前回と同じく【地獄耳】で周囲の音を探り、二人の居る場所を突き止める。
今は二人でいる状況。どうするべきか。
体は貧弱な状態に戻ってしまったが、相手の能力を完全に把握している今なら、二人同時に相手をしたとしても完封ができる。
それに体感だが、オーラの量も異能の力も増している……それもかなり。
どういう理由で強化されたのかは不明だが、これなら、余程の油断をしない限り負けはない。
万全に万全を期すなら、前回と同じ流れで戦えばいい。だが――
俺は一つの結論に達すると、重い腰を上げて二人の元へと向かった。
視線の先に二人の背中が見えた。
警官に化けた二人が談笑している。放っておけばこの後、兄の方が見回りに出て弟が一人きりになる。
わかってはいるが、あえて俺は。
「こんばんは、お勤めご苦労様です」
声を掛けた。
ギョッとした顔で振り返る二人。
まさか、深淵の方向から人間がやって来るなんて思いもしなかったのだろう。
素早く警棒を構えて、腰を落としている。臨戦態勢に移るのが早い。
「一般人の立ち入りは禁止されているぞ」
「そうだ。しょっ引かれたいのか」
あからさまに怪しい俺を前にしても、警官の振りを続けている。
「くだらない化かし合いは止めにしないか、アグリウスタル人の兄弟」
瞬時に二人の顔が本来の顔に戻り、弟の体が膨張して制服が破れる。
「兄貴、こいつ本当に地球人かっ⁉」
「うろたえるな、弟よ。何故、我々の正体を知っている。お前は何者だ」
取り乱している弟をなだめながらも、兄の視線は俺から外れていない。
「すべて知っているよ。206、207」
二人に動揺が広がっていくのが目に見えてわかる。
「選抜隊の一員として送り込まれたことも知っている。過酷な実験施設で育ってきたことも」
嫌になるぐらい夢で見てきたから。
弟の方は顔面から冷や汗を大量に流し、見ているこっちが気の毒になるぐらい狼狽している。兄の方は辛うじて体裁を保っているが。
「ここで提案だ。俺の仲間にならないか?」
今、思いついた提案ではない。彼らの夢を見続ける内に考えついたことだ。
「馬鹿げたことを。正体もわからぬ、貴様の戯れ言に付き合えとでも?」
「それもそうか。まずは俺の正体だが、生まれも育ちも地球人。ただ一つ、他の地球人と違うのは……」
ヤツらの前でバイオレットオーラを解放する。
全身から一気に力を放出してみせた。
「紫のオーラだとっ⁉」
「兄貴、あんな色のオーラ見たことねえよ!」
全力は出してないが、ヤツらを圧倒できる程度のオーラ量には調整している。
……思っていた以上に勢いよく大量のオーラが漏れそうになったので、慌てて抑えはしたが。
今、確信した。やはり、オーラの量も質も上がっている。これも後で確認する必要があるな。
「どうする。戦っても勝てないことは明白だ。それを見抜けないほど間抜けではないだろ」
「そう、だな」
一見、すべてをあきらめたような表情に見えるが、目の奥の光が消えていない。奥の手である【反射】を使えば勝算はある、とでも考えているのか。
「もう一度聞く、お前は何者だ」
「俺は地球人。ただし、今から四十年後の未来からやってきた。お前たちに蹂躙され、滅ぼされた未来から、な」
真実を語っただけなのだが、弟の方は目を丸くして唖然とした間抜けな顔を晒している。
兄の方は顎に手を当てて考える素振りをしているが。
「荒唐無稽な話に聞こえるが、時間を逆行する異能の存在は知っている。現に我々の任務の一つに、その異能所持者の捜索と確保も含まれているからな」
「えっ、そうなのか⁉」
知っている、既にそのシーンは夢で見た。だからこそ、秘密を暴露して話を持ちかけたのだ。
弟の方は何も知らされていないのも把握済み。
「俺の異能は時間を遡ることが可能だ。それがこれだ」
発動させて足下に穴を空けてみせる。
「時間を逆行する異能は【穴】の異能からの派生だと聞いている。嘘ではないようだな……」
「故にお前らがここで行う筈の愚行の数々を把握している」
「それが嘘偽りのない真実だとしても、我々の正体を知っていることには合点がいかぬ……」
弟の方は状況が理解できずにあたふたしているだけだが、兄の方はさすがだ。理解力もあり冷静さも兼ね備えている。
「お前らと同じように、相手の思考を読む【読心】のような異能を所持していると、言ったら?」
「ならば、今、我が何を考えているか言ってみろ」
「…………」
「我々と同じく触れなければ読めないか」
小さく息を吐いてお手上げとばかりに肩をすくめる。
兄の方は一筋縄ではいかない。
「考えられるのは……時間を遡る前に我々と戦い勝利した後に情報を得たのか」
鋭い視線が俺を貫く。
これだけの情報で答えまでたどり着いたか。
「正解だ。俺はお前らを一度殺している。だから、手の内もすべて知っている。無駄な抵抗はおすすめしない。そこまで理解しているなら話が早い。もう一度だけ提案する。俺の仲間にならないか? お前たちは異世界を滅ぼす行為に罪悪感があるのだろ」
「そこまで、知られているのか……。確かに生きる術だと割り切ってはいるが、弱者を力で踏みにじり奪う行為を良しとは考えていない。だがな、滅ぶ未来が確定している、この世界に肩入れして自らの寿命を縮める気もない」
「そ、そうだ。裏切ったら処分されちまう。てめえが俺たちより強かろうが、アグリウスタル軍に適うわけがないだろ」
もっともな意見だ。兄もそうだが、弟もそれぐらいの判断はできるか。
「貴様に加担したところで、三年後に滅ぶ未来は変わらぬ。罪悪感と引き換えにたった三年の生を得る気にはなれぬな」
考えは曲がらないか。
いや、俺の交渉材料が弱すぎたと反省すべきだ。彼らを味方に引き入れるには圧倒的な力を見せつけるしかない。――アグリウスタル軍さえも追い払えるような。
今は残念ながら、そこまでの実力ではない。
「交渉決裂か。だが、俺の敵に回れば寿命が今ここで尽きることになるぞ?」
「それでも、軍をすべて敵に回すより勝率は高い。腹を括れ弟よ」
「わかった。俺は兄貴に従う!」
仲間にできる可能性は低いと見積もっていたが、やはり、こうなった。
「考え直す気は」
「くどい! これ以上は問答無用!」
二人は目配せをすると俺の左右に回り込んだ。挟み撃ちにする算段か。
仕方がない。この交渉はわずかな可能性に賭けて失敗することを前提に行った。わかりきっていた結末でしかない。
彼らを殺したくなかった理由は三つ。戦力の補充。生まれ育った環境への同情。それと、二人が死んだことが昼想一派に伝わることへの危惧。
まだ少し躊躇いがある俺をあざ笑うかのように、弟の方が先に突っ込んでくる。
全身を土色のオーラで包み、俺の攻撃を一手に引き受ける気なのだろう。兄の方へ一瞬だけ視線を向けると、少し遅れて動き出した。
自信のある防御力で俺の攻撃を防ぎ、背後から襲う。単純だが効果的な手段。
正面から突入してくる弟を目がけて右拳を叩き付ける。当たる直前に【穴】で土色のオーラの防御力を無にするのは忘れない。
顔面のど真ん中に拳がめり込み、耳障りな音と共に弟の首が歪な方向へ曲がる。
素早く振り返ると、手刀を繰り出す瞬間の兄と目が合う。
首元を狙う指先を屈んで躱すと、そのまま無防備な腹へ、弟を仕留めた右拳を下から突き上げる。
拳が触れる直前、兄の口元に笑みが浮かんだのを見逃さない。
攻撃の勢いを完全に殺し、軽く触れるだけに留める。
瞬間、俺の腹に何かが当たった感触がした。
「やはり、【反射】を発動させたか」
「そこまで手の内がっ⁉」
驚愕の表情を浮かべる兄にも弟と同様に、容赦のない一撃を叩き込む。
二人の遺体を戦う前に空けた穴に横たわらせて埋めておく。
「悪いな、見逃すという選択肢はない」
これで一旦、異世界からの脅威を退けた。だが、二人を殺したことは昼想に伝わってしまう。
今後どうするか、一から対策を練る必要がある。
「それよりも、今は!」
深淵から離れるとスマホを取り出す。
連絡先をもう一度確認するが、訓練所関連の知り合いの番号は一つもない。もちろん、すみれの番号も。
しかし、そんなことは関係ない。
素早く番号をプッシュする。
「彼女の電話番号を忘れるわけがない」
家族構成やどこに住んでいるかもすべて日常会話で聞き出し、記憶済み。
深夜だというのに、コール音が一回鳴り終えるよりも早く通話が繋がった。
『もしかして、守人君⁉』
叫ぶように問いかけてくる彼女の声を聞いて、安堵のあまり全身の力が抜けてしまい、その場に膝を突く。
「あ、ああ、そうだよ。すみれ」
『よ、よかったー。あはっ、あははははは』
すみれの泣き声が交ざった笑い声。
心から心配してくれていたのだろう。その想いがスマホ越しに伝わってくる。
「無事に戻れたんだな」
『うんうん! 目が覚めたら部屋のベッドの上でびっくりしたよ! でも、ちゃんと時間を巻き戻せたんだってわかって、どうにかして守人君と連絡が取れないか考えていたところに電話がかかってきて。もしかしてって思ったんだ』
早口でまくし立てる彼女の話し声を聞いていると、自然と口元がほころんでしまう。
『でも、本当によかった。私も守人君も無事ってことは、望君も大丈夫だよね』
「…………望?」
存在を完全に忘れていた。
二章開始です




