第十八章
「多美ちゃん、気が付いた?」
女性の優しい声に多美は目を覚ました。そこは清潔なベッドの上だった。体も、あのおぞましい肉塊の怪物ではなく、まともな人間の身体に戻り、白い入院着が着せられていた。
「あの、私…」
「ああ、まだ動いちゃだめ。検査がまだ終わってないんだから。」
声の主の女性が言った。清潔な白衣をまとった、看護師のようだった。
「お父さんもお母さんも、優亜ちゃんも無事よ。すぐに会えるわ。」
そういって看護師はカーテン代わりに、窓の濁りをとるスイッチを押した。窓はたちまちに透明になり、目の前に、いつか見た美しい海が広がっていた。星車町から西の方に下ったところにある大和海だ。その上にある空は、青く澄んでおり、雲も白くまともな色だ。
「少し入院したら、おうちに帰れるからね。」
看護師の言葉に、多美は安堵した。やはり私は長い悪夢を見ていたんだ。あの村でのおぞましい出来事はみな夢だったのだ。何よりも元の人間の体に戻った。それが嬉しくてたまらなかった。
しばらくして別の看護師が入室してきた。
「妹の優亜ちゃんね、会えるわよ。まだ眠っているけど、そっと見ているだけならいいと思う。」
「本当ですか?」
看護師の言葉に、多美は思わず尋ねた。看護師は微笑み頷いて、
「ええ、あと多美ちゃんも体が本調子じゃないから、あまりはしゃぎすぎずに、静かにね。」
と返した。
看護師に案内されて向かった病室は、やはり清潔な部屋だった。部屋の真ん中にベッドがあり、そこに白い服を着た優亜が横たわっていた。
(優亜、やっぱり無事だったんだ…!)
思わず手を伸ばした。だが、その途端多美は違和感を感じた。妹の方に伸ばしたものは、手ではなく、ぐにゃぐにゃとした触手のようだった。同行していた看護師の方を見ると、彼女は恐怖に顔をゆがめて、その場を一目散に逃げ出した。
何が起こったのかわからないまま、多美は優亜の方に向き直った。すると、父の孝之が現れ、優亜のベッドの上に覆いかぶさるように身を挺した。顔だけ多美の方を向くと、敵意をむき出しにして怒鳴った。
「この化け物め、優亜に触れるな!失せろ!」
それを聞いて多美の全身を、強い衝撃が貫いた。
(化け物?何言っているの、お父さん。私だよ、多美よ…)
そういったが、声にならなかった。その代わり、テケリ、テケリリ…という音が漏れていた。その音を発しているのは、彼女自身の口ではなく、彼女の顔半分にできた、あのおぞましい縦の口だった。
「イヤアアアアアアアアアアアッ!」
「おい、この見るのも耐えがたい化け物を追っ払ってくれ!誰か!誰か!」
優亜のベッドに覆いかぶさったまま絶叫する父親の姿がどんどん遠のいていく。触手だらけの、腐肉の怪物と化した多美は、再びあの赤い空と黒い雲のある、闇の世界に落ち込んでいった。