二話
いつまでも、感動している場合じゃない。
まずは現状の確認だ。化け物たちが暴れた形跡はない。つまり、異世界からの侵攻前ということになる。
周囲をもう一度注意深く観察する。
道路の案内標識に書いてある地名は――北海道で有名な場所。道路を挟んだ右手に見える店舗にも見覚えがある。北海道にしか存在していないチェーン店も目に入った。
左側には老朽化が問題視されているドーム型球場。球場の前には派手な配色をしている露店がいくつかあり、多くの人が何かを買い求めていた。
ここは過去の北海道で間違いない。
今度は直ぐそこの商店に駆け寄り、ガラスに自分の姿を映す。
俺の着ている服は黒のTシャツに幾つものポケットがあるカーゴパンツ。それに少し奮発して購入したトレッキングブーツ。若い頃、気に入っていた服装だ。
インドア派なのに見た目だけはアウトドアに憧れていたんだよな。その証拠に貧相な体つきをしている。四十年間の過酷な重労働で磨き上げられた肉体の見る影が……どこにもない。
ポケットをまさぐると家の鍵、スマホ、財布が見つかった。
迷わずスマホを起動させる。四十年ぶりに扱うが問題なく操作できたことに安堵の息を吐く。まず確認するのは今がいつなのか。
午前10時の7月7日。北海道なのに暑いわけだ……じゃない。重要なのは西暦何年かだ。
四十年ぶりのスマホロックの解除は体が覚えていてくれた。直ぐさまネット検索で【今の西暦】と検索する。
「2026年……の7月7日ということは、今日があの日か!」
気付くと同時に全身を縦に揺らす強烈な振動。
街中から悲鳴が聞こえてくる。多くの人は巨大な地震だと勘違いしたようだが、その巨大な揺れはたった一度で収まり、人々が困惑している。
地震であればたった一回しか揺れないというのはあり得ない。多くの地震を経験している日本人だからこそ違和感が拭えないようだ。
俺はこれが何であり、何の始まりかを予見……ではない、過去――いや、未来で体験していた。
「深淵が開くっ⁉」
あの日、俺は偶然にも悲劇の舞台となる現場近くにいた。そう、この場所だ!
左に振り向いて目撃したのは、巨大なドーム型球場が大穴に呑み込まれ、視界から完全に消える瞬間だった。
あれから二日、世界中は大穴の話題で持ちきりだ。
大穴は日本だけではなく世界各地に現れ、各国は対応に追われている。
穴が空いた一帯は立ち入り禁止とされ、周辺には包囲網が敷かれフェンスが取り付けられ、昼夜問わず見張りが立っていた。
ドーム球場がすっぽり入るほどの大きさをすべてフェンスで覆うのには時間がかかるようで、深夜だというのに工事現場の光が穴の周りに煌々と灯り、工事の音が鳴り響いている。
フェンスの近くには無数の花束が並び、それだけではなくお菓子や飲料も数え切れないぐらい置かれている。これらはお供えだ。突如発生した大穴に呑み込まれた多くの犠牲者への。
この場所には老朽化した球場が存在していた。あの日、球場の幕引きとして大掛かりなライブイベントが開催されていたそうで、かなり有名な歌手が集まる壮大なイベントで満員御礼だったらしい。
大盛り上がりの最中、なんの前触れもなく大穴が発生。多くの人々が穴に呑まれた。
そんな大惨事から二日後、俺は深夜に大穴の周辺で潜んでいた。
工事現場から少し離れた所に三角コーンが並べられ、ロープだけが張られている人気のない場所。
「最近なんか体調悪くてよ……」
「お前もか。ここの警備をしていると気分が悪くて。死者の呪いとかじゃねえよな」
警備を担当している警官の愚痴をこぼす声が聞こえる。
大穴から噴き出してくる異世界の空気に触れると体に合わない者は体調を崩し、最悪死んでしまう。しかし、一部の異界に馴染む体質の者は異能の力に覚醒する。
それが俺のような覚醒者と呼ばれる存在だ。といっても、覚醒までに最短でも一年は必要なのだが。
一年間。俺だけが自由に動ける有効期限。既にオーラを使える覚醒者である俺だけが世界中で唯一、大穴に近づける存在だ。
俺は大きく息を吸うと閉じていた目を見開き、キーワードを口にする。日本語ではなく、異世界の言葉で。
『開示』
すると、目の前に薄い板状の何かが浮かび上がった。
異世界人に言わせるとこれは、能力パネル。自分の能力を客観的に見ることが可能な――魔法のようなものらしい。どういう仕組みかは不明だが、異世界では子供でも当たり前にできる。
地球で言うところの身分証明書の代わりになり、持ち運ぶ必要が無く便利な機能だ。それ故に誰でも使えるように研究、発展した成果なのだろう。
実際、異世界の言葉を真似して発音することで、オーラが使用可能であれば誰にでも開くことができる。ちなみにこの能力パネルは本人にしか見えず、他人が確認することは不可能。ただし、当人が許可すれば他人が覗き見ることも可能なのだが。
あと、特別な道具か特殊な異能所持者がいれば能力パネルを覗き見することが可能になる。
この能力パネルでわかるのは身体能力と特殊能力。
筋力、敏捷力、耐久力、精神力、知力を確認すると、基本成人男性の平均値ぐらいだが、少し知力が高く、精神力が……ずば抜けて高い。
体は若い頃に戻ってしまったが、四十年過ごした日々で鍛え上げられた精神力だけはそのままのようだ。
身体能力の下にある異能を確認すると【オーラ】【穴】【譲渡】とあり、ここは過去の自分と変わりない……いや、違う。彼女から託された【譲渡】が増えている。
それともう一つ異なる点が。
「どういうことだ……点滅をしている?」
今まで何度も能力パネルを見てきたがこんなのは初めてだ。オーラの表示が点滅を続けている。何かはわからなかったが、俺は能力パネルの【オーラ】に指を伸ばし触れた。
【オーラが進化します。進化しますか?】
「えっ」
思いがけない言葉に思わず大きな声が漏れた。慌てて口を塞ぐが警察官には聞こえていないようで安堵の息を吐く。
意表を突かれて驚きはしたがこの現象には心当たりがある。
あの日、恋人であるすみれが息を引き取る直前。彼女は異能を発動した。
俺が持つ【穴】と同じように彼女が目覚めた特別な力――【譲渡】
自分の力を相手に渡すだけの力。
彼女もオーラを所有していたので死の間際に能力を発動して、すべてを俺に託したのだ。
彼女の最後に思いを馳せ、俯いていた顔を力強く上げると能力パネルを睨みつけ、震える指で進化の文字を押した。
目を開けていられないほどの目映い光を発したので、思わず目を閉じる。
光が収まったのを感じると、ゆっくりと目を開けた。
【オーラが【バイオレットオーラ】へと進化】
と表示されている。更に
【新たに【墓守】の【異能職】を得ました】
「バイオレットオーラだと……。それにまさか異能職に目覚めるとは」
異能職とは異世界人曰く、覚醒者に与えられる特殊な職業。その恩恵は様々で、異世界人の中でも目覚める者は多くないらしい。
「わからないことばかりだけど説明を見るしかないか」
進化したバイオレットオーラに触れると説明文が出た。仕組みは不明だけど便利な能力だとつくづく感心する。
【二つのオーラが融合した力。以前よりも能力が飛躍している】
「それだけか」
強くなったのは間違いないようなので、いつもの感覚でオーラを放出してみる。
全身から立ち上る透明に近い薄い赤色のオーラが出るはずなのだが、それはいつもより色が濃い紫でまるで――
「スミレの花」
そうか。俺の赤いオーラと彼女の青いオーラが交わり、紫に変化したのか。彼女は俺と共にあるのだな。
感極まって涙がこぼれそうになるのをぐっと堪え、拳を握りしめバイオレットオーラの発動を止めた。
「問題は墓守。聞いたこともない異能職だ」
異世界人の話を盗み聞きして異能職についてはある程度理解していたが【戦士】【闘士】【狩人】【暗殺者】のようなファンタジー作品で何度もお目にかかった、戦闘が似合う職業ばかりだった。
ずっと戦場の最前線にいたので戦闘職ばかりに会っていたからだけなのかもしれないが、【墓守】というクラスは聞いたこともない。名前からして……戦闘に関しては期待できないか。
それでも、わずかな可能性にすがり【墓守】に触れる。
【墓を守り整備する管理者。穴の力が強化され、同時に複数掘削が可能】
「墓守だから墓穴を掘る力が強化された、ってことなのだろうか。どちらにしろ、これはかなり嬉しい強化だ」
今まで【穴】の力は同時に二つまでしか発動できなかった。それが幾つも穴を掘れるとなるとその恩恵は計り知れない。
「ありがとう、すみれ」
胸に手を当てて感謝の気持ちを込め、愛しい恋人の名を呟く。
今日は穴に降りて中まで調べるつもりだったが、進化した能力確認を先に済ませておくべきかも知れない。
考え直して大穴から離れようとした直前。
「お、おい! 何だあれは!」
「ひ、ひいいいっ! ば、化け物!」
警官たちの悲鳴がした。
振り返ると顔面蒼白で尻餅を突き、震えた状態で穴の方を指差している。
そこにいたのは頭から角の生えた異世界人が二人と爪と牙が異様なほどに伸びている、異世界の番犬――ヘルハウンドが一匹。
「なんで、異世界人が⁉」
早すぎる。ヤツらが侵攻してくるのは今から三年後のはず。
『ここが異界か。なんだ、貧弱な生き物がいるぞ』
『角無しの小物か』
二体の異世界人が放ったのは異世界語。当然、警官には通じていない。
「ば、化け物! 応援をよ、呼ばないと!」
「なんでだ、通じない! 繋がらない!」
通信機が使えないことに戸惑い、慌てふためく警官。
異界から流れ出る空気に触れると電子機器が使えなくなるのを彼らは知らない。三年後に敵の侵攻と同時に、異世界の空気が大量に流れ込む。それにより連絡網の遮断、現代兵器の不発が相次ぎ、地球人は為す術なく蹂躙されてしまった。
「う、動くな。抵抗するなら発砲するぞ!」
「馬鹿かっ! 警告はいいから撃て!」
拳銃を構えていた警官の一人が引き金を引く。
銃声が響くが、周辺で行われている工事現場の音に紛れて気付く者はいないだろう。
『あーっ、なんだこの鉛玉は』
『どうやら異世界の飛び道具のようだ』
銃弾は土色のオーラに遮られ本体にまで届いていない。
「土ということは守りのオーラか」
防御に特化したオーラ。その頑強さは断トツで優れているので、拳銃どころか大砲の弾さえ防ぐことができる。
『うっせえな、雑魚が』
異世界人が面倒臭そうに腕を振るうと土色のオーラが警官に向けて伸びる。それに触れた警官二人が白目を剥いて気絶した。
『おいおい、オーラに抵抗すらできねえのか。あまりに雑魚過ぎて哀れだぜ』
『油断はするな。選抜隊として選ばれた我々の責務は重大だ』
大柄の異世界人が気絶した警官を見下して、けらけらと笑っているが、小柄なもう片方がたしなめている。
『ちっ、しゃあねえな。上からの命令は絶対だ。ちょうど二人いることだ。こいつらに化けてこの世界の情報を集めるとしようぜ』
『了解。今は穴の力が弱く安定していない。増援がいつ来るかも不明な現状。来たるべき日まで使命をこなすしかあるまい』
地球人に言葉は理解できないと油断して、異世界語で内情を暴露してくれている。ここにどちらの言語も扱える男がいるとも知らずに。
今すぐ飛び出して助けるべきか判断に迷うが、もう少し情報を引き出したいのが本音。それに、ヤツらに対抗できる者は現在俺一人。迂闊な行動で人類の希望を失うわけにはいかない。
冷酷な決断だが、警官二人が犠牲になっても様子を見守るべきだと判断した。
心の中で謝罪の言葉を述べてから現状を確認すると、警官の頭に触れた二人の手の平が光っている。
『なるほど、ここは地球という星か。ここは日本でこいつらは警察という職業。日本語も』「こんな感じか」
最後口にしたのは異世界語ではなく日本語。
あいつは相手の記憶を読み取りものにする異能の持ち主らしい。
「こちらも完了だ。俺たち兄弟の異能を使えば他人の記憶を読み取るなんてのは、余裕余裕。なあ、兄貴」
「そうだな、弟よ。我ら兄弟が覚醒した【読心】の力、存分に活用せねば」
なるほど、兄弟だから同じ能力を所有しているのか。
更に二人は懐から小さい球を取り出すと、それを倒れている警官の額に当てる。その球が小さく輝くと、躊躇うことなく球を呑み込んだ。
すると異世界人の姿が見る見るうちに変貌し、倒れている二人の警官に瓜二つとなる。
「かっ、小さく貧弱な体だが我慢するか。よっし、服を脱がせるぞ」
二人は警官の服を脱がせて着込む。その姿は瓜二つどころか本人にしか見えない。
穴の付近まで裸の警官を引きずると、そこに放置していたヘルハウンドの頭を撫でている。
『さーて、待たせて悪かったな。よーし良い子だ、待てだぞ。俺たちの姿が見えなくなったら、こいつら食って良いぞ。食べ終わったら、この記録媒体を持ち帰ってくれ。現状を記録させておいたからな』
「まあ、こいつが一方通行前提で作られた不安定な穴を、無事に通ることは適わないだろう。だが、その道具だけは間違いなく届く」
さっきとは違った球を取り出すと、ヘルハウンドの首にかけてある鞄の中にしまう。
そうして、穴の縁から離れると見張り場所へと戻っていく。
警官二人は見捨てるべきだ。日本を救う、その目的のために危険を冒す必要はない。彼らは貴い犠牲だ、割り切れ。
俺は今まで、何十、何百、何千、何万もの人々が殺されていくのを目の当たりにしてきた。
奴隷の自分には刃向かう力がない。
ここで逆らって、すみれを危険に晒すわけにはいかない。
抵抗したところで無駄死にだ。
言い訳に言い訳を重ね、戦わないですむ理屈を並べ、臆病な自分を認めず、現実から目を背け、自分が生き残る……それだけの為に多くの人々を見捨てた。
誰にも手を差し伸べず、自らは動かず、藁にもすがる思いで、自分とすみれを助けてくれる英雄が現れるのを待ち望んでいた。ずっと、ずっと、ずっと――
助けを求め、悲鳴を上げ、泣き叫ぶ人を何度も何度も見殺しにしてきた……。
そんな俺が何を今更、何を偽善ぶるつもりだ。目の前で命を失う人間の数が二人増えたところで。
残されたヘルハウンドは二人の姿が視界から消えると同時に裸の警官へ飛びかかる――が、俺は二人の前に滑り込むと、顎を下から容赦なく蹴り飛ばした。
「やってしまった、か。怪しまれないためには、このまま見過ごすのが正解だとわかっている――だけどな!」
ただ悔し涙を流し続け、無力な自分を責め続ける日々は終わりだ。
今の俺には弱者に手を差し伸べるだけの力がある!
「待ち望んでいた英雄は現れなかった。なら、俺がなるしかないだろ‼」
激情に身を任せて思わず飛び出した自分を恥じるように、頭をボリボリと掻くが後悔はない。
頭を掻いていた手をそのまま顔面を滑らすように顎下まで移動させ、目を見開き大きく息を吐く。
空中で一回転して背中から地面に落ちたヘルハウンドが起き上がると、恨みがましい目で俺を睨む。
そして、大きく口を開けて雄叫びを上げようとしたところで。
「開け」
番犬の足下に【穴】を発動させた。
叫ぶ間もなく穴に落ちる番犬。
歩み寄る途中で地面に転がっていたフェンス用の鉄パイプを拾ってから、穴の縁に立つ。
見下ろすと深い穴の底で状況が掴めずに戸惑っている、哀れな番犬が見えた。遠すぎて親指大に見える番犬と目が合う。
「墓標はこれでいいか」
バイオレットオーラを全身にまとわせて、渾身の力で鉄パイプを投げ落とした。
相手の額を容易く貫き、絶命したのを見届けてから穴を閉じる。かなり深く掘っておいたので死体が見つかることはないだろう。
「墓標も埋まってしまったな」




