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Shoggoth  作者: 小芽我
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第十章

多美は葛田にずたずたに破かれた服を体に巻き付けるように羽織ると、トンネルがあるはずの山に向かって這うように歩き出した。幸いにも、誰にも会わなかった。

 何時間経っただろうか。既にどす黒い夜の幕が辺りを覆い始めていた。無我夢中で何とか力を振り絞り、山のふもとまでたどり着いたが、トンネルらしきものは見つからない。多美は力尽きて倒れてしまった。この村では、夜になると真っ暗になるため、明かりなしでは歩くことは不可能だろう。進まなくては連れ戻されてしまう。だが、これだけの重傷を負った体ではこれ以上動くことはできない。その時、辺りが光に照らされ、明るくなった。

 車のヘッドライトが多美の目の前にあった。扉が開いて誰かが下りてきた。

「何をしているんだ、こんなところで。」

 聞きなれた「保護者」のその声に多美は戦慄を覚え、山の斜面に向かって無理やりでも駆け出した。不思議と真坂は追ってこなかった。だが、体中に走る激痛にどうしても動くことはできず、その場に力なく頽れた。

 シュルシュルと何かが動く音がした。首を動かすこともままならず、左目は腫れあがってほとんど開かないので、何かははっきりとはわからなかったが、おそらく真坂以外の別物だと直感的に感じた。次に、ヘッドライトにうっすら照らされ、多美の顔の前に姿を現したのは、花のようだった。それも、普段花壇や野原で見る、かわいらしい、可憐な花ではなかった。直径が人の頭より大きく、花芯にあたるところにちょうど人間の頭を丸呑みできるほどの大きな穴が開き、その周りにびっしり牙が生えていた。その下からは毒々しい、触手のような茎が生えてるように見えた。その花は、獲物を見つけた時の肉食動物のように、一瞬身をそらして動きを止めると、多美の頭を食いちぎらんばかりに襲い掛かってきた。その途端、シュパッと鋭い音がして、その花の茎は首を切られるように刈り取られていた。

「危ないところだったな。」

 そういって歩み寄ってきたのは意外にも真坂だった。額には工事現場の作業員のように懐中電灯を装着し、手にボウガンのようなものを持っている。彼は花の茎を薙いだ小さな半月刀のようなものを拾い上げ、

「ここはオオヒトトリグサの住処なのだ。油断すると危ない。」

 と穏やかな調子で言った。その優しい調子に、多美の心は思わず油断したところがあったのだろう。差し伸べられた真坂の手を無意識に握った。

「これは酷い怪我だ。」

 真坂は多美の身体の様子を見ると言った。そして、今までの真坂とは別人のような、意外なことを口にした。

「この村にはちゃんとした病院がない。村外の大きな病院に連れて行ってやろう。そこで治療を受けられる。」

 多美は驚いた。今まで自分を陥れ、痛めつけてばかりいたこの男がいきなりいたわるようなことをいうのはにわかに信じられなかった。最初はまた罠にはめようとしているのだろうかと疑ったが、重傷を負って、弱った体が助けを求めていた。それでもしかしたら改心したのではないかという期待が頭をもたげてしまったのである。

「ありがとう…ございます。」

 多美は素直に例の言葉を述べた。声を出すたびに、折れた肋骨が痛んだ。

「無理をしない方がいい。」

 真坂は不自然と思えるぐらい、優しく言うと多美の背中に風呂敷をかけた。そして、そのまま彼女を背負うと、風呂敷の先端を自分の首の下と腹の部分で結んだ。おんぶ紐のつもりらしい。

「さあ、立つぞ。」

 真坂は多美を背負ったまま立ち上がった。その際、折れた肋骨が突き刺さった皮膚が圧迫され、痛みが走り、多美は短く声をあげた。

「痛むか?大丈夫だ、この山を越えるとすぐ隣り町だからな。それまで我慢してくれ。」

 そう言うと、真坂は山道を歩きだした。

 途中、彼は懐から握り拳ほどの袋を取り出し、白い粉をパラパラと撒いた。その粉で、周辺の植物が見る見るうちにしおれていった。

「オオヒトトリグサがいつ襲ってくるかわからない。だから、この粉で大人しくさせるんだ。」

 そう話しながら真坂は歩き続けた。どれぐらい時間が経っただろうか、今まで登りだった坂道が下りになるのを感じた。

「さあ、山は越えたぞ、もうすぐだ。」

真坂の背中で折れた肋骨がさらに押し付けられ、声をあげそうなぐらいの痛みを感じたが、もう山は越えたと確信し、それが多美の心を勇気づけた。あと少しで、まともな病院で治してもらえる、もうすぐで地獄のような村ともお別れだ。そう思っていた。

「ほーら、着いたぞ。」

 真坂はかがむと風呂敷の結び目をほどき、多美を降ろした。そこには病院らしく建物はなく、ヘッドライトが点いたままの一台の車が止まっていた。そのはるか向こうに、チカチカ点灯する明かりが見える。それは、多美がついさっきまで見てきた狗吼村のバラック街の灯りそのものだった。空は相変わらず星も月もなく真っ暗だった。そして、次の瞬間、多美の心はこれ以上にないどん底の絶望に突き落とされた。目の前の車は、山を越える前に見た真坂の車だった。つまり、山を越えたことで、村の外に出たのだと思ったが、本当はそうでなく、元の場所に戻ってきただけであった。


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