第二十一章
野天と名刺を交わしてから十一年間、二人は連絡を取り合った。野天は他の仕事の合間に例の硬山の周りを注意深く観察し、変化がないか零子にこまめに連絡を取り続けた。そして、十一年目を迎えた今日、野天から硬山周辺の草木が腐り始めたという報告があった。
零子は夫に断り、すぐに北福登までの航空券を確保した。高校三年生の息子の健太と、中学三年生の娘の美波には北福登に住む、友達に会ってくると告げた。二人とも、そんな遠いところにお母さんの友達なんていたのといぶかしがったが、入学試験を控え、そのことに精いっぱいだった二人は割とすんなり認めてくれた。
北福登に着いた零子は真っ先に事務所を訪問した。
「先生もお変わりなく。」
アンドロイドの秘書を通じて、野天と再会した零子は深々と頭を下げた。野天は出された紅茶を一口飲むと、
「さっそく本題に入りますが…」
と一息ついて話し始めた。
「ついに、予兆が現れたんですね。」
野天が言い終える前に、零子が口を割った。野天は深くうなずいて、
「そうです。先程最新のバーチャルマップに入って確かめましたが、トンネルはまだ開いていないようです。」
と、所持していた帳薄型のPCを取り出した。
「そうですか。でも、こうしている間にもし開いたら…」
「まだ開いていません。」
野天は驚くべき速さでPCから、バーチャルマップにログインした。
「よろしければ、この硬山の部分をホログラムモードにしておきましょう。そうすると、その部分が空気中にホログラムとして映し出されるので、マップの中に入り込まなくてもここで見れます。パソコンの電源が切れて強制ログアウトされない限り、リアルタイムで観察できますよ。」
野天がPCをいじると、例の硬山のホログラムが現れた。
「ありがとうございます。」零子は礼を述べると、そのホログラムに見入った。
「ところで、飴海さん。」野天は尋ねた。
「もし、硬山に狗吼村に通じるトンネルが開いたら、どうされます?ここから硬山まで普通自動車だと十分はかかります。トンネルが開く間の時間は五分ほど、向かっている途中で閉じてしまう可能性も十分あります。」
「はい…もう少し速く行ける乗り物はありませんか。エアカーとかでも構いません。」
零子は無理な要求だということを承知して尋ねてみた。
「エアカーですと、このビルの地下の倉庫に小型のものがありますが、運転手一人しか乗れません。」
野天が言うと、零子は
「それでもかまいません。私、エアカーの運転免許も持っておりますので。」
と思わず勢いに任せて言った。彼女の態度の変容に、野天は幾分か驚いた様子だったが、
「行かれるのですか、狗吼村に?おひとりで?」
と心配そうに聞き返した。それに対し、零子は答えられなかった。狗吼村に無事に行ったとしても、現世界との通路が開くのはたった五分…向こうに着いた頃には閉ざされてしまうのである。それから次に通路が開く時期も全く見当がつかないという。それは、一生元の世界に戻れないことを意味していた。
「このホログラムを監視して、もしトンネルが開いたとしても、お一人では行かないで、私に相談しなさい。でないと、あなたの身が危ない。」
こう言い聞かせる野天の口調はこれまで話してきた中で一番厳しかった。心の中では納得できない部分があったが、彼の剣幕に気圧されたため、零子はその場では「はい。」と答えるしかなかった。確かに、野天の言い分は正しかった。行っても二度と帰ってこれない可能性が高い未知の異世界に、一人で行くのはあまりにも軽率だし、無防備である。だが、それでも十五年前に謎の男とともに、異世界の村に消えた姪がどうなったか、この目で確かめたいという欲望が、強く彼女の心を支配し始めていた。




