第二十章
野天はフリーランスの探偵だった。北福登市郊外に小さな事務所を開設し、未解決事件の犯人や行方不明者の捜索等、クライアントの要望に応えていた。実は彼も幻の村「狗吼村」に数年前から関心があったという。そして今回、零子がバーチャルマップにログインし、あの硬山付近を歩いているところを見つけ、声をかけたのだという。零子は子供たちが学校や幼稚園に行っている間や、就寝後に何度も野天にコンタクトをとった。メールやZoomホログラムでよく話した。
「狗吼村は、普段は行くことのできない村のようです。」野天はそう説明した。
「なぜなら異界に取り込まれていますからね。異界の出入り口が開かない間は行くことができません。」
「そうですか…」諦め半分、ため息交じりに零子は言った。だが、次の野天の言葉に、思わず頭をもたげた。
「しかし、異界の出入り口が開けば行くことはできます。ただ、それは何十年、何百年に一回かで、定まった周期はありません。異界の出入り口が開く時には、あのバーチャルマップであなたが歩いてところにある、硬山にトンネルができるそうです。」
「トンネル…?それはどういう?」
「硬山の東側に奇妙なものがあったでしょう。突起か窪みのような…多分あそこだと思うんですよね。」
野天はあまり自信がなさそうに、顎を触りながら話す。でも、そこにわずかな希望を見出した零子は、
「前に、そのトンネルができたのはいつごろかご存じですか?」
と尋ねてみた。
「うーむ…おそらくつい四年ぐらい前かと。でもほんの五分足らずの間ですから、開いても気づかなかった人はほとんどでしょうね。」
四年ぐらい前…ということはあの真坂とかいう男が姪の多美を連れ去った時期とほぼ一致する。しかし、わずか五分という点が気になった。北福登地方に住む男が、遠く離れた星車町の最寄りの空港まで来るのに飛行機で二時間はかかる。それからさらにローカル線で二時間以上はかかるので、日帰りで往復するのは難しい。また、記憶によるとあの男が姉夫婦の葬儀場に現れたのは、多美を連れ去る一週間ほど前である。それほどの間、そのトンネルは消えずにあったというのだろうか。
「それともう一つ、これは信ぴょう性がさらに低いものですが、狗吼村にはニャラロラトテップという、神か魔物に似た存在がいると聞いたことがあります。」
野天が口にするその名前は、異様に言いにくく、独特な響きを持っていた。
「ニャルラ…それはいったい何者です?」
「全く謎に包まれています。」野天は答えた。
「しかし、人間ではないものだと思われます。普段は人間の姿をしておりますが。その者は狗吼村と外界、つまり我々の住んでいる世界との通路が開くたびに、外界から女子供を拉致して子孫繁栄の道具にするか、化け物に変えてしまうといわれています。そしてその者は、通路が開いている間の狗吼村の時間を止めることができるといわれております。」
野天の説明を聞きながら、零子は考えた。あの男、真坂はそのニャラロラトテップではないだろうか。だから、外界との「通路」が開くたった五分の間でも、その間の時間を止めれば一週間ほど立っても入り口は閉ざされず、多美を狗吼村に連れ去ることができたのではないか。
「次に『通路』が開ける時、その者は再び現れるのでしょうか。」零子は尋ねてみた。少しでも姪に関する手掛かりが欲しかった。
「それはわかりません。外の世界に出るかは、ほとんど奴の気まぐれのようですから。」
というのが名探偵の答えだった。
「そもそも『通路』が開けるのも周期が決まっているわけではなく、気まぐれなんです。前回は五年前、前々回は百二十五年前だったといわれております。その前は、わかりませんが、おそらく前々回から二、三百年前ではなかったでしょうか…全く定まっていないのです。」
その言葉を聞き、零子を再び失意が支配しかけた。周期さえわかれば目星がついたものの、それもランダムであれば限りなく姪に再会できる可能性が低くなるということだ。
「そうですか…わかりました。」
そういって、Zoomから退室しようとしたときに、
「狗吼村へのトンネルが開く時期は残念ながら予測できませんが…その前に、予兆があるといわれております。」
野天の言葉に退室をためらった。
「予兆…?」おうむ返しのように、その言葉を繰り返す。
「はい、トンネルができるあの硬山があるでしょう。あの周辺に生えている草などの植物が、どす黒くなってべとべとになり、腐り始めるんです。それは一週間前から始まり、その日が近づくにつれ、それが加速するらしいのです。おそらく、異世界にある狗吼村から漂ってくる瘴気があるのでしょう。」
「今は…どうですか?」零子はつい気になって尋ねた。
「今のところ、そういう兆候はありません。」名探偵はこう答えた。
「つい四年前に通路が開いて閉じたばかりなので、すぐには開くことはないと思われます。でも、いつかは…開くと思うのではないかと。ところで、あなたはなぜ、これほどまで狗吼村のことを知りたがるのですか?ただ、興味本位のわけがない。大変失礼ですが、この村に入って出てこれなくなった家族の方、もしくは知人がいらっしゃるのでしょうか。」
野天の言葉に、零子はぎくりとした。最初はもらった情報を頼りに、少しでも姪の手掛かりにつながるものを見つけたいと思い、少しずつ聞いていたのだが、やはり知られていたのだ。零子はそこで、四年前、姉夫婦が災害で亡くなったとき、真坂と名乗る一人の男が現れて姪を狗吼村に連れ去ったこと、その際にその男が一週間ほど星車町に滞在していたことを話した。
「なるほど…だとしたら、その男が怪しいな。」
野天のホログラムは顎に手を当ててそう言っていた。
「その男は、あの存在なのでしょうか。ニャロラ…とか言う。未だに名前が覚えられなくてごめんなさい。」
零子の言いたいことを野天は察したようだ。
「ニャロラトテップでしょう?無理もありません、覚えにくい名前ですから。ニャロラトテップが真坂と名前を変えて現世に姿を現した可能性が高いです。」
「無理なことは承知しておりますが、姪を救うことができる可能性というのはないのでしょうか。」
「どうでしょうね…」
野天は眉をひそめて渋るように言った。
「とりあえず、今我々にできることは、異界との出入り口が開けるあの硬山とその周辺を注意深く観察することしかありません。開く周期も全く見当がつかないのですから。」
野天は難しい口調でそう答えるだけだった。
「しかし、できるだけ協力します。もし、少しでも予兆が現れたらすぐにあなたに連絡しますので。私の名刺をお渡ししましょう。」
そういうなり、零子の部屋のプリンタが動き出し、すぐさま野天の名刺が出力された。彼が名刺データをリアルタイムでFAX送信したのだ。
「では、私の名刺も。」
そういって零子も名刺データを野天のアカウントに送信した。




