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Shoggoth  作者: 小芽我
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第一章

(まつ)﨑(ざき)多美(たみ)は、ごく普通の少女だった。生まれたのは星車(ほしぐるま)(ちょう)という、地方の小さな町だった。西には海、東には山があり自然豊かな場所で、二十二世紀を目の前にした今でも、隣接する市との合併を逃れ、絵のような美しい景観を保ち、地域の伝統が残る街で住民同士のつながりも良好、町民全員が家族のような地域だった。

 多美の父・孝之(たかゆき)は隣市の自動車会社で技術者として働き、母の()光子(みこ)は町内の天文台で学芸員をしていた。多美には二歳下の妹・()()がいた。優亜はよく多美になついており、いつも姉の後を追って遊んでいた。休日には握り飯やサンドウィッチをたくさん詰めた、弁当を作ってドライブやピクニックを楽しむ、そんな中の良い家族だった。

 家の東の窓から山が見えた。星車山という名前で、高さは千二百メートルほどで、綺麗な釣鐘の形をしており、その真上に北極星が昇った。数時間たっても動かないその星を、満天の星空とともによく眺めていた。流れ星もよく見えた。父の誕生星座でもある、獅子座から降り注ぐ流星群は秋になると見ごろで、この季節は星の祭りだった。誕生日に買ってもらった星の電子図鑑で星座や星の名前もほとんど覚えた。その電子図鑑は起動すると天体のホログラムが空中に浮かび上がるリアルなもので、本当に星がそこに浮かんでいるように見えた。多美は、この当たり前だけど、ささやかな幸せがいつまでも続いてほしいし、続くものだと信じていた。

多美が小学四年生の冬だった。クリスマスが終わり、もうすぐ新しい年が始まろうとしていた時に、それは起こった。その年はいつもより多くの雪が降った。

 多美の家は()花山(ばなやま)という、標高は六百メートル前後であるが、斜面が険しい山のふもとにあった。降り積もる雪の重みに耐えきれなくなり、表層雪崩が生じた。雪崩は多美の家に直撃し、押しつぶした。その時、深夜だったため多美と優亜は寝室で寝ていたが、危険を感じた両親が素早く駆け付け、身を挺して姉妹を守った。数時間後、多美は冷たくなった孝之の体の下から救助された。だが、優亜は雪に加えて天井の梁の直撃を受けた優光子の体の下で、既に息をしていなかった。

 幸せが一瞬にして消えた。そんな日だった。多美はその時の記憶はおぼろげにしかなく、気が付くと、火葬場のホールで黒い服を着た人たちと一緒に立っていた。

「かわいそうにねえ…」

「本当、まだ十歳なのに。」

「親戚のおうちに行くか、施設で引き取られるのだろうね。」

 多美がぼんやりと、火葬場の外に見える雪山をガラス越しに眺めていると、ホールに集まった人たちがそのように話すのが聞こえた。


「多美ちゃん。」

 不意に声をかけられ、多美は振り返った。赤子を背負った女性だった。彼女の顔を多美はよく知っていた。母の妹にあたる、(あめ)(かい)零子(れいこ)だった。

「多美ちゃんのこと、うちで引き取ってあげたいんだけど…」

 ためらいがちに零子は言いかけたが、背中に背負った赤子が泣き出したので、「ごめんね。」と言って育児室に向かった。入れ替わりに零子の夫の(いさ)()が多美の前に立った。彼も、三歳ぐらいの男の子の手を握っていた。眼鏡をかけ、小太りの顔に気のよさそうな笑みを浮かべた叔父は何かを言おうと、口を開いた。言葉を発するより早く、

「その必要はありません。」

 一人の男の声が響いた。いつの間にか、降って湧いたように一人の見知らぬ男が立っていた。

「あなたは?」

 勇実がその男に聞くと、

「私は里子を募集している者でしてね。こういう者です。」

 男は名刺を差し出して、勇実に渡した。

北福(きたふく)()郡…いぬほえむら?まさかいつろうさん…」

 勇実は名刺に書かれてある住所と名前を読み上げた。

「あ、それは『くこうむら』って読むんです。ほとんど知られていない地名ですけど…いや、まったく知らない人が多いでしょう。あなた達みたいに。なんせ、日本地図に載っていない村ですから。」

 男は意味ありげな笑みを浮かべながら言った。

「しかし北福登郡というと、ここからだいぶ離れているじゃないですか。なぜそんなところから…」

 勇実が不思議そうに聞くと、男は片手を如来のようにかざし、

「まあまあ、詳しいことは向こうで話しましょう。」

 と、奥の休憩所に多美と勇実を誘った。

 男は、真坂(まさか)逸郎(いつろう)という名前で、星車町から南西におおよそ千五百キロメートル離れた北福登の狗吼(くこう)(むら)から来たという。保護者と死別した、あるいは何らかの事情があって育てられない家庭に生まれた子供たちを引き取って、里親をやっているという。

「最近は子供がめったに来なくなって、うちには妻と、多美ちゃんと同年代の息子がいるんですがね、やはり男の子一人じゃ寂しくって、多美ちゃんに来てもらえるとぜひ嬉しいんですけどね。」

 真坂は手もみしながら饒舌に話した。

「しかし、親族でもない、初対面の方に多美ちゃんを預けるわけにはいきません。」

 赤子を落ち着かせ、後から合流した零子がいった。

「悪いようにはしません。」

 真坂は多美の方を見た。

「あなたたちご夫婦にはご自身の家庭がありますよね。しかも子供たちは幼い、一人は赤ちゃんだ。ご自身のお子さんの世話だけでも大変なのに、もう一人子供が増えるともっと厳しくなるのが火を見るより明らかです。今にキャパシティが崩壊しますよ。」

「それはそうですが…」

 渋る夫婦を真坂は横目にちらりと見ると、今度は多美の方を見て、

「多美ちゃん、叔父さんと叔母さんはね、小さい子を抱えていて忙しいんだって。多分多美ちゃんのことまで手が回らないと思うから、おじさんと暮らそうよ。おじさんなら多美ちゃんの面倒をしっかり見れるから。多美ちゃんより一歳上の男の子もいるから、きっと仲よく遊んでくれると思う。それから多美ちゃんの欲しいもの、おじさんが何でも買ってあげる。」

 といかにも作り笑顔といった表情で言い聞かせた。

 多美は困って零子の顔を見た。零子が口を開きかけたとき、赤子がまた泣き出した。

「あ、あー、ごめんね、よしよし。」

 零子は幾分慌てた様子で、赤子を背中からおろし、あやしにかかった。

「ねえ、パパ、帰ろうよ。疲れた、眠いよぉ!」

 勇実と零子の幼い息子も、突然大きな声を上げてぐずりだした。それを見て真坂がそれみたことか、とばかりにやりとした。

「やはり、多美ちゃんは私のところで育てた方がよさそうですね。あなた方だと、到底手が回らないでしょう。」

 飴海夫妻は、子供をなだめるのに気をとらえ、今度は真坂のいうことに反論できなかった。真坂は再び多美に向き直り、

「多美ちゃん、叔父さんと叔母さんはあんな調子だ。ただでさえ大変なのに、多美ちゃんが来たら余計困ってしまう。多美ちゃんだって困るだろう。うちに来れば、ちゃんと何一つ困ったことがない生活が送れるんだよ。ここからちょっと遠いけど、叔父さんたちの家にお世話になるより、いいだろう?」

 と笑顔で尋ねた。多美は答えられなかった。見知らぬ男に強い口調で同意を求められ、蛇ににらまれたカエルのように黙ってしまった。

「なあ、いいだろう?」

 もう一度、真坂の太い声が耳元で響き、多美はやっとのことで首を縦に振った。



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