第二十四章
「ほら、多美さんが来ました。」
真坂に声をかけられ、零子は顔を上げた。明らかに何かが近づいてくるのがわかった。今は黒い山のシルエットに紛れて見えないが、ズルズルと何かを引きずる音、そしてシュルシュルとものを吸い込むような、何かがうねるような音…それに交じって聞こえるテケリ、テケリというくぐもった異音…明らかに人間ではないことを表していた。そして、この村の空気が放つ、肉や植物が腐ったような臭いとは別の腐臭が近づいてきた。ありとあらゆる有機物が腐ったような強烈な臭いだ。
赤い空が放つ不気味な光の中、それは姿をついに現した。それが視界に飛び込んできた途端、零子は恐ろしさと嫌悪感のあまり、顔を覆った。それは、正視に堪えぬほどおぞましい異形だった。全体は普通自動車ぐらいの大きさに膨れ上がり、ドロドロに腐ったヤニのような不定形の肉の塊のようで、本体のあちこちに、無数の目と口を持っているようだった。本体から怪奇的な触手を何本も伸ばし、体の表面も目や口の他、小さなミミズのような触手が無数に生えていた。さらに、寄生している白いウジ虫のようなものがうごめいて見えた。本体の上部真ん中にあたる部分に、人の頭らしいものが突き出ていたが、もはや顔らしいものはなく、それも複数の目と盾に裂けた大きな口の他、小さな口ができている。
こみあげてくる嘔気を必死に抑える、零子の口からヒイッという笛のような声が漏れた。
「念願の姪御さんと再会できましたね。」
あざ笑うように言う真坂に、
「何を言うのです?これは姪ではありません。こんな恐ろしい化け物のわけがない!」
零子は悲鳴に近い声で叫んで食って掛かった。
「何度言えばわかるのです?それは間違いなく多美さん、あなたの姪御さんですよ。」
笑みを浮かべつつも威圧的に真坂は言った。その時、その異形がテケリ…と声をあげた。
零子はそちらを見た。本体の中央にある、人間の頭に似た部分がぶるぶると痙攣するように動いている。真坂の言っていることは本当なのか?これが多美なのか。だとしたら、この頭の部分に多美の意識は残っていて、「叔母さん、助けて」とでも言っているのか?
その時、ぴしゃっと音を立て、異形の本体の前面に、牙がびっしり生えた巨大な口が開いた。零子は悲鳴を上げ、そのまま座り込むような形で転んでしまった。そこを異形は見逃さなかった。一番太い触手で零子の足をつかみ、本体の方に引き寄せにかかった。
パンッ、パンッ、と発砲する音が二回響いた。拳銃を手にした真坂の足元には、頭を撃ち抜かれた零子が倒れていた。血と脳漿が、べとべととした植物の上に流れ出ていく。
「この女はもう死んだ。食っても無駄だ。」
真坂は異形の肉塊を真っ向から見据えた。本体部分の中央にあった頭の付け根の部分に、真坂の放った二発目の弾丸が突き刺さっていた。頭はがくがくと激しく前後に動くと、本体部分からちぎれて地面に落ち、転がった。
「帰れ。」
真坂はそう言って、拳銃を上着の内ポケットにしまった。異形の肉塊は真坂としばらく向き合っていたが、やがて観念したように向きを変えると、黒い山の方に戻り始めた。
「テケリ、テケリ、テケリリ…」
それが放つ異様な、しかしどこか寂しげな鳴き声が響いた。その声は、異形の肉塊が遠ざかり、黒い山に消えていくまでずっと響いていたが、次第にフェードアウトし、とうとう何も聞こえなくなった。真坂の足元には零子の遺体が音もなく横たわり、少し離れた所には、異形の肉塊から切り離された、目と口と小さな触手だらけのどろどろの頭が、赤い空の光に照らされ、ぴくぴくとうごめいていた。
完




