第六章
かび臭い毛布一枚の床について、どれぐらい時間が経っただろうか。多美は急激な腹痛と便意に襲われた。おそらく、あの汚物そのものと言ってもいい夕飯と汚水の風呂が体に堪えたのだろう。数多を起こさないように我慢していたが、腹痛はますます激しくなり、便意も耐えられなくなった。多美は音を立てないようにして起き上がり、部屋を出た。
廊下は真っ暗だった。懐中電灯の場所もわからず、今は手探りで行くしかなかった。便意は限界までに切迫していた。だが音を立ててはいけない。一人でも真坂家の人間を起こしたら、どんな目にあわされるかわからない。
多美は暗闇の中を手探りで進んだが、背後で扉の開く音と「おい」という数多らしい声が聞こえ、慌てて走ったら、段差があったらしく転倒してしまった。
「どうした、数多。」
その音に数多の隣の部屋の扉が開き、父親の真坂と母親のけふ子が出てきた。真坂は右手に懐中電灯を持っている。けふ子は眠りを妨げられたせいか、不機嫌な様子だ。
「あの女が部屋から出たんだよ。おそらくその辺にいる。真っ暗で探せねえけど。」
「どれ。」
息子に言われ、真坂は懐中電灯で土間を照らした。
「どこにいる、出て来い。」
真坂は怒鳴りながら、土間を一通り照らした。だが、多美の姿は見えなかった。真坂は土間に降りて探しに行くかと思いきや、ふんと鼻を鳴らし、
「まあいい。きっとこのどこかに隠れているだろう。仕置きは明るくなってからだ。さあ、お前たちも早く寝ろ。」
真坂はそう言って、けふ子の背中を軽く部屋の中に押し入れた。
「でも、おとん。」
何か言いかけた数多を真坂は「いいから、寝ろ。」と厳しい調子で遮った。
真坂家の人間が全員部屋に戻っても、多美は、プロパンガスのコンロの陰に隠れて震えていた。既に下着が生暖かく湿った、悪臭を放つもので満たされていた。間に合わず失禁してしまったのだ。幸い、この家が全体的に悪臭に包まれていたので、それに紛れて見つからなかったのである。その晩中、多美はその場でその姿勢のままで、自分の汚物にまみれながら、絶え間なく襲ってくる腹痛と便意、悪臭と羞恥心、そして虐待と転倒による怪我の痛みに耐えていた。幼いころ、腹を壊した時に、夜通し腹部をさすってくれた、母の温かい手を無意識に求めた。無論、かなわぬ願いだった。あまりの苦痛に、嗚咽が漏れた。それでも多美は声だけは出してはいけないと思い、声を押し殺して泣いた。