第八章
一月八日になり、狗吼小学校の三学期始業式が始まった。この小学校は村の東部のスーパーの向かいに位置し、中学校と合併した一貫教育となっており、もちろん村内唯一の教育機関だった。今では当たり前になっている電子教科書、登校登録システム、遠隔授業、AIによる代理登校、VR体育授業も存在せず、教科書は手書きで印刷したものをわら半紙で粗末にホッチキス止めしたものだった。校舎もやはり二階建てのトタン小屋で、床面積四百七十平米と、多美が通っていた星車町の小学校の半分より小さく、そこに、星車小学校より百人ばかり多い、三百五十人近い児童生徒や教員が寿司詰めに近い状態で過ごしていた。多美が連れてこられた四年一組の教室は、彼女が住んでいた星車町の家の居間より少しばかり大きい部屋で、そこに三十人ほどの子供が段ボールで作られた机の前に座っていた。椅子はないが、真坂の家の台所と同じ土間なので、子供たちは粗末な茣蓙や新聞紙の上に正座していた。男子も女子も、数多と同様、黄ばんだポロシャツ、灰色の薄汚れたズボンやスカートを着ていた。教室内の電球の素材で作られたとみられる窓ガラスは割れ、ガムテープで大雑把に応急処置がされていた。
担任の名前は葛田玖頭生といった。真坂より少し体格が良いが、ギョロ目の人相の悪い男だった。彼は、多美を乱暴に生徒たちの前に押し出すと、自己紹介するように顎でしゃくった。
「まつざ…いえ、真坂、多美です。」
ようやくそれだけ言った。多美を見ると、生徒たちがざわめきだした。「化け物みたいな顔してやがる」「気持ち悪い」という声が上がった。それもそのはず、この時多美は真坂家の人間から度重なる暴力を受け、顔は目もどこにあるかわからないぐらいに腫れあがり、髪はわしづかみされて引きずられていたので、頭の半分は抜けており、足も腰も傷ついて前かがみになり、正常に歩くことも困難な跛行状態だった。
「お前の席は、悪呂地の隣だ。」
葛田は一番後ろの、縦長の顔をした男子生徒の隣にある、誰も座っていない段ボールの席を指さして言った。悪呂地と呼ばれたその生徒は、細い目が顔の上部にあるため額が狭く、長い鼻から鼻水を垂らし、いかにも不潔そうな身なりだった。
多美が虐待で傷ついた片足を引きずりながらそちらの席に向かうと、何かに躓いて転んだ。健常な脚なら、足首を使って受けるダメージを少なくするのだが、負傷して跛になった脚だと、その衝撃をもろに受け、前のめりに派手に倒れてしまった。
頭の上からクスクスと笑い声が聞こえた。生徒の一人が、足を出して多美を転倒させたに違いなかった。そして、やがてクラス中が嘲笑に包まれた。
「何やっとるんだ!」
葛田がどすの利いた声で言うと、倒れた多美にどかどかと歩み寄った。転ばせた生徒ではなく、多美の髪をわしづかみし、
「早く席に就け」と突っぱねた。
この先生も、あの真坂というおじさんと同じだ、そう思うと、多美の心は更なる絶望に支配されていった。
多美が隣の席に来ると、あの悪呂地という少年が彼女の顔に唾を吐きかけた。その様子を葛田は見ていたが、咎めることなく、多美を恐ろしい目でにらみつけた。多美は、その眼力に気おされるまま、仕方なくその段ボール机の前に持参の新聞紙を置き、その上に腰掛けるしかなかった。
星車の小学校にいたころとは想像できない、地獄の学校生活が始まった。案の定、葛田は多美が少しでも失敗や自分の意志にそぐわないことをすると、彼女を殴った。真坂は平手打ちで殴ることが多かったが、葛田は拳の方が圧倒的に多かったため、多美の顔や体は醜くはれ上がり、前歯は折れ、ますます人間離れしたものになっていった。葛田が多美を殴ると、生徒たちも触発されて彼女に暴力を加えた。狗吼小学校には体育館などなく、朝礼や体育の授業などは、野外で行われた。体育の時間にも、葛田は多美を指導という名目で虐待した。ボールや石を至近距離でぶつけることはしょっちゅうで、肩の高さまで担ぎ上げられて投げ落とされたこともある。誰も助けてくれないし、どこにも逃れようがない。多美は学習性無力と解離性状態に陥り、暴力を受けているのは自分ではないと誤認し始めていた。
学校給食もまたこの世のものと思われないほど、酷いものだった。狗吼村名物である猫瀉汁や犬瀉汁に死んだゴカイやミミズを入れたものが毎日のように出た。これらのものを、葛田や同級生の生徒たちは、無理やり多美の口に流し込んだ。吐いてしまうと、それをまた口に入れるように強要する。真坂家の人間と同じように、碗や机にこぼれた汁や吐瀉物に無理やり顔を押し付けられた。そのたびに、多美の意識は、母親が作ってくれた味噌汁やコーンスープ、ラーメンやうどんに解離するのだった。
(お母さん、お味噌汁おいしいよ…)
目の前に笑顔の母親の幻覚さえ浮かんできた。家庭でも学校でも、第三者がいたら目を覆うような仕打ちを受けている彼女は既に極限状態だったといえよう。