13‐8 フィリップと対面
イリスの教育がみっちり三時間続き、その直後にオーリアは計画書を書き直して提出。修正、再提出、訂正、再々提出と繰り返し、ようやく解放してもらえたその日の夜、ミゼラに今日のこと報告したら盛大に笑われた。
「うふふ、あはっ、駄目、おかしすぎて笑っちゃう!」
上品に、しかし腹を抱えて笑う彼に、私は頬を膨らませる。
久しぶりのステーキにフォークを突き立てて、ミゼラを睨んだ。
「笑い事じゃありません。あの三時間がどれだけ辛かったか。中学校卒業課程から一気に高校二年次課程にまで勉強を詰め込まれたんですよ。頭がパンクしそうです」
「パンクしなくて良かったわね。あはっ、うふふふふふ」
「三時間で詰めていい内容じゃないんですよ。まさか、一単元が十分で進むとも思っていませんでしたし」
視界に数学の公式やら歴史の年号やらがちらついて、まだイリスの授業が続いている気さえする。彼女の幻聴が聞こえてきて、すっかり洗脳されていた。
ミゼラはどうにか笑いをこらえるが、やっぱり我慢しきれず、ブフッ! と噴き出して大きな声で笑っていた。
同情してくれとは言わないが、こんなに笑うなんて。
トリスに視線を送るが、彼も笑いをこらえていて役に立たない。
エリーゼは笑う二人を鼻で笑った。
『勉強の大変さを知らない野郎どもには、ソラ様の気持ちは分かりません!』
フラン語でそう言うエリーゼに、私は『あぁ、そうだな』と笑った。
***
オーリアと予算を練り、フィリップと取り付けた約束の日になった。
作り上げた計画書をじっと見つめて、オーリアは不安そうに呟いた。
「これでダメだったらどうしよう」
二回だけのチャンス。その最初。
これでダメ出しが多かったら、二回目のチャンスも危うい。
指摘される事はなるべく少なく、無いのが理想。でも、フィリップが見逃すことはないだろう。
馬車がフィリップの屋敷に着いた。
ムスベラット邸はどの十二血族の屋敷よりも小さく、ちょっとした別荘のような大きさだった。しかし、どの屋敷よりも厳重な警備体制に、金のかけ方が違うだけだと知った。
門にはカメラ付きのドアベル。
鍵が破壊されないように特殊金属を使用。
屋敷までの距離は遠く、狙撃範囲を確保している。
(狙撃ポイントも設けてんな)
玄関にもカメラがついていて、ドアの取っ手には指紋認証システムの導入がされていた。
ドアベルを押すと、カメラが起動して私たちの写真を撮った。そしてしばらく機械音がして、ようやくフィリップがマイクで応対する。
『やぁいらっしゃい。今鍵を開けるよ』
鍵が開いて屋敷に入ると、突然体をスキャンされた。
私が驚いていると、フィリップが現れて、「ごめんねぇ」と笑っていた。
「ウチはセキュリティが厳しいから。毎年最新鋭のセキュリティシステムを導入している。よくソラちゃんのお父さんとも話をするよ。セキュリティシステムの情報交換や、新しいシステム買う前に僕の家に来て実物を確認してるし」
「マル・チロ伯爵が……」
——あの家にセキュリティシステムなんて要るだろうか。あの人を狙える輩がいるとは思えないが。
いや、国防施設に必要なのか。……どうなんだろう。行ったことがないから分からない。
フィリップに応接室に案内され、私たちはソファーに座る。
黄色と緑を基調とした稲穂を連想させるカラーに親近感を覚えた。
オーリアはフィリップに計画書を提出すると、フィリップは内容を確認する。
読んでいる間、彼は終始穏やかな表情をしていたが、計画書を揃えてテーブルに置くと、急に冷たい声になった。
「あえてキツイ言い方するね。……よくこれ僕に出そうとしたねぇ」
フィリップはポケットから小さな電卓を出すと、オーリアの計画から予算を算出する。それは、私たちが組んだ予算とは異なる数字を表示した。
「君の計画は最低4億6000万パウはかかる。保育園の新設を抜いてだよ。保育園の新設も含めると、6億パウはかかるね。それでさ、どうやって予算を使う気だったの? 家庭省に割り振ってる予算をどう削って、どう振り分けて施行するつもりだったの? 僕は毎年、国が必要とする予算を決めて、国を運営するお金を管理しているけど、無限に湧いてくるわけじゃないよ」
フィリップはそうオーリアに言った。
「見積もりも甘いし、計算も違うし。これ、本当によく考えたの?」
私は俯くオーリアをちらと見る。オーリアは考えている最中だった。フィリップも、それを分かっていて返事が出るまで黙って待っていた。
私もオーリアの返答を待つ。フィリップは、私の方を向いた。
「ソラちゃんさ、あえて黙ってたでしょ。見通しが甘いことくらい、君なら気づけるはずじゃん?」
フィリップの指摘に、私は悪びれもなく「はい」と答えた。
ミゼラならもっと良く考えるだろうと思いながら、オーリアの側にいた。彼女が何度も頭を悩ませている後ろで、自分ならこうすると考えて見つめていた。
けれど、私が助言も手伝いもしなかったのは、これは私が手を出していい場面じゃないと思っていたからだ。
「こうした方が良いと思う場面は確かにありました。けれど、予算の計画に手を出しては、オーリア様の成長になりません。何にどのくらいかかるとか、そういったことは彼女が良く知るべきで、私ではありません。これが正しいかもよく分からないまま、彼女の背中を見ていました」
でも、私は知っている。この計画書が、フィリップから見ればお粗末だが、オーリアにとっては努力の証であることを。
「彼女は電卓を叩き続けていました。これでいいのかと、何度だって悩んでいました。血族が行ってきた政策の記録を引っ張り出して、記録を参照に予算の予想を立てて、書いては捨てて、電卓を叩きすぎて壊して、彼女は考えていました。だから、私はオーリア様が理不尽に遭われた時だけ、口を出そうと思っております」
私の言葉に勇気を出したオーリアは、計画書を手に取り、フィリップの目の前で訂正を入れる。書き直した計画書を、フィリップはもう一度目を通した。
オーリアは息を整えて、フィリップに言った。
「予算の方は、保育園の無償化と、おむつ支給に使っている費用を削って、2億パウを捻出。足りない分は、家庭省が保有する資産から使います。そうすれば、今までの予算でも間に合うようになるわ」
「……家庭省の資産はこの計画に足りない資金ギリギリだよ。使ったら確実に痛手になる。今年と来年以降、トラブル起きた時どうするの?」
「子供や家族を守るためなら、ノンドム家が何とかするもん。それが、十二血族の使命だわ」
オーリアの言葉に、フィリップはため息をついた。
計画書を抱えると、応接室のドアを開く。
「考えさせてくれる? 後で電話するよ」
それは彼なりの、許諾だった。




