十二話
初日の訓練を終え、昼過ぎには自由時間となった。
訓練所の時間割は基本午前中だけが授業の時間で、残りは自由時間となる。
あくまで自由意志による訓練所という名目なので、学校のように束縛される時間は少ない。
訓練施設内にある、入所式を行ったビル内に訓練生と職員専用の食堂があるので、俺たちはそこで昼食を取っている。
「どうした、すみれ」
ぼーっとした顔で俺を見つめていたので声をかけると、ハッとした表情になり慌てて飯をかき込む。
「な、なんでもないよ。うーん、ご飯もおいしいし景色も最高だね」
照れているのか? ここ数日、たまにあんな感じで俺の方を見ているときがある。
「覚醒者になって、ほんまによかったわー」
すみれと望が言うようにビルの二十階にある食堂は景色も良く、料理も旨い。
元々、高級レストランが入る予定だったホテルらしく、内装も食堂と表現するには相応しくない立派な造りだ。
窓際の席に座っているのだが、ここから周辺が一望できる。
改めて見ても、訓練所の敷地は広い。ドーム型運動場に加え屋外にも運動場があり、公園やショッピングモールまで存在しているのは圧巻の一言だ。
マンションや戸建ての住宅まで敷地内にあり、俺たち覚醒者や関係者が住んでいる。
「体は資本だ、二人とも沢山食べるように。足りないなら追加でもらってこようか? それとも甘い物がいいのか?」
「毎回、限界まで食わせようとするのやめーや。田舎の爺ちゃん婆ちゃんか。ふうぅぅ、もう腹一杯やって。……あれが大穴やんな? やっぱ、上から見るとごっついな」
「生で見るとすっごいね。スマホやカメラだとうまく撮影できなかったよね。えっと、大穴じゃなくて、正式名称は深淵になったんだっけ?」
食休めに辺りを見回していた望が窓にへばりついて凝視しているのは、大穴。一年半後に異世界人が大量に現れ、侵攻してくる元凶。
電子機器の一切が大穴の周辺では使えなくなり、遠くから映そうとしてもその姿がぼやけてしまう。なので、普通の人は離れた場所から、直接その目で確かめるしか方法がない。
近づけるのはオーラに目覚めた覚醒者のみだから。
大穴……ではなくて深淵を囲うのは高く分厚いコンクリートの壁。少しでも異界の空気を外に漏らさないために作られた。
その工事現場で働いてはいたが、全容を見たのは初めてだ。
ちなみにあの壁は「境界壁」と呼ばれている。あと、大穴はネット上で深淵という、如何にもな呼び名が浸透して、それをマスコミが取り上げ、一般にも深淵という呼び名が広まった。
「なんか、いっかついな。あの境界壁の向こうに行けんのは一部の人間だけなんやろ?」
「普通の人は近づいただけで、おかしくなっちゃうって話だもんね」
「お前ら覚醒者なら大丈夫だがな」
「許可を取らないとダメですけど」
話に割り込んできたのは、お盆を手にした豪先生と静先生。
「同席構わねえか」
「どうぞ」
緊張している二人に代わって許可を出す。
すると、対面に豪先生と静先生が座った。
豪先生は肉をメインにしたおかずと大量の米。静先生は野菜がメインで米も少なめか。
先生二人がやって来たことで、他の訓練生たちが周囲から居なくなって誰も近づいてこない。静先生は人気者だが、豪先生は見た目の厳つさと訓練の厳しさで苦手なイメージを持っている人が多いからだ。
自然に人避けとなったのは、ある意味幸運。日常会話を装って、少しでも機密事項を聞き出せないか?
「やはり、大穴……じゃなかった。深淵には興味があるようだな」
「それはまあ。穴から出てくる謎の空気に触れたから、オーラに目覚めた……なんて話もよく聞きますし」
「あっ、それテレビでもネットでもやってた」
「わいも観たことあるで」
事実なのだが、この時はまだ正式には公表されていない。だが、ネット上では有力な説として広まり、多くに認知されていた。
「極秘事項の筈なんだが。誰が漏らして広めたのやら」
苦々しげな表情で肉を頬張る豪先生。
「仕方ないよ、お爺ちゃん。誰だって想像つくし。突然、あんな大穴が世界中にできて、そしたらオーラとか異能に目覚めた人も現れて。関連付けない方が無理あるよ」
「違いない」
静先生にたしなめられ、渋々頷いている。
「実際のところどうなんですか?」
一切茶化さずに真剣な顔で問いかける。
「いずれ、訓練生には授業で話す予定だったのですが、その話は本当ですよ」
あっさりと静先生が認めた。
「専門機関の調べによると深淵から流れ出る、成分不明の気体に触れた生物は体調を崩すか、オーラに目覚めるかの二択。大半の人が受け入れられずに体調を崩し……最悪、死に至る場合もあります」
その言葉を聞いてゴクリと唾を飲む望とすみれ。
「お前は驚かないのだな、守人」
「昨日観た暴露系配信者の動画で同じようなことを言ってましたから」
嘘ではない。実際、そういった系統の動画を観て情報を収集している。
もっとも、どの配信者やテレビのコメンテーターよりも俺の方が深淵について詳しいのだが。
「あの壁って、かなり距離を取って造ってません? 深淵からかなり離れているようなんですけど」
すみれの指摘は間違いじゃない。深淵の縁から結構な距離を取ってコンクリートの壁は建設された。
「良いところに気が付いたな。距離を取ることで、深淵と壁との間には謎の気体が充満することになる。その空間でお偉いさんたちは実験をやってんだよ。草木に変化はないか、とかな」
豪先生の説明を聞いて大きく頷く望たち。俺も小さく頷いておく。
嘘は言ってないがすべてを明かしてもいない。それをここで指摘していいものか、悩みどころだ。
「あと、動物も入れて変化が……あっ」
「静、お前ってヤツは……」
口を滑らせて極秘事項を漏らした静先生が慌てて口を押さえているが、時既に遅し。
隣で額に手を当てて大きなため息を吐いている豪先生に、頭を軽く小突かれている。
「その、うっかりなところはどうにかならんのか。まあ、婆さんに似て可愛げはあるが」
叱りながら惚気るのはやめて欲しい。
「動物の実験もしているってことですよね」
周囲の訓練生や関係者に聞こえないよう、声を潜めて問い返す。
「今更しらばっくれても無駄だから話すが、他言無用だぞ。もし、他の誰かに話したら……」
凄む豪先生を前にして望とすみれは首が折れそうなぐらい、激しく頭を縦に振っている。
「人間に変化があったということは、他の生き物にも変化があるか確かめる必要がある、って流れになったらしくてな。研究者やお偉いさんが実験を強行しやがってよ。殺処分予定の野良犬や野良猫。行き場を失った動物園の動物たちを、な」
「マジでっか……」
「そんな酷い……」
目を限界まで見開いて驚く二人の横で、俺も取りあえず少し驚いた振りだけはしておく。
「それで、動物たちに変化はあったのですか?」
興味津々、といった素振りを意識して声を出す。
豪先生と静先生は顔を見合わせて口を噤むが、俺たち三人の好奇心に染まった瞳に見つめられて折れたようだ。
辺りを軽く見回して、近くに人が居ないのを確認してから、ゆっくりと口を開く。
「変化はあった。七割以上が異常をきたして、口から泡を吐いて悶え死んだのだが……残りの個体はその環境で生き延びた」
「ということは、生き延びた個体はオーラや異能を手に入れた、と?」
俺が訊ねると対面の二人は重々しく頷いた。
質問しておいてなんだが、この答えは予め知っていたので驚きはしない。だけど、表面上は驚いた振りをする。大口を開けて目を見開いている二人ほどではないが。
「それどころか、外見に変化も現れまして。正直、別の生命体……魔物のような存在になっています」
「静。話しすぎだが、いずれはわかることか」
俯いて絞り出すように声を出す静先生の頭を、軽くぽんぽんと叩く豪先生。
どちらの表情も声も、この実験に納得していないようだ。
すみれは落ち込むより怒りが勝っているようで、顔を真っ赤にして震えている。彼女は動物好きだったから、気持ちは理解できるよ。
重苦しい空気が漂い、沈黙が場を支配している。
いつもならそんな空気を消し飛ばすのは望の役目なのだが、ちらっと横目で確認すると顔色が悪く視線が宙を彷徨っている。かなり動揺しているな。
「こういう言い方をするのは卑怯かも知れないが、動物実験は医学では常識だ。人が生きるために、進化するための貴い犠牲とも言える」
豪先生にそう言われると言い返せないのか、二人は口をぎゅっと噤んでいる。
この重苦しい空気で二人が質問を口にするのは難しいか。じゃあ、俺が切り込むとしよう。
「先生方、最後に一つだけ質問良いですか?」
「ああ、ここまで話したら秘密もクソもないからな、構わないぞ」
こういった機会が次にいつあるかわからない。ならば、やれる内にやっておく必要がある。
「その実験って……人間は含まれていないのですか?」
重苦しかった空気が更に重みを増したどころか、凍り付いた。
鋭い目つきで睨んでくる豪先生。口元を抑えて絶句している静先生。
ハッとした表情の望、すみれ。
核心を突いた質問に返答は……沈黙だった。
誰も声を発しないので冷えてしまった昼飯のおかずを黙々と食べておく。
俺がおかずを食べきったタイミングで豪先生の重いため息が聞こえた。
「度胸があると言うべきか、豪胆と評するべきか、それを俺たちに聞くのか。……まあ、お前の想像通り、とだけ言っておこう」
「さすがに禁則事項だからね」
この反応が答えだと考えて差し支えない。
「すみません、変なことを訊いてしまって」
立場上、言えないことがあって当然だ。豪先生と静先生は優秀な異能持ちとして、一目置かれているので、この一件がバレたとしてもお咎めは少ない。
だが、それはそれとして、深々と頭を下げておく。
「いや、こちらの口が軽すぎた。だが、遅かれ早かれ境界壁の向こうについては知る予定だった。訓練生たちはな」
「どういう意味でしょうか?」
俺が問い返すと、豪先生はいたずらっ子のような、意地の悪い笑みを浮かべるだけだった。
食堂での一件から一週間後、俺たちは――
「マジで異世界みたいやな!」
「ほら、見て見て! 草木が見たことない形してるよ!」
境界壁の内側にいる。




