第七章
狗吼村の夜明けは、夕方とは反対に真っ黒な空が次第に赤黒い色に変わり始め、やがて黒い色が消えると、この村特有の空の色である真っ赤になった。朝日も見えない。空には昨日と同じように、黒い綿雲がいくつも浮かび、東の空は墨をこぼしたような巻層雲がかかっていた。
多美が昨夜、失禁した汚物はもちろん自分で処理した。外にある汲み取り式便所に捨て、下着は外の水道で洗った。この水道も台所にあるものと同様に、手動開閉式で、ハンドル部分が固く、赤さびを含んだ水が出た。汚物の処理が終わると、多美は真坂からの仕置きとして、三十分ほどの間、汲み取り式便器の上に縄で縛られ、逆さづりにされた。頭に血が上り、下からは汚物の悪臭が漂ってきた。時々、真坂がやってきては
「少しでも声をあげたりすると、この縄を切るぞ。お前はこの便所の中に真っ逆さまだ」
と言って物差しで殴った。また、彼の息子の数多も来て、サンドバッグのように多美を殴った。痛みに声をあげそうになったが、歯を食いしばって耐えていた。
三十分後、ようやく降ろされた時には頭に血が上ってふらふらになり、片足を便器の穴の中に突っ込んでしまった。それを見た真坂は、
「汚い。洗ってこい。」
手を差し伸べることなく、その場を去っていった。だが、この宙づりの時間の間、朝食の支度をしなくて済み、また、それらを食べずに済んだ。もしこれがなければ、けふ子にまた虐待されただろうし、食事の内容も猫瀉汁だったに違いない。多美は、昨日腹を下したため空腹だったが、あの食事をまた食べることを考えるとこの方がましだと思ったのである。それでも昼食と夕食にはあの悪臭漂う、猫瀉汁を無理やり食べさせられた。
こうして狗吼村に来てから、地獄の日々が過ぎていった。ふとあることに気づいた。この村に来たのは一月五日だと記憶していたが、一夜明けた日の日めくりカレンダーは年明け前の二〇九六年十二月二十八日、つまり家族の火葬が行われた次の日だった。時間が逆行したのか、妙な話だった。年明けに学校が始まる十日ばかりの間、多美は真坂の家族から虐待を受け続けた。苦痛の時間がはるかに多かったためか、恐ろしく長く感じた。
星車町を出る時に、同級生や担任の小森からもらった贈り物は全部捨てられたのだろう、全く見つけることができなかった。それが幸いだったかもしれない。少しでも故郷に関するものを見つけると、今の地獄のような状況と、幸せだったころの時間への恋しさに感情が爆発して止まらなくなっていただろう。多美は、真坂達から殴られても、それを意識の外へ感じるようになった。
四方を黒々とした山に囲まれているこの村は、狗吼盆地とも呼ばれ、多美が幼いころに家族旅行をしたディズニーリゾートほどの面積しかなく、東西に横長のいびつな形をしていた。ごみごみと薄汚いトタン小屋が建てられ、四千人余りが暮らしていた。二十世紀半ばで時が止まったような暮らしをしており、電化製品もそろっていなかった。真坂家には洗濯機はないので、素手で洗濯をさせられた。今では当たり前になっている自家用車も十世帯に一世帯しか持っていないようだ。車を持っている真坂は、この村では十分の一のまれなケースだった。何よりも電波が一切通じないので、携帯機器どころかテレビやラジオもなかった。真坂の車の鍵が旧式で、リモコン操作どころか、鍵穴に差し込んで開ける型のものであったのも納得がいった。新聞はあったが、粗末な手書きで書かれた原稿を印刷したもので、すべて狗吼村内のローカルニュースばかりだった。外の情報は一切入ってこなかった。どうやら他の地域と完全にかかわりを断っているらしかった。他地域とのかかわりがないので流通もなく、生産物は全て地産地消だった。食品は犬や猫の内臓や胃の内容物(猫瀉汁の他、犬瀉汁というものもあるらしい)、内臓を抜かれたネズミ、孵化しかけのカラスのひなの卵、ミミズやゴカイを麺類に見立てた気味の悪いものばかりで、村でたった一軒しかないスーパーで売られていた。日本各地の店舗なら行っている、年末年始の特売もなかった。すべて旧時代の電化製品や文房具を売る店もあったが、こちらも村に一軒のみで、スーパーと同様にカビの生えたトタン小屋だった。多美は買い物に行かせられることがあったが、店員はよそ者には悪意むき出しにし、多美に嘘をついて高い値段を突き付けた。値段が高かったから買えなかったというと、真坂やけふ子からひどい仕打ちを受けた。その後、けふ子が値上げされなかった本来の値段で買ってくるとお前はうそつきだと言われ、さらに激しく殴られた。掌に焼けた針も刺された。この村の雲は黒く見える、というのではなく、雲自体が煤を燃やした煙のように黒い色をしているようだった。曇りの日は真っ黒な雲が空を覆い、夜と見分けがつかなかった。霧の日は周囲に黒い闇が立ち込め、灯りがないと歩けないという。また、雪は降らず、どぶの臭いがする、黒い泥のような雨が降った。この村の家の壁が汚れ、悪臭を放っているのもそのせいだろう。それは、村民の着物も同じだった。泥雨で汚れた着物を、赤さびを含んだ水で洗うのだから、薄汚れた着物になるのは自然の道理だった。
この村には十人余りの役人が働いている村役場、それから同じく薄汚いトタンで作られた病院らしいものはあったが、交番や警察署らしいものはなかった。ということは、罪人がはびこるのだろう。真坂の家族が多美に与えている仕打ちは既に犯罪だったが、それを取り締まり、裁くものもいないため、彼らの行いはますます増長されていくのだった。